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 少しゆっくりめに起きて、朝も遅い時間にラチェルタはベッドを出た。身だしなみを整え食堂に降りれば、(すで)に冒険者たちは朝食を終えて出発したあとだった。
 今日はギルド"ネヴァモア"は休日ということになっている。
 命懸けの冒険といえど、誰にとっても世界樹の探索は日常でしかない。必定、定期的に休日を設けて心身を休めなければ、タフな迷宮での冒険は長続きしなかった。
 ラチェルタは宿を取り仕切るジェネッタと挨拶を交わし、朝食を受け取る。
 トレイに牛乳とパン、卵はスクランブルにしてもらって、こんがりベーコンと野菜サラダ。多からず少なからずのメニューを手に食堂を見渡せば、見知った少女が帳面を(にら)んで難しい顔をしていた。

「あれー、マキちゃんだ。おはよー! 今日はそっちも休みじゃなかったの?」

 ラチェルタの声にマキシアは顔を上げる。
 中性的な顔立ちに発育の良い少女が「おう、おはよ!」と立ち上がった。そのままラチェルタは彼女の向かいに座り、手元を覗き込む。
 どうやらマキシアは、ギルドの支出を帳簿につけているようだ。
 ペンを片手に、並ぶ数字に目を凝らしている。

「なあ、チェル……そっちはどうしてんだ?」
「なーに? 帳簿? あ、うん……フレッドがつけてくれるよ」

 フレッドというのは、フリーデルの愛称だ。ルナリアの青年は細かなことに目配せの効く人間で、冒険のための予算も計画的に管理してくれていた。その上で、その日その日の収入が予定を上回れば、ちゃんと全員に還元してくれる。
 ラチェルタはフリーデルの財産管理がありがたいとさえ思っていた。
 彼のお陰で最近、お小遣いを貯金しておくことを覚えたくらいである。
 だが、マキシアのギルド"トライマーチ"は少し違うようだ。

「まずな、チェル……コッペペのじーさんがなにもしない。ギルドマスターなのに働かない、それなのにすぐ金を酒に変えちまう」
「でも、時々お小遣いくれるよ?」
「ああ、オレにもだ。だが……ありゃ、トライマーチの金なんだよ」
「そっかあ……じゃ、返さなきゃ」
「いーんだよ、もらっとけ。ただなあ……そうやって遊び歩いてるじーさんの情報網を思えば、無下にコストをカットする訳にもいかねーし」

 ぐぬぬ、とマキシアは腕組み(うな)ってしまう。
 確かにラチェルタも、時々コッペペが意外な冒険のヒントを持っているのを目にしていた。老獪(ろうかい)飄々(ひょうひょう)と掴みどころのない老人は、遊び(ほう)けていいるかと思えば、両ギルドに利のある話を持ってきたりもする。
 そして、トライマーチの資金問題はこれだけではなかった。

「フォリスのあんちゃんは、あれは……むしろ、もう少し積極的に金の()かし方を考えてほしいんだがよ。やる気が全くねぇ。で、ノァンはすぐ無駄遣いしちまう」
「あー、わかる。ノァンは時々夜に、ニカと一緒にどこかに出かけるよねえ」
「だろ? その夜遊びも手伝って、やりくりに苦労してんだわ」

 そういえば、ラチェルタはマキシアが冒険に出ているのをあまり見たことがない。トライマーチは先日、香草師(ハーバリスト)のキリールを仲間に加えた。彼は盲目だが腕が立ち、危険な冒険には欠かせぬメンバーになっていた。……特異な育ちと暮らしを生きてきたせいか、性的な意味で少し危うい性格をしているが。
 そういう訳で、現在のトライマーチのメンバーは六人。
 自然と、マキシアが留守を預かることが多くなった。
 仲間達が迷宮での冒険に汗を流している時、マキシアは(いち)へ行ってアイテムを買い揃え、帳簿をつけ、宿の掃除や洗濯を手伝い、その日その日の地図や魔物の情報を整理する。いわば、縁の下の力持ちという訳だ。

「でも、マキちゃんも迷宮に行けばいいのに。すんごいワクワクするよ?」
「あー、チョコチョコ行ってるんだけどな……主にクエストで。オレがいねえとほら、アレだよ……ノァンの奴が」
「はは、ノァンは元気が有り余ってるからねー。んで、ニカがすんごく意気投合しちゃうから」
「そうなんだよなあ」
「そうなんだよー」

 こいつめ、とマキシアは指でツンとラチェルタの額を押して、(ほが)らかに笑った。
 ラチェルタも納得で笑みを返す。
 離れて暮らした時期もあるにはあったが、ラチェルタとマキシアは幼馴染(おさななじみ)の大親友だ。
 そして、自然と彼女たち二人は……共通の友人であるもう一人の少女を思い出す。

「そういや、レヴィは元気にやってんのかねえ。あいつ、すんげえ几帳面だから、こゆ時はいると便利なんだけどよ」
「うんうん。オマケに堅物で融通が効かなくて、でも……いっつも面倒見てくれたよ?」
「お節介が服着て歩いてるような奴だったからな。ま、オレ様の最強伝説に欠かせねえ奴さ……頭は切れるし、仕事は完璧。ただ」
「うん、ただ」

