煮えた鍋の載るテーブルから、誰もが背後を振り返る。
そこでフォリスが見たのは、逃げ惑う娼婦達だった。
そして、大柄な男の二人組が店に入ってきた。片方は
招かれざる客であることは明らかだった。
「また来てやったぜ、女共ぉ! ヒャヒャヒャ、よりどりみどりだぜ! ヒック!」
「おいおい兄弟、そのダンビラをしまいな。みんな怖がってるだろうが、へへへ!」
すかさずメルファが女達を下がらせ、
なりは小さくとも、彼女はこの
だが、
そして、
「なんじゃ、お主等! 女を抱きたいなら行儀ようせい。見たところ、冒険者じゃな? 夜の花街で無粋を働けば、勇敢な冒険者の名が泣くぞ? のう?」
腰に手を当て、メルファが上目遣いで両者を
だが、男達は互いに顔を見合わせて
「へへっ、オチビちゃんよぉ……毛も生え揃わねえうちからなにを言ってやがる」
「まあ待て、兄弟。生えてるかどうかはホレ、確かめてやろうじゃ、ない、かっと!」
不意に男は、自分の半分しか身長のないメルファの手を取った。そのまま吊り上げて、今度は両足を持って逆さまにする。必死でメルファは股間を手で守ったが、薄いドレスがまくれて下着が
周囲が慌ただしくなる中で、すぐに動いたのはナフムとフリーデルだ。
冒険は勿論、こうした
ナフムとフリーデルは、そそくさと周囲のテーブルを脇へと寄せる。
自分では行かず、まるで誰かのために場所を作っているようだ。
そして、二人がこの場ではでしゃばらない理由が声を上げる。
「お客様、失礼ですが……お
静かに染み渡るような、どこかハスキーなのにしっとりとした声だ。
誰もが振り向く先に、一人の麗人が立っている。
先程までカウンターでシェイカーを振っていたバーテンダーだ。黒いズボンに白いシャツ、そしてサスペンダーをしている。くびれた腰が目立つ程にスレンダーで、すらりとした長身もあってとても美しい。
彼女は静かに歩み寄る。
なんの武器も持たずに、
その姿を見て、宙吊りのメルファが声を上げた。
「ヨスガ、やりすぎてはいかんぞ! こやつら、ワシに酷いことする気じゃが……薄い
メルファの
そんな周囲をよそに、ヨスガは暴漢へと歩み寄る。
片手でメルファを吊るす男は、もう一方の手で握る剣を突き付けてきた。
「ようよう、ねーちゃん! さがんな。今日はちょいと気分が荒れてんだよ! クソッ!」
「そうでしたか、お客様。それでしたら是非、このままうちの売れっ子を下ろしてお帰りください。少々悪酔いしてるようですし」
「ケッ、
「それは困りますね。私、こう見えても
静かに微笑むヨスガへと、向けられた剣が振り上げられた。
だが、次の瞬間……店内の空気が風となる。
そして、フォリスは目を疑った。
高く高く蹴り上げたヨスガの
「さ、お帰りください。さもなくば……次は貴方自身が天井に突き刺さりますが、それでもよろしいですか?」
「てっ、手前ぇ……この女ァ!」
「……申し訳ありませんが、お客様。
やはりフォリスやニカノールが見破った通り、彼女ではなく彼だった。そして、続いて目を疑う。両手を振り上げヨスガに掴みかかろうとした男は……そのまま鞭のようにしなる蹴りで側頭部を薙ぎ払われた。
ようやくフォリスは、ナフムとフリーデルが周囲を片付けた訳がわかった。
彼等二人が出しゃばらずとも、この
だが、安心を許さぬ
もう一人の男は、銃を握ってヨスガへと突き付けた。
「男かよ……クソッ、やってくれたなあ! ええ!」
「……おやめください、お客様。ご友人と帰ってはいただけないでしょうか?」
「るせぇ! へへ……
男は酔いも手伝って、気が立っている。
だが、その時フォリスの中でなにかが熱く弾けた。
酒の酔いと、命を軽んじる
「……命を、軽々しく……俺の、前で! 人の命をなんだと思ってやがるっ!」
誰もが驚いただろう。フォリスが激して大声を張り上げるなど、ノァンだって見たことがないのだから。だが、普段から無気力でぼんやりしていた青年は、肩を震わせ拳を握っていた。
そして、悪漢の背後で静かに声が響く。
「双方、それまで。そこの
そこには、旅装の
「なんだぁ? 手前ぇもくだらねえこと言ってんじゃねえぞ! なんのつもりだ!」
「拙者、
「……おうこら、舐めてンのかあ! ここがどこだかわかってねえようだな」
「
銃声が走った。
そして、フォリスは絶句した。
その場の誰もが言葉を忘れ、呼吸をも失った。
ただ、脳天気にノァンだけが手を叩いて、それがニカノールの拍手を呼ぶ。あまりに突然の早業に、気付けば娼婦達もあんぐり口をあけたまま
「てっ、手前ぇ……」
「ふむ、
突然現れたセリアンは、腰の
それはフォリスには見えず、ヨスガやナフム、フリーデル達も同じようだ。
そして……発砲と同時に彼が切り払った銃弾は、後ろの柱で煙をあげていた。かなりの腕の
「お主が撃つ、そして拙者がこう……そう、銃弾に対して刃を立てて斬る。さすれば、弾丸は見事真っ二つ! ……というのを書物で読んだが、いやはや難しい!」
「……な、なにもんだ……ッ! こ、今夜はこの辺にしておいてやらあ! 覚えてろよ!」
男は仲間を抱え上げるや、一目散に逃げていった。
それを見送り、武芸者の青年はニコリと清々しい笑みを浮かべる。そして、先程のヨスガの蹴りで放り出され、床に転がっていたメルファへ歩み寄って膝をついた。
「こちらがこの宿の
「え、あ、お、おう……空いておるぞ、ガラ空きじゃが……ここがどういう宿かしっておるか?
「旅の疲れを癒やす旅籠でござろう。
それが、馬鹿真面目過ぎて馬鹿な武芸者、河上虎狼介直房……通称コロスケとの出会いだった。そしてフォリスは、背後で目を輝かせるノァンへと振り返る。
ノァンは、先程見事な体術を見せたヨスガをじっと見詰めているのだった。