今日も風は吹いている。  この街、タルシスに。  連なる四つの大地に。  そして、この土地に生きる全ての人に。  その風が今、新たな種子を遠くへ運ぼうとしていた。  世界樹の迷宮を巡る冒険が育んだ若葉は、苦難と試練の中で大輪の花を咲かせた。誰の心にも、枯れない花を植え付けたのだ。そして今……次なる土地へ芽吹くために、種子が旅立ちを迎えていた。  少ない手荷物をズタ袋に入れて、それを担いでコッペペはタルシスを歩く。 「長いようで短い冒険だったねえ……ついこの間、来たばかりじゃねえか」  往来を行き交う街の人々は、皆が一様に笑顔だ。  すれ違えば誰もが、笑顔で挨拶してくれる。  その笑みに挨拶を返して、コッペペはタルシスの街門へと歩いた。先程、デフィールとヨルンにだけは挨拶してきたが、それだけだ。皆、大波乱の天変地異の後片付けで、忙しい日々を送っている。  今生の別れではないが、二度と会えないかもしれない。  それでも、なにも言わずにぶらりとコッペペは旅立つつもりだ。  仲間とはいつも、心の置き場が近いから。  どんなに離れていても、結んだ絆の長さと強さは、無限大。 「さぁて、次はどこに行こうかね……お? おいおい、なにしてんだ? 参ったね、こりゃ」  街門のところまで来て、コッペペは目を丸くした。  そこには、見知った顔が数人並んでいる。  寄り添い合うモノクロームの二人は、ポラーレとファレーナだ。サジタリオにしきみも一緒で、待ちかねたようにコッぺぺを見つけては手を振る。  意外な友人たちの見送りに、コッペペも自然と顔をほころばせた。 「へへ、ヴィアラッテアのギルドマスターが行事や式典に忙殺されてるってのは、ありゃデマか? よう、ポラーレ……よろしくやってるじゃないかあ」 「この通りね。よろしくやってるよ、コッペペ」 「ああ、大いに結構! いいねえ、オイラ羨ましいぜ」  久方ぶりに見るポラーレの表情は、相変わらず白い無表情だ。しかし、心なしか口元が柔らかい。そして、彼が視線を隣へ滑らせると、ファレーナも優しく微笑んだ。  二人のこれからは、聞くまでもない。  二人はこれからも、手に手を取って進んでいくはずだ。  そのことが嬉しくて、にやけた顔が締まらない。それを見透かされたのか、サジタリオが肘でドン! と小突いてきた。 「よう、コッペペ。随分と急ぐじゃねえか……もちっとゆっくりしてけよ」 「はは、悪いなサジタリオ。こちとらヤクザな冒険者家業でね……攻略された世界樹にゃ、用はねえ。もっとも……今回は自分でも知らずに、世界樹を目指してたその道程が世界樹の迷宮だったんだがよ」 「もう、やり残したことはねえってか?」 「まあな……いや、一つあるんだけどな? へへ……でも、心残りが一つや二つあったほうがいいさ。その方が、この街をずっと覚えてられる。なんてな! ウハ、ウハハハ!」  呆れたようにサジタリオは笑って、それ以上はなにも言わなかった。  ただ、出された拳にコッペペも拳を付き合わせる。  コツン、と交わした手と手が、互いの体温を一瞬で永遠に記憶した。  ――また、旅が始まる。  コッペペは根無し草の風来坊、無宿無頼の冒険者だ。  泳ぐことでしか呼吸を得られぬ水魚のように、立ち止まれない……留まれない。  ファレーナが包を差し出してくれたので、それをコッペペは受け取った。 「コッペペ、宿の女将からお弁当。……寂しくなる」 「はは、そうかい? だったらファレーナ、お別れにキスの一つもくれりゃいいさ」 「ふふ、そうだね……ポラーレに相談してみよう」 「おっと、そうきたか……言うようになったね、お前さんも。だが、それがいい。とてもいい笑顔だ」  ファレーナはポラーレと視線を重ねて、瞳と瞳で頷き合った。  長いは無用とばかりに、コッペペが弁当の包みをズタ袋に入れた、その時だった。  しきみが煙管の煙を燻らせながら、街の方を振り返った。 「ほれ、コッペペ。ぼやぼやしとるから来てしまったぞ? 相変わらず逃げるのが下手な男じゃなあ」  笑うしきみの向こうから、小さな小さな女の子が駆けてくる。  両手で持った大きなトランクを、半ば引きずるように全力疾走だ。  コッペペの姿が見えたのか、少女は大きな瞳の星空を輝かせた。 「コッペさまー! コッペさまっ! シャオも一緒に行くですぅ!」  シャオイェンは、空色のワンピースに帽子をかぶって、旅装のマントを羽織っていた。旅支度は万全で、気負って気張った雰囲気が全身を緊張させている。同時に、新たな旅立ちを夢見て、全身から喜びの空気が発散されていた。  彼女はコッペペのところまで来ると、息を整え背筋を伸ばした。 「コッペ様! シャオも準備してきたです。一緒に……ずっと一緒に、いさせてくださいですぅ〜!」  シャオイェンは本気も本気、大真面目だ。  その真っ直ぐな眼差しを、初めてコッペペは真正面から受け止め向き直る。  いつも眩しくて、身を焼かれる思いだった。  