死闘が始まった。
そして、終わりは見えない。
バノウニは仲間達と共に、第三階層『
晦冥ノ墓所』で
大鎌を振るう。周囲には
腐肉を撒き散らす野犬や、
幽鬼の
類が入り乱れていた。
骸骨の化物、主を持たぬ
鎧、そして宙を乱舞する鬼火や
髑髏。
まるで、この地に眠る聖遺物の
墓守だ。
「バノウニ! そっちの
姐さんと連携しろ!
死霊を今、向かわせる!」
「数が多いよ、気をつけて! バンカーを作ったから、この影を使うんだ」
アーケンもカズハルも奮闘している。
だが、ずっと戦闘しっぱなしで
既に一時間……その疲労は明らかだ。弓で援護の矢を射るハヤタロウも、
猟犬の
牙丸に頼る頻度が増している。
そんな中、前衛で戦線を支えているのは二人の冒険者だった。
一人は、華麗なる剣舞で魔物を切り伏せる
武芸者、ささめ。
そしてもう一人は、本来は敵である謎の
闇狩人、スーリャだ。
二人の運動量は全く
衰えを知らず、今も生きた死体をただの死体へ戻し続けていた。
「やりますね、スーリャさん。おみごとです」
「……お前も、強い」
「しかし、そろそろもちこたえるのも……きびしいかもしれません」
「限界は近いか……」
バノウニにもわかっている。
この部屋に足止めされてから、進むことも退くこともできなくなっているのだ。
圧倒的な物量で押し寄せる魔物は、まるで津波か
雪崩のよう。
だが、その激しい敵意が教えてくれる。
やはり、この近くに探している遺物があるのだ。
そう思っていると、突然……血と汗の臭いが遠ざかる。
鼻孔をくすぐる香りが、柔らかなぬくもりで全身に染み渡っていった。
「あ、あのっ! せめてこれくらいは……疲労を忘れるハーブです」
振り向くと、先程ささめがバンカーの奥に放り込んだ少女が顔を見せていた。白衣姿のアースランで、一心不乱に草を
食んでいた娘である。
彼女は、大きな
鞄から出した香草を
煎じて
燻し、その煙に入り交じる
芳香を届けてくれるのだ。
「君は……ハーバリストだったんだな! 俺はバノウニ、助かるよ」
「は、はいっ! あたしはチコリって言います。回復と援護は任せてくださいっ! 他にもいい薬草が沢山あって、これなんかは――」
チコリが鞄から取り出した薬草は、まるで今しがた
摘んできたかのように
瑞々しい。それを再び彼女は、
千切ってすり潰そうとする。
だが、大きな手が伸びてその薬草がひったくられた。
見れば、死霊を使役し召喚し続けながら、アーケンが荒い息に肩を上下させている。
「まどろっこしいぜ! こんなんはなぁ、直接食っちまえば手っ取り早ぇ!」
「あっ、あの! ルナリアさん、それは」
「お前もさっき、モシャモシャやってたろうが。へへ、これからが本番、大暴れよ! ……はぐっ!」
アーケンは、先程チコリがやっていたように薬草を直接口の中に放り込んだ。
瞬間、彼はギン! と目を見開いて吼える。
野獣のような咆哮と共に、彼は周囲に浮かぶ死霊を前へと押し出した。
だが、心なしか正気を失ってるようにも見える。バノウニは死霊達が爪で敵を引き裂く先へと動いて、討ち漏らしを片付けた。カズハルの援護射撃もあって、僅かに勢いを盛り返す。
悲鳴が響いたのは、そんな時だった。
「ささめ様っ! すまない、カズハル! 背中を頼むっ」
ハヤタロウが
咄嗟に飛び出してきた。
すぐ横を駆け抜けていく彼を目で追って、バノウニもすかさずフォローに入る。
見れば、肩に一太刀浴びたのか……ささめが普段の
楚々とした表情を
苦悶に
歪めている。同じ中性的な
美貌のスーリャが、彼女を守って
僅かに後退した。
再び状況は悪化し、突破口が見えないまま遠のいてゆく。
バノウニは最後の手段、アリアドネの糸をポーチの中から取り出した。
このアイテムを使えば、即座にアイオリスの街まで逃げ帰ることができる。だが、その恩恵を受けれるのは五人まで。猟犬は一緒に連れ帰れるが、アリアドネの糸は『使用者の所属するパーティのメンバー』しか連れ帰ってくれないのだ。
スーリャならば、この場をなんとか一人で
凌げるかも知れない。
だが、チコリを置いてゆくことはできなかった。
「くそっ、俺が前に出るっ! 頼むぞ、みんなっ!」
「任せな、バノウニ! へっ……後ろは見なくていいぜ? オラァ、死霊共っ! いけよぉ!」
