アイオリスの町並みを、雑多な種族が行き交う。
ルナリア、ブラニー、セリアン……そしてアースラン。アルカディアの全ての種族が同じ町に暮らしているのは、大陸広しと言えども、ここしかない。
誰もが皆、希望と活力に満ちていた。
そんな往来で、ギターケースを開く青年が一人。
彼の名は、バノウニ……ギルド『ネヴァモア』に所属する
闇狩人だ。
「ふーっ、ふーっ……はぁ。よしっ!」
大きく息を吸い込み、時間をかけて全て吐き出す。
その繰り返しで、バノウニは強張る全身を
弛緩させた。
力まず、気張らず、そして気負わずだ。
程よく緊張が
解けたところで、彼は手にしたギターを構える。脳裏には今、先日からずっと同じ言葉が繰り返されていた。
その人は、年老いた冒険者で、
吟遊詩人だ。
本当はそうなんだと、
竜騎兵として銃を手入れしながら笑っていた。その老人が、バノウニの前で歌って、そして言ってくれたのだ。
『お前さん、まだ自分の声が
呪われてると思うのかい? ええ?』
彼の名は、コッペペ。
師ではないが、彼が
奏でるリュートの調べは、バノウニに歌と音楽の可能性を再認識させた。そして、コッペペが歌声に乗せて語る英雄達の
叙事詩。
遠く離れた別の大陸の、数々の世界樹での大冒険。
それを聴く度に、バノウニの胸で
燻る炎が
煽られる。
燃えてみろよと心を焦がすのだ。
「大丈夫だ、練習通りにやれば……俺の声だって、誰かを笑顔にできる筈だ」
古い
呪師の家系に生まれ、小さな頃から祖父や祖母に術を習っていた。
自分を育んでくれたのも、親の呪師としての稼ぎだ。このギターも、アイオリスへの旅費もそう。まだバノウニは、自分の力で何も掴んではいない。

だが、何者にもなれなくてもいいからこそ、この町へ来たのだ。
何者なのかを問い、自分の望む姿へ変わるために。
胸に手を当て、鼓動をなだめるように撫でると……バノウニはゆっくりと歌い出した。
往来を行き交う人々の、その視線がたちまち殺到する。
「ほう、吟遊詩人かね」
「おっ、いいぞニーチャン! 景気のいいやつやってくれや!」
「私、世界樹の歌が聴きたいわ」
「この町は冒険者の町だ! 俺達冒険者を歌ってくれ!」
歓声に応えるように、バノウニの指が
弦を爪弾く。
ゆっくりと声のオクターブが上がってゆく。
外れるな音程、飛ぶな
詩篇……最新の注意を払って、失敗しないように必死で歌をコントロールする。踊る音符と旋律を掌握し、正しい順序で並べてゆく。
そして、バノウニは自分の歌声を最高潮まで高めて解き放った。
周囲が瞬時に静まり返った。
(これは……聴き入っているのか? 俺の歌に……俺の声に――!?)
そう感じた瞬間だった。
突然、硬い物が
額に投げつけられた。
それでバノウニのギターは、歌と一緒に止まってしまう。
足元に落ちたのは、コインだ。
10エン硬貨が小さく回転しながら、表を上にして停止する。それを石畳に見詰めて、バノウニは何が起こったかわからなかった。
そして、次の瞬間……彼は瞬時に判断し、決断する。
(え? いや、待て……歌は、俺の歌はまだ、終わっていない!)
小銭を投げ入れるギターケースが、ちょっと遠かったのかもしれない。
周囲が静かなのは、聴き
惚れてたかもしれない。
かもしれない……何の根拠もない憶測だ。
だが、バノウニが歌うには十分に過ぎる理由だった。
意味はいらないし、意義は自分で作る。
ただ、思うままに歌う……そして、聴き手へと伝えるのだ。それは、まだ始まってすらいない英雄伝説。不死となった
屍術士と、死体から生まれた
格闘士の物語。バノウニが追いかけるより速く、気を抜けば駆け去ってしまいそうな
冒険譚だ。
それを歌った。
だが、再度小銭が飛んできた。
そして、ざわめきが広がる中で
恰幅のいい男が歩み出る。
「おいっ、小僧! ヒデェ歌だ、やめちまえ!
