今日も今日とて、
魔女の
黄昏亭は昼から大繁盛だ。美人
女将のメリーナが目当てで、多くの客が
盃を乾かしている。
そんな中で、フリーデルは兄弟から少し離れて隣のテーブルにいた。
ナフムは今、ニカノールやフォリスと対策を練っている。
そう、例の巨象だ。
「ねえねえ、フレッドは作戦会議に参加しないのー?」
同じテーブルのラチェルタが、不思議そうに覗き込んでくる。その隣ではやっぱり、レヴィールがマキシアと腕組み
唸っていた。三人娘は今日も元気だが、先日の大逃走は
堪えたらしい。
大きな怪我こそなかったが、随分と
肝を冷やした
筈だ。
それでもラチェルタの瞳には力があって、少し頼もしい。
「俺が口を出して
纏めるのもいいけど、ここはナフムとニカ、そしてフォスに任せてみようと思う」
「それと、ノァンにも?」
「そう、ノァンにも。せっかく議論が白熱してるんだ、まだ結論を
急かす時でもないしね」
フリーデルは知っている。
ナフムが馬鹿だということを。
知らないのは、自分もそうだということだけだ。
だが、昔から兄弟の勢いは良くも悪くも大きな求心力を生んできた。その気にさせる男、その気になってしまう男がナフムという人物である。そして、彼は以外に聞き上手で話し上手だ。
巧みに意見を重ね合って、交わし合って、意外とまとめてしまう。
能
あ
る
馬
鹿
は
爪
を
隠
す
と思ってるのだが、フリーデルは本人には言ったことがなかった。
「それより、チェル」
「ん? なーに?」
「彼は……彼等は、どうしちゃったのかな? 随分とくたびれてるみたいだけど」
カップのお茶を飲みながら、フリーデルが視線を放ると……向こうのテーブルでは、三人の若者が突っ伏し伸びていた。
バノウニとカズハル、そしてアーケンだ。
揃いも揃って、口から魂が抜け出そうな程に
憔悴している。
「んとね、んとね……わかんない!」
「ふむ。どれ、ちょっと聞いてみよう」
「そだね! 面白そう、ボクもボクもー!」
ぶら下がるようにしてラチェルタがじゃれついてくる。そんな彼女と一緒に、フリーデルは少年達の席へと顔を出してみた。
挨拶をすると、
三者三様に言葉を返してくる。
だが、上体を起こす余裕もないみたいだ。
その中でも一番疲れ切ってるバノウニに、フリーデルは話しかけた。
「どうした? バノウニ。今日はギターの演奏はなしかい?」
「あー、フリーデルさん」
「フレッドでいいよ。そこ、いいかな」
「どぞどぞ……あーもぉ、俺等は……三人揃って馬鹿だーっ!」
バノウニはクシャクシャと頭をかきむしる。
その声を聴いて、カズハルは顔を手で覆った。
アーケンは先程から、トントンと拳で小さくテーブルを叩いている。
どうやら何かあったらしい。
そして、そのことをカズハルが話してくれる。
「鳥がいたんですよ、鳥」
「ん、鳥?」
「そう……迷宮の中に。ほら、この間フレッド達が乳牛を見つけて連れ帰った、あのあたりですよ」
「ああ、『
奇岩ノ山道』の」
つまり、三人の今日の冒険はこうだ。
ノァンとワシリーサを加えて、五人で第二階層へと
赴いた。フリーデルも勧めようと思っていたが、先にニカノールが決断したのだ。
ワシリーサはどうやら、本気で冒険者になってしまうらしい。
そして、ノァンが早くも先輩風を吹かせて、護衛に張り切ってしまった。
それはいい……多分フリーデルが思うに、ニカノールは完全にワシリーサを持て余しているのだ。だが、邪険にはできない。そうさせない魅力がワシリーサにはある。
結局、渋々冒険者修行を許し、ノァンをお目付け役にしたのだ。
少し不安はあるが、ノァンはワシリーサに
