イオン・クドラクが歩くアイオリスの街は、活況に満ちていた。
肩で風切り、行き交う人の流れに入り混じって進む。
自分を取り巻く熱気に、彼は酷く気分がよかった。ここは世界樹の迷宮の最前線、このアルカディア大陸で最も栄えつつある街だ。古くから四つの種族が当たり前のように暮らし、世界樹を見上げて冒険者達と共に生活を営んでいる。
自然と鼻歌交じりになるイオンの背後で、涼やかな声が抑揚なく響く。
「若様、よろしかったんですか? 例のギルド……ネヴァモアと、トライマーチと」
後を歩くのは、モノクロームのエプロンドレスをまとったメイドだ。長いスカートを
翻すでもなく、
貞淑そのものといった様子で滑るように付き従う。
彼女を周囲の人間達は、全く認識していないかのようだった。
それも当然のことで、イオンは振り向きもせずに前だけを向いて喋る。
「いいさ。連中にはそれだけの力がある……つまり、あの二人、ソロルとリリにとってもプラスになるかもしれない人材ってこった」
「旦那様からの命令では、古くより
例
の
指
輪
を探す一族の
末裔を援助せよ、でしたわね」
「ああ。いかに
達人級のベテランでも、たった二人じゃ大変だからな。オヤジはああみえて、古いタイプの商売人だ。商機は逃さねえし、がめついが……古くからの繋がりを何よりの財産とする。それは未来の子孫にも利益をもたらすからさ」
背後のメイド、ミサキは「まあ」と小さく驚いた。
そして、わざとらしく口に手を当てて目を細める。
「若様……あまり頭を使われては熱が出てしまいますわ」
「おうこら、誰がバカだ? 俺だって
脳味噌の一つや二つ、使うっての」
「脳味噌は一つしかありませんよ、バカ様……ああっと、いけない、若様」
「……相変わらず口が減らねえな」
クドラク家は代々、
屍術士を集めて統括、仕事を割り振る仲買業を中心に栄えてきた。規模はまだまだ小さいが、
冠婚葬祭を中心に儀式の手伝い等をしている。
そんなクドラク家が、大昔にとあるシドニアの術士と知り合った。
その術士は、不思議な指輪を探す旅をしており、達成されるまで子や孫、子々孫々にその宿命と使命を受け継ぐのだという。
当時、クドラク家の当主は何も言わずに援助を申し出た経緯がある。
「さて、ソロルは信用できる女だったが……連中はどうかな?」
「若様、楽しそうですわね」
「あたぼうよ! 腕が鳴るぜ……」
「関節部が
軋んだりするのは、それはなにかの病気か怪我の恐れがあります。ま、バカにつけるクスリはないのですけど」
「お前なあ……かわいくねえ」
「わたくしの場合、全身の骨が鳴ります。それはもう、生ぬるい夜の風にカタカタと」
道行き人は気付かない。
しずしずと歩くメイドが、
骸骨の化物だということを。
故あって
生命を落としたあとも、ミサキはクドラク家に仕えている。オールワークスメイドであると同時に、死神の大鎌を振るう
闇狩人……イオンの忠実なる守護者である。
二人は今後、ソロルとリリをサポートするため、ニカノール達へ情報を提供するつもりだ。勿論、その人となりや腕を見定めながら。
「さ、くだらねえこと言ってないで、さっさと飯でも……おお? 何だありゃ」
歩く先で、一際賑わう人混みがあった。
そして、やたら元気でハキハキした声が聴こえてくる。
女の子、それも十代の少女の澄み切った声音だ。
「みなさーんっ、よーく見ててくださいね。はい、これがわたしの愛刀、
無銘ながらも切れ味抜群ですっ」
暁色の長い髪を揺らして、一人の少女が刀を日にかざす。よく手入れされた刃が、陽光を受けてキラリと光った。
奇妙ないでたちだ。
見たこともない服装で、強いて言えば水兵の装束に似ている。
白い服には濃紺のカラー、そして同じ色のスカート。真っ赤なスカーフを結っている。年の頃は16、7程だろうか?
