ニカノール・コシチェイは死んでいる。
彼は代々ずっと
酒場の騒ぎが収まりつつあるなか、お月さまのような少女に抱かれてニカノールは思った。
どうやら少女たちも、
そして、闇の中で脳裏に一族の者たちが言葉となって浮かび上がる。
『おやおやニカ、ニカや。もう死んでしまったのかい?』
『せっかちな子だねえ、まだ
『しかし、いい
『本当、
白光りする骸骨が笑い、吸血鬼となった
腐れど臭わぬ死体の親族たちに、包帯まみれのミイラを選んだ
皆が話し合う中で、現当主である父はニカノールにこう言った。
『ニカ、お前は賢い子だが……考えがなさすぎる。まあ、若気の
こうして、ニカノールの生まれて初めての旅が始まった。
それは、このアルカディアの中央に位置するアイオリスの街で、世界樹の迷宮に挑むこと。長らく閉ざされた神秘の秘境として、世界樹は大陸中を静かに見守っていた。
その静寂の中に、コシチェイ家のニカノールが不死である秘密が隠されている。
ニカノールが生まれた際に、祝祭に沸き立ち歓喜し過ぎた先代が、いや、先々代だったかそれとも……とにかく定かではないが、長老の一人が悪ノリしてしまったのだ。嬉しさのあまりその人は、ニカノールの命を世界樹のどこかに隠した。
コシチェイ家の者たちは皆、身体の外へと命を隠す。
肉体は常に不死のまま、
そんなことを思い出していると、不意に現実が騒がしくなる。
もう死んだフリもいいだろうかと思った、その時だった。
不意に、ハキハキと歯切れのいい女の声がした。
「なんと、
不意に、お月さまのような少女が「あっ」と声を発した。確か、ラチェルタと名乗った女の子だ。そのラチェルタのぬくもりから引き剥がされ、突然ニカノールは抱き上げられる。
事情を説明しようと薄目を開けた、その先には。
引き締まった肉体の長身が、姫君のようにニカノールを酒場の隅へ運んでくれている。
それは、精悍な顔つきに豪放な笑みを浮かべた、セリアンの女だった。
そう、女……両腰に太刀を
彼女は有無を言わさず、奥の長椅子にニカノールを寝かせる。
慌ててニカノールは、事情を説明しようと慌てた気持ちを声にする。
「あ、あの! どうもご親切に。でも、僕は……ええと、どこから説明しようかな」
「わっはっは、面妖な! これも死した無念のなせる技か? ともあれ、安心せよ。私は蘇生術にも自信がある。黙って息を吹き返すまで寝ておれ。なに、任せよ!」
「任せよ、と言われても、って……ちょ、ちょっと!」
「まずは気道を確保し、人工呼吸だな! その後、肋骨が折れるくらい強く心臓に刺激を与える。これの繰り返しだ、抜かりはない! では、いざっ!」
その女は、惚れ惚れするほど男らしい笑顔をしていた。慌てず騒がず、最善を尽くすと決めた
次の瞬間にはニカノールは、細いおとがいをガシリと片手で掴まれた。
同時に、もう片方の手で整った
大きく息を吸い込んだセリアンの女が、唇を重ねようとしたその時だった。
間一髪で助けが入り、先程の二人組が声をかけてくれた。
「ちょいと待った、
「見たとこ、訳ありながら……生きてるみたいだけど。極めて不自然な状況だが、間違いない。恐らく屍術師の類じゃないかな? そうだよね、君」
それは、先程自分を止めてくれた二人組だ。どちらも冒険者の青年で、
二人は目を丸くして何度も
「なあ、姐さんよう。あんたの肺活量でそんなことしたら……ことだぜ?」
「ナフムの言う通りだね。息を吹き返すどころか、破裂してしまうよ」
「それに、事情ありと見たが……おい、あんちゃん。もう起きちまえよ」
「しかし、いい機転だったね。おいそれと真似はできないけど。少し興味が湧いてきたところだよ。君にも、君がそうである理由にも」
それでようやく、ニカノールは女の膝枕から起き上がった。
