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 世界樹の迷宮での探索は、日々順調だ。
 毎日三食食べてるし、すこぶる健康体である。
 ジェネッタの宿では毎晩、柔らかなベッドでゆっくり眠れた。
 だが、その全てがフォリスにはどうでもいいことだった。
 彼の見る世界は(いろど)りを失い、モノクロームに沈んでいる。最愛の恋人と六人の親友を奪われたあの日、全てが色を感じなくなった。味も音も、匂いさえも。それがあるかないのか、それすらわからなくなったのだ。
 それは、無念の死を遂げた七人の死体からノァンを生み出し復讐を遂げても変わらなかった。復讐ではなにも得られず、厄介事ばかり増えた挙句(あげく)……フォリスは今、冒険者などというよくわからない仕事をしている。
 そして、ナフムとフリーデルに引っ張り出されて、さらによくわからない夜を過ごしていた。
 二人は言葉を交わしながら、華やいだ街の中を歩く。

「おい、フレッド。本当にこっちに来たんだろうな? あの二人が?」
「ああ、目撃証言も集中してるし間違いない。安く休憩できる特殊な宿も多いしね。フォス、君はなにか聞いていないかい?」

 フリーデルが振り返るので、フォリスは「いや、特になにも……」と曖昧な言葉を返す。
 ここはアイオリスで一番の花街だ。
 周囲には客引きの女達がきらびやかに着飾って(こび)を売っている。夜を知らぬかのようにどの店も煌々(こうこう)と明かりが灯って、男と女の笑いが絶えなかった。


 フォリスがナフム&フリーデルのコンビと探しているのは、ニカノールだ。そして、ノァンもである。フォリスは放任主義で特になにもしていないが、ノァンは最近夜遊びを覚えてしまったのだ。それも、ニカノールと一緒に。
 夜な夜な二人は、人目を忍ぶように連れ立って宿を出てゆく。
 そのあとを追いかけて足取りを掴んだのが、この遊郭街(ゆうかくがい)という訳だ。
 フォリスがイマイチ真剣さを見せないので、ナフムが腕組み説明してくれた。

「フレッドから聞いたんだが、不死者(アンデッド)になると……満月の夜に衝動が抑えきれないらしい。そう、なんの衝動かというと……生への執着、転じて性への妄念となる!」
「はあ、まあ……そういう、話もある」
「だろ? フォス、ノァンはむちぷりとしててもまだ子供、ニカだって世間知らずなお坊ちゃんだ。夜の街はちょいと早過ぎらあ。……それに、どうしてもってんなら安全で安心なイイ店を紹介してやらにゃいかん。それと」
「それと?」

 ぐいとナフムが顔を近付けてくる。
 彼は真剣な目をしていたし、ニカノールとノァンにはとても親身なのを知っている。
 フォリスはナフムが、そしてフリーデルが気のいい男達だと思っていた。だが、それだけだ。どこか他人事のようで、なにもかもがただ自分の上辺(うわべ)を滑って流れていくように感じる。

「それとな、フォス……ニカとノァンが、まさか、こぉ……若い不死者同士、なんつーか」
「それは……ないと、思う」
「そ、そうか? いや、俺は一応両ギルドのことも考えて、あ、いやでも当人の気持ちが」
「ノァンは……そういう風にはできてない(はず)だから」

 恋人と六人の親友、合わせて七人の死体を()()ぎして生み出した死体人形(ゾンビ)、それがノァンだ。だが、人知を超えた力を持つ彼女には、死んだ恋人の魂は宿らなかったのだ。七人の誰でもなく、ノァンはノァンという人格と自我でフォリスが生み出してしまったのである。
 そのことを説明しようとした時、フリーデルが一際豪華絢爛(ごうかけんらん)娼館(しょうかん)を指差す。

「とりあえず、いつもの店で情報を探ろう。フォス、ここは夢見(ゆめみ)夜魔亭(やまてい)といってね。信頼できる店だし、信用された者しか出入りできない」
「俺らの顔があればフォスも大丈夫だ、いいから来いよ」

 怪訝(けげん)な顔をしてしまったが、つれられるままフォリスは賑やかな店内に入った。一階は酒場になっており、きわどいドレスの女性達が男の相手をしている。皆が笑顔で酒を飲み、出された料理に舌鼓(したづつみ)を打っていた。
 そして、一組、また一組と男女は二階の部屋へと消えてゆく。
 この酒場で相手の女を探し、気が合えば夜を共に過ごすのだろう。
 明るく楽しげなの雰囲気に萎縮していると、不意に足元から声がした。

「ナフム、それにフリーデルじゃな? また飽きもせずにまあ……じゃが、歓迎するぞよ?」

 見下ろせば、小さなブラニーの少女が三人を見詰めていた。少女といっても、ブラニーは見た目で年齢が判断できない。それに、少女の姿をしていても娼館の女だ。フォリスは自然と、見上げる視線が濡れた熱を帯びて、纏う着衣もどこか煽情的(せんじょうてき)なのに気付く。
 つまり、そういうのを好む客がいて、ブラニーの女にも需要がある訳だ。
 そして、その女はどうやらナフムとフリーデルの顔見知りらしい。