「もう一つ、手前にバンカーを……こいつでカンバンだけど、なんとか防御陣地を……ハヤタロウ、ささめさんをこっちに!」
絶望が這い寄ってくる。
冷たく、密やかに、確実に……バノウニ達を死の
淵へと追いやろうとしてくる。
だが、バノウニは折れそうになる心を必死に支えて戦った。
その隣に、無表情のスーリャが並ぶ。
「……お前達、アリアドネの糸、持ってる。逃げろ……私に構うな」
「嫌だっ! そんなの、絶対に嫌ですよ!」
バノウニの即答に、スーリャが初めて表情を変えた。驚きに目を見開き、端正な細面で何度も
瞬きを繰り返す。それでも精密機械のように敵を
屠り続ける彼女に、バノウニは言ってやった。背後の仲間達も聴こえるように叫ぶ。
「誰も置いてかない! それは、誰がどうとか、誰だからとかは関係ないんだ。それに……」
「それに?」
「この古戦場で
嘗て、四つの種族は初めて手を結び、協力して戦った! その時代の遺物を探す俺達を、今は
叙事詩へと消えた英霊達が見ているかも知れない。彼等を歌う立場として、せめて格好ぐらいはつけたいね」
声が震える。
見栄を張ってのハッタリだった。だが、そうして自分にも平静さを呼びかける。そんなバノウニを見て、スーリャが笑った。背後からも声が響く。
「そっ、そうですよ! この場のアースラン、ルナリア、セリアン……そしてあたし、ブラニー! 四つの種族の力を合わせるんです!」
「え? 君、ブラニーなの? ……どうみてもアースランでしょ、チコリってさ」
「えっと、カズハルさんですよね! そっちこそどうなんです? 変な服着て! ……あ、でもそれ……その服。確か、ゼファーリアの市場で見たこと、あるような――」
絶望に抗う少年少女の声が、途切れた。
それは、スーリャが全身を無数の矢で貫かれた瞬間だった。彼女は
血飛沫の中でゆっくりと、荒れ果てた大地へと沈む。慌ててバノウニが駆け寄る、その時にはもう不死者の軍勢は包囲を完成させていた。
だが、諦めずにバノウニはスーリャの細く冷たい身体を抱き起こす。
「まだだ……まだっ! 考えろ、俺……思い出せ! 今まで歌ってきた英雄達を、その物語を! この地で生まれた四種族の
絆を、力に変えて戦うんだ!」
戦慄に支配される中で、完全に周囲を敵意に囲まれてしまった。
万事休すかと思われたが、バノウニは最後の賭けに転じようとする。身に纏う瘴気の兵装を解除し、その
溢れる負の力を一点に集中させて突破口を開く。
それは、バノウニ以外の全員が助かる可能性がある、最後の手段だった。
しかし、覚悟を決めつつあったバノウニの耳を、冷たい声が
撫でる。
「まだ……まだ、そう言える子がいるのね。久々に人界に来てみれば、面白いじゃないの」
群なす亡者の全てが、ピタリと静止した。そして、
虚ろな目で振り返る。その視線の先に……一人の女が立っていた。
とても美しい、ともすれば
魅入られそうな若い娘だった。
真っ赤な髪に赤いドレス、そして死神のような大鎌。肌は異様に青白く、ただの人間ではないことがすぐに知れる。彼女は、
艶めく
唇に牙をのぞかせ
微笑んだ。
「闇の
眷属達よ、眠りなさい……シャナリア・シャルカーニュが命じる。朽ちて眠れっ!」
女の発する言葉に、バノウニは固有の振動数を感じ取った。それは、一定の法則で生み出された生命に対して、その配列を見出して分解させる
呪禁だ。
あっという間に周囲の魔物は、ガラガラと音を立てて崩れ去る。
唖然とするバノウニの前に、シャナリアと名乗った少女はやってきた。そう、年の頃はバノウニと同じくらいか、少し上……十代後半の、大人の女へ手の届く色気があった。
「四種族の絆、ね……あいつも嘗て、そう言ったわ。ふふ、懐かしいわ」
「あ、あの、あなたは」
「探しものはこれでしょう? 冒険者さん。面白いものを見せてくれたお礼よ。今日は街にお戻りなさいな。それと……そっちの
半人半魔の
娘、そのままだと……死ぬわよ」
それだけ言い残すと、薄い笑みを浮かべるシャナリアの全身が
解けてゆく。彼女は無数の
蝙蝠へと姿を変えて飛び去った。静寂を取り戻した
迷宮の中で、気付けばバノウニの前に、汚れて尚も気高い輝きを放つ大盾が落ちていた。
伝説の英雄が使った武具の一つを手に、どうにかバノウニ達はアイオリスの街へと生還するのだった。