次の瞬間には、突然豊満な胸の谷間に抱き締められる。武芸者の女は「おお!」と感激に笑顔をことさら眩しくして、ニカノールを両腕で圧殺せんとばかりに抱き竦めたのだ。
「よしよし、生き返ったか! わっはっは、それはよかった! 命拾いしたな!」
「あ、いや……拾えてはいないし、もともと死んでるだけなんだ。でも、ありがとう」
「なに! 気にするな、セリアンの女は義理人情に厚いからな。しかし、こうしてみると生っちょろい奴だな、ちゃんと食べてるのか? 肉だ、肉を食べんといかんぞ!」
「はあ……考えときます」
ようやくニカノールを解放して、女はまきりと名乗った。聞けばセリアンの
そして、背後で声が響く。
「お前さんたち、悪かったな……オイラ、助かっちまったぜ」
振り返ると、先程の少女二人組に両脇を支えられながら、吟遊詩人の老人が立ち上がっていた。どうにもぼんやりと覇気のない雰囲気だが、不思議と眼光は鋭い。
そして、ニカノールと目が合うなり、老人はニッカリと頬を崩した。
「オイラは、そうだなあ……確かコッペペってんだ。改めて礼を言うぜ、ありがとうよ」
「確か、って。ええと、コッペペさん? お怪我は」
「なに、どういう訳か身体だけは頑丈でな。んでまあ……へへ、お嬢ちゃんたちにもお礼をしなきゃなんねえ。今時ちょっと見ないいい娘じゃないか」
締まらない笑みを浮かべたコッペペは、ただならぬ気配をニカノールへと伝えてくる。この緊張感のないアースランの男が、不思議とニカノールには油断ならない人物に思えた。同時に、得体のしれぬ奇妙なコッペペの感触は、自分たちに敵意を向けてこない。
心からの感謝が浮かぶ笑みは、次の瞬間にはだらしないニヤケ面になった。
「で……ラチェルタちゃんだったかなあ? うんうん、ありがとよぉ……ほう! これは……うーむ、まあ、将来有望とだけ言っておこうかのう」
「ひあっ! お、おじさん、触った! む、胸っ!」
「こっちの威勢がいいのは、マキシアちゃん。ふむふむ……健康優良児だねえ、発育
「てっ、手前ぇ! どこ触ってやがる!」
肩を貸してくれる二人の胸を、さりげなくコッペペは触って揉んだ。
そして次の瞬間には……まきりが真顔で握った拳を、彼の顔面にめり込ませていた。
「二人共、大丈夫か? いけない御老体だなあ、今度やったらぶつぞ?」
「イチチ……ナイスパンチ。もう、ブン殴ってるけどな」
「それは御老体が不埒な振る舞いをするからだろう。なあ?」
同意を求められて、ニカノールは困ったが……とりあえずナフムやフリーデルと一緒に
コッペペは懲りずに、まきりの見事な胸の膨らみにも触れたのだ。
「御老体! ぶつと言ったぞ、ぶつからな! まったく、なにを考えているんだ?」
「いやあ、オイラの国じゃ『美人は胸揉め、揉めばさらなる美が実る』……そう言われてるのさ」
「なるほど、そうだったか! そうか、私は美人なのか、わはは! やはりか!」
「ああ、だからもう少しいいかね?」
「そういうことならば致し方ないな。御老体、存分に揉まれよ! ……ん? どうしたニカノール。お前も揉むか?」
首を横に振りつつ、ニカノールはまきりを止めた。どうやらまきりは、竹を割ったような性格の快活な美人だが……少し、いやかなり、ちょろい。
残念そうに手をワキワキさせるコッペペに、改めてニカノールは向き直った。
「で、コッペペさん。そういえば、お国はどちらなんですか? もしや、海を超えてアルカディアへいらしたのでは。少し、この大陸のアースランたちとは雰囲気が違います」
「おお、それな! それが……オイラにも思い出せねえのよ。オイラにわかんのは、千の
コッペペは自分が記憶喪失だと語り、やる気は出ないが過去を探しているとも語った。そして、以外にもギルドの設立や運営に詳しい彼のお陰で、ニカノールの冒険者としての暮らしが本格的に始まるのだった。