無邪気で無垢な少女の想いが、コッペペの生きる世界とはあまりに違い過ぎる。  だが、世界樹の迷宮での冒険が教えてくれた。  恋に恋して自分を追いかけるシャオイェンは、もう立派な冒険者……一人前のレディだった。だからこそ、コッペペは今日は、今日だけは向き合わなければならない。彼女の気持ちに真正面から、真っ直ぐに受け止めなければいけない。 「シャオ、随分とめかしこんだなあ? オイラは次の土地に行く……食うや食わずやの厳しい旅さ。リュート一つで日銭を稼いで、流離うままに次の世界樹へ」 「はいですぅ! シャオもお供しますっ! だって、デフィールおば様が言ってたですぅ……コッペ様、いつも一人で行っちゃうって」 「ったく、あのお節介のじゃじゃ馬が……はは」 「独りぼっちは寂しいですぅ、だ、だからっ! シャオと二人ぼっちのほうが、何倍も楽しいです! シャオ、もうコッペ様を一人にさせないですっ!」  トランクを手放し、シャオイェンがコッペペに抱きついてきた。  思わず抱き留めそうになる。  柔らかな花の香りに満ちた、華奢で可憐なワイクを抱き締めそうになる。  だが、広げた両腕をビクリと震わせ、コッペペは忍耐を総動員した。そうして、なだらかなシャオイェンの肩に両手を置く。そして、ゆっくり優しく引き剥がす。 「シャオ、馬鹿言っちゃいけねえよ……お前さんには今、お前さんを必要としてくれる人がいる。わかるな? それに……眩しいお前さんを連れてはいけねえ。暗がりの中ではお前さんの輝きが色んなもんを浮かび上がらせちまう」 「巫女様には、シウアン様にはちゃんと許可を取ってきたですぅ! そ、それに……どんなことでもコッペ様と一緒なら、シャオは……シャオは」  見下ろすシャオイェンが、背伸びして目を閉じた。  だからコッペペは、その広くて大きなピカピカのおでこに唇を零す。  最後に触れたシャオイェンからは、甘い花の芳香が鼻孔をくすぐった。  瞼を開いたシャオイェンが、大きな瞳を潤ませる。 「コッペ様……シャオは、コッペ様をお慕いしてるですぅ。でも、お別れ、ですかぁ?」 「シャオ、お前さんはオイラがダメだって言っても、一緒に来たいだろう? 同じように……行っておいでと言っても、側にいて欲しい子がいるのさ。その子のことを支えて寄り添う中で、お前さんはもっと、ぐっとイイ女になる。オイラが言うんだ、ホントだぜ?」 「シウアン様……はい。シャオ、いい子です、から……コッペ様の言うこと、聞くです」 「ああ、シャオはいい子だった。お前さんといた毎日が、この冒険での一番の宝物さ。いい女になりな、シャオ。うんと食べて遊んで、勉強して。そして時々人生に悩んで……そうしてりゃあ、大人なんざあっという間さ」 「大人になったら……シャオ、コッペ様を追いかけるです!」 「ああ、今はそれでいい。じゃ、あばよシャオ……未来で待ってるぜ。お前さんの未来でな」  それだけ言うとコッペペは、振り返らずに街門の外へ出た。  背後で泣き出すシャオの気配は、しっかりと自分を濡れた視線で見送ってくれる。その涙に背を押されて、コッペペの新しい冒険が始まった。  それを待ち受けていたのは……以外にも、ファルファラだった。  街門の外で、馬を引いて腕組み佇んでいる。  彼女はいつになく優しい笑顔でコッペペを驚かせた。 「優しいのね? そういうとこ、好きだったわ……ふふ。もう行くのね」 「ああ。冒険がオイラを呼んでるんでね。今日もいつかは歌になる、詩篇に乗ってこの地にたゆたう。タルシスと三つの民が栄える土地には、シャオみたいな娘が必要なんだよ」 「そう」 「んで? ファルファラ、そっちは? ……なーんか儲け話のニホイがすんだがよう?」  コッペペの隣を歩きながら、ファルファラは腰に下げた小瓶を見せてきた。  硝子の中には、不規則な明滅を繰り返すなにかが入っていた。植物の種のようでもあり、それ自体が生きた宝石にも似ている。見るものを魅了するような美しさは、コッペペにもすぐに値打ち物と知れた。 「あれだけの乱痴気騒ぎで、成果はこれだけよ? ……汚れし世界樹の種、歪緑の樹核」 「なっ……オイオイ、そりゃ」  コッペペが伸べた手を、するりとファルファラは避ける。そのままひらりと馬に飛び乗り、彼女はにんまり笑って鞭を振り上げた。 「じゃ、さよならね……コッペペ」 「ちょ、おまっ! ま、待てよ、そりゃ……すげえお宝だぜ!」 「シャオちゃんの想いが一番の宝物なんでしょう?」 「一番が唯一つじゃなきゃいけねえって誰が決めたよ。なあ!」 「あらあら、感動の別れが第無しね。ま、それがコッペペらしくて好きよ? ふふ」  ファルファラは行ってしまった。  慌ててコッペペは走り出す。  どんどん小さくなってゆくファルファラの背は、すでになにも背負ってなかった。そしてそれを追うコッペペもまた……歌の他にはなにも持たぬ旅人。そんな彼に吹く風は今日も、静かに街を洗って吹き抜けていった。