武芸者の使う刀は、恐らくセリアンの住む
山都の出身なのかもしれない。
彼女は紙切れを取り出し、一枚が二枚、二枚が四枚と、細切れに切ってゆく。
煌めく刃は鋭く尖って、その切っ先が触れるだけで音もなく紙を切り裂いた。
「と、いうわけでっ! 凄い刀なんです。そして、なんと……この刀で、こうです!」
笑顔で少女は、自分の細く綺麗な腕を突き出す。
よく見れば、しなやかながらも鍛えられた筋肉が健康的だ。
彼女は遠慮なく、スッと刀で紅の筋を白い肌に刻んだ。
見守る往来からどよめきがあがる。
「こういう切り傷に、今日オススメの……はい、これっ! ガマの油なんです!」
なるほど、行商……それも、実演販売だ。
だが、様子がおかしい。
少女は
小瓶を取り出し、その中の油を傷に塗る。
だが、出血は止まらず、みるみる足元にぼたぼたと血溜まりができていった。
「あ、あれ? おかしいな……あらら? なんでだろ……わたしがこの油を買った時は、こう」
たまらずイオンは飛び出した。人混みをかき分けながら、少女に駆け寄る。続くミサキも、エプロンの裾を引き千切って渡してきた。包帯代わりのそれを受け取り、イオンは少女の細腕を掴んだ。
「おい、バカ野郎!」
「若様、野郎ではございません。女の子ですから」
「そうだった、バカ野郎ちゃん! お前っ、知っててやってんじゃないのか!?」
イオンも以前、街道で見たことがある。
ガマの油を売るセリアン達は皆、ちゃんと仕掛けと仕組みをわかってやっているのだ。
勿論、ガマの油は軟膏として貴重なものだ。だが、切り傷が瞬時に塞がることはない。塗っておけば、消毒の意味もあるし雑菌も防げるが。
だから、実演販売の時は『
切
っ
先
だ
け
が
斬
れ
る
専
用
の
刀
』でやるものだ。
ようするに、見世物なのである。
彼女が持っている刀は、どう見ても実践的な戦いのための剣だ。
「あらら? 血が、止まらないですね!」
「おい、お前! ……当ててやろうか? こうやって売ってる奴に、今なら全部買うと安くなる、お前もこうして売ってみろと言われただろ!」
「はいっ! 大正解です。そして、これでわたしも大金持ちに……軍資金が、あ、あらら?」
「なんてこった……バカ野郎が」
どうにか血は止まりそうだが、彼女はていよく在庫を押し付けられたのだ。恐らく、
田舎からこのアイオリスにやってきたのだろう。
そうこうしていると、彼女の連れらしき者達が現れる。
自然と誰もが道を譲るのは、凛とした佇まいの少年剣士……否、武芸者の少女だ。二人の
猟獣士、少女と老婆を共に連れている。家臣というよりは対等、旅の道連れのようだ。
「ばばさま! あんれま、あさひのやつでねぇか?」
「おやおや、ありゃ確かに山奥の村のあさひだねえ。ちょいとごめんよ」
武家としての気品に溢れた少女も「あづさばあさま、シバさんも。よしなに」と静かに
頷く。それに気付いたガマの油売りの少女も、
呑気な笑顔で手を振った。
「あれ? わーっ、ささめちゃん!? 奇遇だねっ、道場以来だー」
「ごきげんよう、あさひさん。あさひさんもアイオリスでぼうけんですか?」
何やら知り合いのようだが、セリアン達の中でもアースランのあさひが奇妙に打ち解けていた。イオンはやれやれと苦笑しつつ、奇妙な一団から事情を聴いてやる。
世界樹の冒険の熱狂を知り、それぞれ国から出てきた連中だ。
道中で一緒になり、意気投合したという。
――こいつは使える。
そうほくそえむイオンの脇腹を、ミサキが
肘で小突いてくるのだった。