タルシスに平穏な日が戻ってきた。  今日、最後の冒険者たちが旅立つ。  その一人である妹を前にして、ラミューは感慨深く旅支度を見守っていた。彼女の無数の妹たちの一人は、旅装を整えマントを羽織り、少ない手荷物をリュックに背負った。  ラミューと全く同じ顔、同じ体の妹。  計画種として試験管で生まれた、人造の生命だ。  彼女は他の姉妹がそうであるように、狂った創造主の利己的な呪縛から解放された。そして、冒険者になることを選んだのだ。この街はタルシス、冒険者の心のふるさと……未知への探求を求める者を、吹き抜ける風は常に歓迎する。  ラミューに向き直る妹は、ザインと名付けられていた。 「いいか、ザイン。これには少ねぇが資金が入ってる。使い方はわかるな?」 「勿論だ、オリジナル。八百屋で一週間の日常社会研修を行った。非常に有意義な上に、とても実戦的な訓練だったと記憶している」 「……すげえ不安だ。お前がまさか、外の世界で冒険者をやるなんてなあ」 「極めて合理的な判断だと自負している。私はこれを、身近な場所で見つけた憧れという感情だと定義し、それに従うことにしたのだ」  ラミューは不安だ。  とても不安だ。  妹たちは皆、必要とされるまで培養液に浸かって物のように扱われていたのだ。そして、集団戦闘での殺人術しか知らないのだ。短い期間でラミューが、生き残った全ての妹たちをタルシスで教育し、躾け、見守ったが……それでもやはり、不安なのだ。  そんな姉のことなど露知らず、無表情なザインは兵器な顔をしている。 「い、いいかザイン。オレの言うことをちゃんと覚えておくんだぞ?」 「了解した」 「まず、短気はいけねえ。ムカッと来ても絶対に手を出すな、暴力に頼るな。お前等の力は強過ぎる。腹が立った時ほど冷静に、そうでねえと大変なことになっからな!」 「承知している。普段のオリジナルを見ていて痛感した。確かに、短気は損気」 「だろ? ……って、そりゃどういう意味だ、おい」 「オリジナルは直情的で挑発に乗りやすい傾向がある。グルージャや他の仲間たちにも確認したが、感情的になることが多く、その結果が好ましくないことが多いようだ」 「……よ、余計なお世話だ」  金貨の入った小さな皮袋をを渡して、ラミューはまだまだ落ち着かずに妹の前を行ったり来たり。そんな彼女をぼんやりとザインは見詰めてくる。  日常生活やサバイバルの基本、そして冒険者としての気構えを教えたつもりだ。  同時にラミューは、人としてのなんたるかも可能な限り叩き込んだ。  だが、心というものは教育ではないし、感情は造ることができない。  欲する意志がある者が、トライ&エラーを繰り返して己の中に育むものなのだ。  その点に関しては、他の妹同様にザインも大丈夫だと思う。計画種の妹たちは、当初こそ生きる意味も理由もなく、生きることすら否定的で戸惑っていたが……このタルシスの多くの人たちに助けられて、それぞれの生活を見つけている。  パンを焼くために職人に弟子入りした妹がいる。  帝国への恩義を感じて、レオーネやクレーエ、フリメラルダの元へ行った者たちもいた。  荒れ地の開梱に乗り出した妹たちもいるし、ウロビトやイクサビトの里に行った者たちもいる。  一方で、未だなにも見つからず無為に過ごしている妹も多い。  だが、焦る必要はない。  彼女たちは計画種として造られながら、今まで生きてこなかった。  ただ機能を満たして十全に動く、マシーンでしかなかったのだ。  戸惑いや躊躇、無気力を誘う虚無感に打ちひしがれる者たちがいるのは当然だ。  ラミューはこの街でずっと、そんな彼女たちに寄り添うことを選んだのだった。 「おーし、ザイン! いろんなことに挑んでく妹どもだが、外の世界に行こうなんざ、お前が初めてだ。気合入れろよ!」 「了解した、オリジナル」 「あ、あとっ! あれだ! ……わ、悪い男に引っかかるなよ? 悪い女にもだ」 「……?」 「いいか、俺が言うのもなんだが……自画自賛だがよ。同じ顔してんだ、お前は可愛いんだよ、結構。