ニカノールは絶句した。
アルカディア評議会より言い渡された、冒険者としての登録試験の途中での出来事だった。世界樹の迷宮、その地下一階を歩く中での遭遇。謎の一団に囲まれた同業者と、それを助けようとしていたあの時の少女。
アイオリスの街で出会った、ラチェルタが気前よく財布ごと全財産をあげた女の子だ。
それが今、全身に無数の矢を生やしたまま、首を一閃で叩き落されていた。
転がる頭部を探すように、オロオロと首のない胴体が僅かに身を屈める。
「ナフム、これ……えっと、駄目だよね! 女の子になんて酷いことを」
「馬鹿お前っ、そういうレベルじゃねえ! 俺の影にいな……フレッド! みんなも!」
真っ先に反応したのは、ナフムだった。銃を抜きつつ盾を構えて、巨大な鎌を持った
驚くニカノールを守るように、周囲の仲間も身構える。
「クソッ、冒険者か! 始末に手間取るから!」
「だが、一緒に消しちまえば問題ねぇ!」
「おい、掃除屋! こいつらも片付けろ!」
そこから先は、言葉の支配が及ばぬ時間だった。
ゆらりと
重い金属音が響く中で、ナフムも迷わず
ナフムもそうだが、フリーデルも冷静だった。的確なコンビネーションで互いをフォローし合って、飛んでくる矢にも対応する。ニカノールだけがこの時、ようやく理解していた。戦闘だ。それも、魔物とではなく謎の人物たちと。振り返れば、エランテも
そして、そよ風のように柔らかな剣舞が踊った。
闇狩人の巨大な鎌を、ラチェルタの剣が
「おねーさん、駄目だよっ! ここは世界樹の迷宮……人間同士が戦っていい場所じゃないんだ! パパもママも、そう言ってたもん」
「――ッ!? 私の一撃を受け流すか」
「さっきの子、マスターって人を助けたがってたよ。あの人でしょ、この子のマスターさん。なんで……こういうの、駄目だよぉ!」
ニカノールは
ラチェルタの剣技は、正当な流派の技を修めた基礎が感じられた。
同時に、
実力では勝ると思われる謎の闇狩人も、やりにくそうに端正な無表情を歪めた。
ニカノールが呼びかけられたのは、そんな緊迫感の真っ只中だった。
「あの、そこのイケメンの人! 暇ですか? アタシ、困ってるです。頭、拾ってください!」
死体が喋った。正確には、オロオロとまだ立っている死体の足元の、生首が。慌てて膝を突いて屈めば、驚くことに生首が言葉を続ける。左目を包帯で覆った
ニカノールは驚くことも忘れて、驚くに値しないなと呑気に思い出す。
彼の家柄は代々の
「えっと……大丈夫? 首、くっつけようか?」
「ホントですか!? 嬉しいです、イケメンの人はイイ人です」
「君、人間じゃないよね。アースランじゃないって意味じゃなく……生きた人間じゃない」
「ほえ? そゆの、アタシは難しいからわからないです。でも、でもっ……アタシはマスターを守りたいです! マスターのテーソーが危ないのです、この人たち悪い子なのです!」
両手で大事そうに少女の頭を抱えて、ニカノールは立ち上がる。
彼女はノァンと名乗り、たどたどしく
奥を見やれば、弓を射る男の足元にへたりこんでる少年がいる。
酷く
「えっと、じゃあ……僕に任せてくれる? ちょっとやってみるよ、ノァン」
「ありがとです、えと、えと……イケメンの人は」
「僕はニカノール、ニカでいいよ」
「はいです! ニカ、凄くイイ人です! アタシ、そゆ人は好きなのです!」
「はは、ありがと。じゃあ……人に使うのは初めてだけど」
不意にニカノールの周囲で、空気がシンと鳴る。
響く
そして、ニカノールの周囲に闇が
瘴気が満ちてゆく中で、彼の影からおぞましくも
不意に空気中で、ドス黒い負の力が凝結してゆく。
それは、屍術師が呼び出す現世への執着、遺恨を残した死者の霊だ。
悪漢たちはどよめきたった。
「チィ、やっかいな!」
「なにしてやがる、掃除屋っ! さっさと全員片付けちまわねえか!」
だが、ナフムたち四人の仲間は瞬時にニカノールのことを察してくれた。会って間もないのに、
屍術師は、死霊を呼び出し使役する。
戦いともなれば、召喚されし死霊は盾となり剣となって、術者に助力するのだ。
……高レベルの屍術師ならばの話だが。
「あ、あれ? お、おーい、君たち……えっと、手伝って……くれない、みたい、だね」
ニカノールは呑気に呟いた。
呼び出されたおぞましき怨念たちは、盾となって敵を阻むものの……ニカノールの言うことを全く聞いてくれない。働く気配を見せず、相手を攻撃しようともしなかった。
それを見て、緊張に強張っていた男たちがニヤリと笑う。
ニカノールの生まれと育ちは一流の名家だったが、腕はまだまだ半人前だったのだ。
だが……その時驚くべきことが起こった。
「ニカ、それってナイスなのです! マスターより上手です、三匹も死霊さんが出たです! ……次は、アタシの番ですっ!」
ニカノールが胸に抱く首が、声を弾ませた。同時に、ノァンの首から下が動き出す。全身を矢で飾った肉体は、マントを脱ぎ捨てるや跳躍した。小柄な細身ながらも、肉付きがいい
首のない胴体が、悪漢立ちの足元に拳を叩きつける。
あっという間に土砂が吹き上がり、巨大なクレーターが
天井へと舞い上げられた土が重力に捕まる中で、ゆらりとノァンの体だけが立ち上がる。
「マスターをいじめたから、やっつけるです!」
「す、凄い……ノァン、君は
「わかんないです! でも、マスターの敵はいつもアタシがボコボコにしてきたです。こぉ、やっ、てぇーっ!」
「あっ、駄目だよ! ノァン、君の力で殴っちゃ、人は」
思わずニカノールは、ノァンの首をギュムと抱き締めた。腕の中で見上げてくるノァンは「そですか? そですね!」と笑った。
同時に、ノァンのマスターを放り出して男たちは逃げ始める。
例の闇狩人も、暗い瞳でニカノールを睨み、走り去った。
やれやれとナフムたちも武器を収める。ラチェルタは真っ先にノァンの胴体に駆け寄り、その手を取って一緒に歩いてきた。フリーデルはノァンのマスターと思しき少年を気遣い、呆然としている彼を立たせる。
やれやれとへたりこむニカノールの胸の中で、あっけらかんと首だけが
「あ、よく見れば! さっきお金くれた子です! あの時はありがとうです!」
「ううん、気にしないで。それより、えっと……冒険者さん、雇うのに足りなかった?」
「それがですね、酒場にいったら女将さんが……肉煮込みを作ってたです! すっごくイイ匂いがして、その、ちょっとだけと思ったら! アタシ、全部お金を使ってしまったです」
「そっかー、肉煮込みならしょうがないよね。ふふ。でも、無事でよかった」
「アタシもそう思うです! 首が取れただけで助かって、マスターも無事で嬉しいです!」
誰もが呆気に取られる中で、ノァンとラチェルタだけが笑っていた。
これが、ニカノールにとって