懐いているし、何よりどんな魔物が相手でもまず負けない。本来は敗因皆無の身体能力なので、とりあえずは安心な
筈だった。
「で、五人で進んでたら……鳥がいて、ですね。なあ? カズ」
「そうそう。それで、なーんか物欲しそうにしてて」
「そしたら、ノァンの奴が
餌をやるとか言い出してよ」
すぐに話が見えた。
そして、きっとワシリーサも同じことを言ったのだ。
目も覚めるような美少女と、妹みたいに愛くるしい美少女。二人にせがまれ、鳥に餌をやったらしい。それも、釣れたての
樹海魚を。
「でもさー、その先に進んだら……またいたんだよね、その鳥」
「そうそう、あれはぜってーに同じ鳥だって」
「で、また……でも、魚をやってもすぐ飛んでっちゃうしよ」
ふむ、とフリーデルは唸る。
世界樹の迷宮は秘境、そして魔境だ。
何があってもおかしくないし、おかしいことしか起こらない。
「で……何回繰り返したんだい?」
「な、何でわかった!?」
「そう、そうなんだよフレッド」
「……4匹も飲まれちまった……釣ったそばから、全部」
しかも、その鳥に会う度に二人が……ワシリーサとノァンが見詰めてくるという。どうみても鳥は半分小馬鹿にしたようにウロウロしてるのだが、少女達は餌をやってとせがむのだ。
その繰り返しの
挙句、自分達が空腹になって帰ってきたというから本末転倒だ。
ちらりとフリーデルが振り返ると、皆のお茶を取り替えてるワシリーサは今日も笑顔だ。女神みたいな温かさに見守られて、ノァンは一生懸命スケッチブックにクレヨンを走らせている。
「なるほど、話はわかった。お疲れさん、ってとこだね。じゃあ……君達、次にあったら鳥にはもう餌をあげないのかい?」
「まさか! それはないですよ。なあ?」
「ああ、こうなったら意地でも食わす」
「任せろ、予め樹海魚を釣っておこうぜ。あとで森だ、第一階層『
鎮守ノ樹海』だ!」
うん、馬鹿だ。
こりゃ駄目だ。
だが、
類は友を呼ぶのだろう……不思議とフリーデルは、似たような人物を知っているし、兄弟以上に思うことさえある。時として育ちの濃さは血の
絆よりも深いものだ。
そう思っていると、ナフムの声が酒場全体に響き渡る。
「っし、わかった。今話したことを全部、
評議会に報告してかけあってやる。みんなも聞いてくれ! 例のデケェ象な……あいつの後ろに、先へ進む扉があると思うんだ。そのことを報告すれば、ミッションが発令されるかもしれねえ」
そこから先は早い者勝ちさ……そう言って客全員を見渡しナフムが笑う。
悪い笑みだ。
酷くふてぶてしい、
悪戯を
企む
悪童の笑顔だった。
そして、ナフムの隣でノァンが「できたです!」と笑顔で立ち上がる。
「酒場のみんな! ニカから話は聞いた。戦闘はこりゃ、避けるべきだな。今の俺等じゃ手も脚も出ねえよ」
「鼻は! 鼻はどですか、ナフム! アタシ、象を描いたです。象は鼻が長いです! オリファントってゆーです! 手も足も出ないなら、鼻です!」
「ああ、そうだなノァン。うんうん、上手に描けて……おい待て。牙が4本らいしぞ。
角
じ
ゃ
ね
え
よ
、
牙
だ
。頭から牙を生やすやつがあるかよ。ほら」
「牙! 4本! むむむ……ナルホドです!」
「という訳だ、ちょっと俺がいってくる。いいか、はやまんなよ……ありゃ、真っ向勝負すりゃ
蹴散らされちまうからな」
ナフムはそう言って酒場を出る。
テーブルを去る時にノァンの頭を
撫で「牙だぞ、牙。口んとこだ」と笑って、行ってしまった。フリーデルにとっては
概ね予想通りで、予想以上にいい調子だ。
少し評議会での説明を手伝ってやろうと、彼もあとに続く。
背中で聴いた歓声は、冒険者達の熱気に彩られていつまでも聴こえていた。