 二人は「ただ、なあ」「ただ、ねえ」とゆるゆる笑う。
 (くだん)の人物、レヴィール・オンディーヌとはそういう女の子だった。とどのつまり、ゆるゆるな元気娘のラチェルタと、威勢ばかりいい夢見がちなマキシアのブレーキ役である。一つか二つほど年上で、三人はいつも一緒に遊んでいたし、時々は大冒険を共にしたものだ。
 自然とラチェルタは、マキシアと暮らしたタルシスの街、そして両親と旅して過ごした異国の日々を思い出す。マキシアも同じ様子で、懐かしの故郷に二人は想いを馳せた。

「レヴィがいりゃあ、こんな帳簿なんざすぐに片付くんだけどなあ」
「マキちゃん、昔から細かい計算まるでダメだもんね!」
「よせやいチェル……照れるぜ」
「でも、頑張ってる! よっ、トライマーチの金庫番!」
「はっはっは、よせよせ。なんも出ねーぞ」

 会話を交わしつつ、ラチェルタは元気に朝食をパクつく。マキシアも嬉しそうに冷めたコーヒーをすすりつつ、帳簿の整理を再開した。
 二人は自然と、このあとどこに出かけるかとか、どうやって過ごすかで話題に花を咲かせる。まだまだ遊びたい盛りの少女たちにとって、アイオリスの街は魅力的な大都会だった。暮らし始めてまだ半月ほどだし、アチコチ見て回りたくてウズウズしていたのだ。
 だが、そんな二人の背後に、突如として人影が立つ。
 整った身なりは、腰に剣をはいた少女だ。
 彼女は咳払(せきばら)いを一つして、よく通る涼し気な声で二人に呼びかけた。

「ゴホン! ……久しぶりね、チェル! マキも!」


 ラチェルタが振り向くと、そこに少女剣士(フェンサー)が立っている。
 マキシアもそれを見て、首を傾げた。
 恐らくラチェルタも、同じ顔をしているだろう。二人は顔を見合わせて、それからややあって……「あっ!」と声をあげて二度見した。
 そこには、先程噂していたばかりの人物が立っていたのだ。

「レヴィ! レヴィール・オンディーヌ! お前っ、どうしてアルカディアに!?」
「わー、レヴィひさしぶりー! すっごい元気そうだね!」

 その名は、レヴィール・オンディーヌ……さる国の辺境貴族の娘だ。ゆくゆくは領主様という、英才教育を受けた才色兼備の御令嬢(おじょうさま)である。
 レヴィールは二人を見やって肩を(すく)めると、両手を広げてやれやれと首を振る。

「二人共、初めての冒険者家業で苦戦してるわね? ええ、そうよ、私にはわかるわ。……本当にもう、私がいないと駄目なんだから。でも安心して、今っ、私が来たわ!」

 レヴィールはやる気に満ちた瞳を輝かせながら、ポンとラチェルタとマキシアの肩に手を置く。
 昔から彼女は、二人に対してお姉さんぶることが多かった。
 意外に猪突猛進(ちょとつもうしん)なところがあって、綿密な計画性が自慢なこの少女は……幼少期にはラチェルタとマキシアの起こしたトラブルを何倍にも膨らませる名人だったのだ。
 だが、二人共そんなレヴィールが好きだったし、会えばいつも笑顔が絶えなかった。

「それで? 二人共、ギルドは……ふふ、まだよね。よろしい! 私が今から冒険者ギルドに連れてってあげるわ」
「あ、いや……その、なあ。レヴィよう」
「あのね、レヴィ。ボクたち、その、今日は……オヤスミなの! 休日!」

 レヴィールは目を点にして、長い睫毛(まつげ)(まばた)きに揺らす。
 そこからラチェルタは、マキシアと交互に現在の状況を語った。まだまだ始まったばかりの迷宮探索だが、無事に二人共ギルドに参加できたこと。仲間に恵まれて、日々の収入でなんとか暮らしていること。ワケアリな人間ばかりが集まったが、気のいい人達で安心だということも伝えた。
 レヴィールは何故(なぜ)か、すごーく残念そうな顔をした。

「そ、そう。よかったわ、安心した! そ、それなら、いいのよ……ええ、全然いいわ……あーあ、そう……よかったわね」
「レヴィ……お前」
「なんかさー、ひょっとして……苦戦してるって思ったでしょ」

 ギクリ! と、レヴィールは身を固くした。今度はラチェルタがマキシアと一緒に、やれやれと溜息を(こぼ)す番だった。聞けば、彼女は二人が旅立ったと知るや心配性を(こじ)らせ、日々の祖母のレッスンも身に入らぬ有様だったという。
 それでなんと、あの堅苦しい家を飛び出してきたのだ。

「まあ、でも安心して! 私が来たからには、大船に乗ったつもりでいて頂戴(ちょうだい)!」
「お、おう……まあ、その、なんだ。チェル、そっち……ネヴァモア、人手が足りないだろ?」
「えーっ! ここはトライマーチだよ! ほら、マキちゃん帳簿に苦戦してるし!」
「ちょっと、二人共。ふふ、なーに? 私を取り合ったりして。まったく、やっぱり私がいないと駄目ね!」
「……それは、違うぜ」
「……うん、全然違う」

 だが、久々の再会で自然と笑顔が綻ぶ。
 とりあえずラチェルタは、午後にはレヴィールをマキシアと一緒に連れ出し、アイオリスの街を見せてあげようと思った。スムーズに午後の予定が決まったところで、ちょうど綺麗に朝ごはんを平らげるラチェルタ。三人の休日は、出会った幼少期と変わらぬかしましい笑顔に満ちあふれていたのだった。

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