手前ぇ、それでも吟遊詩人か!」
「――ッ! あ、お、俺は」
「そいつをくれてやるから、黙れと言ってるんだ。フン! 世界樹の魔物の方が、よっぽどマシな声で鳴くわい」
どうやら男は、冒険者のようだ。
だが、そのことが頭に入ってこない。
囁き合う周囲の視線が、まるで肌を切り裂くように冷たい。
そして、唯一理解できたのは……やはり、自分の歌が
不興を買ったということ。やはり、自分のダミ声は呪われているのだ。
どうしていいかわからず、つい「すみません!」と口走った。
何に謝ってるのかもわからず、非があったかどうかも考えられない。
ただ、
睨めつけるような眼差しに促されるまま、震える手でコインを拾おうとする。
荒々しい声が響いたのは、そんな時だった。
「拾うんじゃねえ!」
そして、人混みの中から
逞しい筋肉美のルナリアが歩み出た。ルナリアに限らずアルカディア人は有色の肌を持つ者も多く、彼の筋骨隆々たる長身は緑色だ。そして、ルナリア特有の流麗なる
儚さが全く感じられない。
おおよそルナリアらしくない青年は、バノウニと同じくらいの年頃だった。
「おう、おっさん……手前ぇが拾え。そして、そこのギターケースに自分で入れろ」
「あぁ? 小僧、ワシを誰だと思ってやがる。ええ?」
「おっさん、あんたは……
無
粋
で
野
暮
な
失
礼
野
郎
、それで十分だ!」
「なっ」
「手前ぇ、こいつの歌の何を聴いてた? あの、がなる野犬のような声の中で、どんな物語を感じたかって聞いてんだよ!」
「あっ、あんなものが歌と呼べるかっ!」
「ああ、そうかい……なら、そいつを拾ってさっさと失せな! 歌を歌として聴きもしねえ奴の金なんざ、
ビ
タ
一
文
い
ら
ね
え
っ
て
こ
い
つ
が
言
っ
て
ん
だ
よ
!」
そこでバノウニは正気に戻った。
同時に、いやいやないない、そこまでは言ってない……そう心の中で
呟く。だが、ツッコミしそうになるのを
堪えていると、自然と思考がクリアになってきた。
どうやら緑の肌の男は屍術士らしい。
凄んで今にも中年の男に掴みかかりそうである。
大事になるかと周囲が慌ただしくなったが、それを防ぐように白々しい声が叫ばれた。そう、絵に描いたような棒読みだった。
「わあ、喧嘩だ喧嘩だあー! あ、
衛兵隊の皆さん! いいところにー! こっちで喧嘩なんですー!」
また、同じ年頃の青年の声だ。
バノウニや眼の前のルナリアがそうであるように、少年を脱したか否かという声だった。
それで、慌てて中年の男は逃げ去ろうとする。
だが「忘れもんだぜ!」と、ルナリアの筋肉ダルマはコインを拾って……逃げる中年男の後頭部へと投げつける。
何が起こったのかと
呆然としてると、隣に一人の男が立っていた。
「や、大丈夫? なんか面倒臭そうだったから。あ、衛兵隊? いないいない、そんなの来てない。でも、名演技だったろ?」
男は、奇妙な服を着ていた。
真っ黒な服、
黒衣だ。
首元までピッチリと
漆黒で覆った上着に、同じ色のズボン。ところどころに金色のボタンが光っていた。彼は笑って、先程のマッチョなルナリアも呼ぶ。
「えっと、おたく等さ……ネヴァモアってギルド、知らないかな? 助けたよしみ、知ってたら教えて欲しいな」
「俺ぁ、トライマーチってギルドを探してんだよ。そこによぉ、すっげえヤベェ屍術士がいんだよ。
禁術使いの
背教者らしいぜ」
それが、バノウニにとって後に終生の友となる二人の出会いだった。ルナリアの屍術士がアーケン、そして黒ずくめの竜騎兵がカズハルだ。
後々までずっと一緒になるとは知らずに、バノウニは二人をジェネッタの宿へと案内する。その頃にはもう、自分の
音痴が招いた寂しさも悲しさも忘れていたのだった。