しかも、俺よりガサツでもねえし、粗野で下品なとこもねえ」 「当然だ」 「あっ、こいつ……なんか無性に腹が立ったぞ」 「短気は損気だ、オリジナル」 「グヌヌ! むう……まあ、あれだ。沢山冒険してこい。自分で食い扶持を稼いで、勉強して仲間を見つけて、あとそうだな、恋をしろ! 恋!」 「心得た」  猛烈に心配だ。  生真面目で勤勉なのは妹たちの特徴だが、主体性に欠く面が気になる。  しかし、彼女たちは確かに自我と意思を持っている。  このタルシスで持ち始めて、それを育て始めたのだ。  それを周囲がどう迎えるか、それはわからない。  だが、わからないことには挑むしかないのが人間の営みで、挑みたくてしょうがなくなるのが冒険者だ。  ラミューはトレードマークの赤い頭巾を外す。 「オリジナル、それは」 「動くなって、ほら!」  ザインの頭に被せて、結んでやる。  驚いた様子でザインは、目を丸くしてラミューを見詰めてきた。  最後に頭をポンと撫でて、ラミューは満面の笑みを浮かべた。 「選別だ、ザイン。うまくやんな」 「は、はい……その、ありがとう、ございます……姉さん」 「おう! ほんじゃ、行くか。街門まで送る――ん? おいおい、なんだありゃ?」  二人がいる酒場、躍る孔雀亭にどやどやと大勢の妹たちがやってきた。  皆、新しい仕事を見つけた者が多いので、服装もまちまちだ。  その中の一人が、ラミューを見つけて全員を振り返る。 「オリジナルを発見した。これより捕獲行動に移る」 「了解、こちらでも確認した」 「ザインにも挨拶を。その後、プランBへと移行する」 「グルージャの作戦は完璧だ、各員奮起せよ」 「了解!」  一個中隊規模の同じ顔が、あっという間にラミューとザインを取り囲んだ。  そして、突然拘束されてラミューは運び出される。当たり前だが、個体の能力ではラミューに敵う者はいない。プロト・ゼロと呼ばれた始まりの計画種……それがラミューの正体だ。  だが、一糸乱れぬ統率で、妹たちはソイヤソイヤとラミューを運び出した。 「お、おいっ! ちょっと待て、降ろせ! なにを……おいザイン、見てないで助けろ! どうしたんだ、おいって!」 「……さようなら、姉さん。お幸せに。では」 「おい、行くなって! 見送るって言った……ああもう、なんだお前らー!」  訳がわからない。  女将や客たちが笑って見送る中、ラミューは外へと運ばれてしまった。そして、どんどん街の中を郊外に連れて行かれる。  世界樹の見える丘を登らされた、その時だった。  向こう側から、グルージャやメテオーラ、そしてリシュリーにシャオイェンがやってくる。四人が背を押しているのは、白衣の青年だ。 「ク、クアン!? お前、なにやってんだよ!」 「や、やあ、ラミュー。パッセロさんを手伝ってたら、突然この子たちが」  リシュリーは既に旅装に身を固めている。メテオーラもシャオイェンも旅立ちの準備を整えたようだ。グルージャも今日は、珍しくめかしこんだ格好をしている。  そして、世界樹の見える丘の上で、ラミューはクアンの前に放り出された。  仲間の少女たちも妹たちも、笑っている。 「な、なんだよこれ! どうしたってんだ……おい、クアン」 「さあ、えっと……でも、そうだね、うん。いい機会だから、ラミュー」 「ヘイ、グルージャ! こりゃいったい……ああ?」  皆が見守る中で、ラミューは突然クアンに抱き締められた。突然のことで、驚きに息をするのも忘れてしまう。鼓動は高鳴り、豊満な胸から神像が飛び出しそうだった。 「ラミュー、君と家族になりたい」 「え、あ、お? おおう……な、なな、なっ、なに言ってんだよクアン! ……オレたち、兄妹だろうが」 「新しい家族を一緒に作っていきたいんだ」 「……こんなオレでも?」 「そういう君だから、さ」  気付けば、エミットやレオーネ、そしてポラーレたちも来ていた。大勢の仲間たちの中で、グルージャが笑顔で頷く。それは、誰にも見せたことがないような優しい笑みだった。  クアンの胸の中で、兄だった人をラミューは見上げた。  そして、周りが囃し立てるままに、これからの伴侶とくちづけを交わす。  世界樹が見守り祝福する中で、二人の冒険は終わり、新たな日常が始まるのだった。