「よぉ、メルファ(ねえ)さん。ちょいと身内を、仲間を探してんだ。この花街に迷い込んでると思うんだが」
「ふむ、コッペペのことかのう? さっき新入りをはべらせて外へ出ていったが」
「あのオッサン、どこからそんな金を……あ、いや、俺等より少し若いルナリアの男と、青い髪のアースラン、こっちは女の子だ。左右の目の色が違う。二人共やたら色白で血色が悪いから目立つ筈なんだが」

 どうみても幼女なメルファは、ふーむ、と唸って腕組み考え込む。
 そして、次の瞬間には……シュボン! と真っ赤になった。

「ま、まさかお主等……その二人を悪の道に誘い込むつもりじゃな! あわわ、口では言えぬようなアレコレを仕込んで、異国の地に売り飛ばすのじゃろ! 薄い絵草紙(えぞうし)みたいなことする気じゃろ、薄い絵草紙がアツくなるようなことする気じゃろう!」

 フォリスは一瞬、なにを言ってるんだこの女はと思ったが……敢えて口には出さない。そして、毎度のことのようでナフムとフリーデルは交互にメルファの頭を撫でた。まるで幼子のように扱うが、二人の視線には敬愛と尊敬の眼差しが見て取れた。

「おいおい、毎度の妄想を広げるなよメルファ姐さんよう」
「二人が心配なんだ。特別な事情があるとはいえ、少年少女だからね。過ちは起こさぬにこしたことはないし、夜の街を楽しむにしても知識や作法を覚える必要はある」
「あ、ああ、そういう話じゃったか……つい想像力が暴走してしまったのう」

 妄想力の間違いではないだろうか。
 そして、メルファはなにかを思い出したようで、振り向くなり店の奥を指差した。
 フォリスはぼーっと見やって無感動だったが、ナフムとフリーデルは声をあげるなり駆け出す。
 そこには、テーブルを挟んでニカノールとノァンが座っていた。

「おいっ、ニカ! ノァンも! っちゃー、どこで覚えたんだこの店」
「不幸中の幸いだけどね。夢見の夜魔亭は昔気質(むかしかたぎ)のちゃんとした宿だし、メルファ姐さんを始めとする職業意識の高いプロの根城だから安全さ」
「お前らなぁ、その……わかるぜ? 俺はわかるつもりだ、不死者も大変だからなあ」
「その、満月の夜が辛かったら相談してほしかったな。……って、ニカ? ノァンも、なにを……え? な、なにを……食べてるんだい?」

 半裸の女と景気のいい男とが、飲んだり食べたり喋ったり、そして時々口づけしたり。そうして過ごす酒場の片隅で……ニカノールとノァンは(なべ)を囲んでいた。
 二人のテーブルの鍋には今、野菜と肉がぐつぐつ煮えていい匂いをたてている。
 ニカノールはノァンと顔を見合わせると、あっけらかんと呑気に笑った。

「ああ、ナフム。フレッドも、それにフォスも? 座って一緒に食べない?」
「アタシとニカと、こうして時々鍋なのです! 満月の夜は、なんだかウズウズするのです」
「そうそう、そういう時は……食い道楽だよねえ、ガッツリ美味しいものを食べなきゃ」
「はいです! でも、アタシ達あんましお金ないです……この街に迷い込んで途方にくれてたら、メルファがここで鍋を食べてけって言ってくれたです!」

 安堵の溜息をつきつつ、苦笑するナフムとフリーデル。
 フォリスは改めて実感した。
 ノァンは七人の死体から生まれた、七人の誰でもない不死者の少女だ。多くの死体を織り交ぜ縫い止めた肉体は、少女ですらないが。だが、彼女はフォリスの視線に気づくと、取り皿に一所懸命鍋の肉を盛り付け始めた。

「マスター、マスターも食べるです! 美味しいもの食べるとシアワセになれるのです……アタシ、マスターにもシアワセになって欲しいです!」
「あ、ああ」
「それとも、マスターは女の人がいいですか? えと、アタシのお小遣いで足りるかな」
「あ、いや、ノァン。いいんだ……みんなで、鍋を食べよう」

 首から下げたがま口の財布を、ノァンはじゃらじゃらとかき混ぜる。フォリスが与えてる小遣いなので、中身は知っているが……不思議と気持ちが嬉しかった。そして、もう女に興味はないし、女を抱けない身体なのだとそっと告げる。
 ナフムもフリーデルもさして驚かなかったし、なにも言わない。そのことがちょっぴり嬉しかった。
 ただ、ニカノールは少し違って、それも彼らしいと苦笑すれば嫌ではない。

「えっ、フォス! それ、大変だよ! そ、その……駄目なのかい?」
「ああ」
「全然? ピクリとも?」
「そうだな」
「だ、大丈夫だよ、困ったら僕に言って。実家に手紙を書いて、いい薬を探してもらうよ。お香なんかも効果あるし、精のつく食べ物で回復したって話もあるし」
「ん、いいんだ。ただ、その……あ、ありがとう」

 まるで自分のことのように、ニカノールは心配してくれた。その親身な態度が、少しだけフォリスの世界に色を灯す。ぬくもりの彩りは今、モノクロームの世界を少しだけセピア色に飾った。
 店内で悲鳴が響いたのは、そんな時だった。

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