世界を闇の世界樹が閉ざして尚、暗黒の中で戦う男たちがいた。  帝国空軍の兵士たち、そして帝国騎士たちである。  だが、天を閉ざして全てを包む邪悪な世界樹に、魔物たちが凶暴化する中……国と民を守る戦いは苛烈を極めた。  まさに激闘、そして死闘だった。  既にもう、クレーエも部下たちも限界だった。  彼らが守りきった避難民たちの輸送艦は、タルシス目指して飛び立った。  以前からバルドゥール皇子の行っていた移民政策は、実を結んだ。  死に続けて朽ちゆく土地を、帝国は捨てる決断を既に下していた。  だが、民の全てが脱出しても、クレーエの戦いは終わらない。 「怪我人を見捨てるな! 先程より敵の勢いが弱い……なにかが起きた。なにかはわからん! だが……もう少し、もう少しだけ、俺に付き合ってくれ!」  砲剣のカートリッジを交換するや、クレーエは声を張り上げる。  周囲で呼応して叫ぶ仲間は、既に半分ほどになっていた。  皆、よく付き従ってくれた。  この絶望的な戦いの中で、飛び立つ艦を全て守りきったのだ。  その上で、クレーエたちがまだ剣を振るう、その理由を周囲が怒鳴る。 「クレーエ殿! 貴殿は殿下の右手、右腕、目となり耳となる御方!」 「脱出を! 我らがここは持ちこたえます」 「たとえ殿下と民を見送り終えた地といえど、我らが故郷! 我らが故国!」 「みすみす魔の手になど……父祖にあの世で申し訳がたちませぬ!」  愚か、愚直なまでの志があった。  もはや利害や善悪ではない。  そうした概念を超えた彼岸に男たちは踏み込んでいた。  帝国は誰にとっても故国、ふるさとなのだ。  その想いは、クレーエも同じだった。 「俺は……俺が、殿下の元へ帰るのは、最後だ。一番最後に……貴殿たち全員の無事を報告しに、帰る。だから、今は引けないっ!」  既にもう、それ以上の言葉はいらなかった。  ただ、男たちの間を笑みが行き交う。  唇を歪めて、白い歯を零し、声を荒げるものさえいて、笑う。  死の間際の微笑みを浮かべて、誰もが武器を構える。 「総員、帝国を守れ! まだまだ民が持ち出すべき財、民が目に刻むべき文化が残っている! 命さえ助かればなどと、しけたことは言うな……守れる全てを、死守せよっ!」  先頭に立って、クレーエが馳せる。  あっという間に、雪崩が轟くような敵意が迫った。  全て、あの金鹿図書館が封じた闇から溢れ出た魔物だ。それは今、野生の動物すら殺戮装置に変えながら、ありえぬ勢いで迫っている。  それでも、クレーエは砲剣を振りかぶる。  何度目かのイグニッションに震える刀身は、既に長引いた戦いのダメージを主に伝えてきた。それでも、己の牙であり爪たる刃は、持ちこたえてくれる。  振るって舞い踊るクレーエの軽業を、血煙で飾ってくれる。 「流石クレーエ殿!」 「見事!」 「我らも、続け!」  男たちの魂が、燃える。  灯る蝋燭の、その最後の炎のように激しく逆巻く。  クレーエもまた、限界を超えて剣舞に踊った。  屠られる魔物の骸を超えて、次なる魔物が迫る。  度重なる先頭で加熱した砲剣は、排熱が追いつかず威力が落ちてゆく。それでも、鈍色の刃を血に染めながら、クレーエは戦った。  そして、その時だった。  奇蹟が、起きた。  否……奇蹟にも似た、人の意志の力が光を呼んだ。 「クレーエ殿っ! あ、あれを!」 「おお……汚れし異形の世界樹が」 「わ、割れてゆく!」  その声に振り向き、見上げてクレーエは言葉を失った。  金鹿図書館があった丘の上から、天へと伸びて全てを飲み込んだ世界樹……その禍々しい姿が、縦にゆっくりと割れてゆく。  迸る光が、溢れ出る輝きが、頂点から静かに地上へと吸い込まれてゆく。  その軌跡をなぞるように、異形の世界樹は断ち割られていた。  そして、両断された向こうから……青空と太陽が戻ってくる。  陽光は既に、疲弊したクレーエたちをも照らし始めている。 「……やったか、冒険者たちよ。礼を言わねばな……直接言わねば、殿下に笑われよう!」  これが最後と、周囲の同志たちが最後の力を振り絞る。  クレーエも、既に重くなった全身に裂帛の気合を宿した。  ゆっくり、ゆっくりと闇が払われてゆく。  まるで彗星のように、光が歪な世界樹をなぞってゆく。  それが世界樹よりもたらされた絆の力、世界樹の剣が切り開く未来。  そのことを知らずとも、久方ぶりに見る蒼穹に、クレーエは希望を感じていた。  そして、これまでの絶望と、これからの希望が同時に現れる。  聞き慣れた声が、咄嗟にクレーエの命を救った。 「クレーエ殿! 上です!」  咄嗟にステップアウトしたクレーエは、見た。  一瞬前の自分を圧殺した、巨大な魔物の姿を。  それは、死を呼ぶ伝説の怪鳥……フレースヴェルグ。  そして、その前に真紅の鎧姿が舞い降りていた。 「レオーネ殿! あれは」 「世界の異変は、伝説の凶鳥さえ蘇らせてしまったのでしょう。帝国の古い伝承にある、あれぞ死を運ぶ不吉なる翼!」  フレースヴェルグは巨躯に翼を広げて、クレーエとレオーネとを威嚇してくる。  だが、レオーネは全く動じていない。  寧ろ、ひび割れた眼鏡の奥で彼は笑っていた。  それは、覚悟を決めた騎士の表情……先程のクレーエたちと同じだ。  今、世界の終わりの終わりをもって、新たな希望が闇を祓う。  その光を浴びながら、レオーネの心は静かにそよいでいるようだった。  静かに剣を構えたまま、レオーネが歌うように叫ぶ。 「遥か太古の昔、異教の神は言った……光あれ、と」  同時に、カッ! とレオーネの瞳が見開かれる。  風をまとって吼え荒ぶフレースヴェルグもまた、呼応するように闘気を発散する。一人と一羽だけの世界が、クレーエたちを見えない闘技場から遠ざけた。  そして、レオーネが信じられない行動に出る。 「光、あれ……ならば私も、新たな未来を祝福しましょう。帝国よ、その民よ! やがて皇帝となる若き主よ! そして……我らが魂の同胞、気高き冒険者よ!」  コラッジョーゾ家の宝である、先祖代々の砲剣が発する熱で、レオーネの鎧は真紅に輝いていた。排熱を利用して強力な防御力を発揮する、タービンアーマー……それをレオーネは、気迫の声と共に脱ぎ捨てた。  全てのパーツが飛び散り、剥き出しの肉体でレオーネは剣を引き絞る。  見事に盛り上がった背中の筋肉が、よじられながら力を凝縮していった。 「この大地に生きる、全ての生命よ……光、あれ! 光と共に、あれ!」  クレーエは改めて、レオーネの力の一端を見る。  それは、限られた騎士だけが放てる究極の奥義。  ――オーバードライブ。  レオーネが大上段から振り下ろした切っ先が、光となって空気を切り裂く。  同時に、フレースヴェルグもまた絶叫と共に羽撃いた。  思わず手で顔を庇ったクレーエは、目撃する……指と指との間に、確かに認める。レオーネの一撃が狂乱の翼を透過するのを。  そう、最強の剣技というには、あまりに美しく、澄んで静かに突き抜ける。  力の限り放てば、その場の全てを薙ぎ払う無双の剣。  その全てをレオーネは、束ねて紡ぎ、重ねて斬撃に乗せたのだ。  絶叫、フレースヴェルグがレオーネの横を通り過ぎる。  そのまま闇の薄らいでゆく空へと、その巨体が飛び去ってゆく。  そのままレオーネは、精魂尽き果てて倒れた。 「クレーエ様! あ、あれを!」  慌てて駆け寄ったクレーエは、仲間たちの声に振り返る。  天を覆っていた蔦が消え去る中で……逃げ出したフレースヴェルグは、自らの羽撃きが起こす風と振動で真っ二つになった。そして、引き裂かれたことも気付かぬ鋭利な一撃で、無自覚に死んでゆく。  そして、世界に新たな朝が来た。  帝国の歴史がこの土地で終わり、新たにタルシスと歩み続ける朝だった。