再び、ネヴァモアとトライマーチ、二つのギルドに忙しくも平和な日々が戻ってきた。
リリのためにも、第三階層突破のためにも、死者の国と化した
晦冥ノ墓所を突破する必要がある。同時に、アイオリスのトップギルドとしてクエストの消化も至上命題だった。
そんな訳で、魔女の
黄昏亭に戻ってくる時はいつも、カズハルはクタクタにくたびれているのだった。
「ふぅ、やっと終わった……こうしてみると、バノウニやアーケンがいないだけで調子が狂うなあ」
普段は、三馬鹿トリオと言われるくらい、一緒にいることが多い。クエストも探索も、多くの場合は三人で大人達に加わったり、ワシリーサを護衛したりがお馴染みの冒険だった。
だが、カズハルは思うのだ。
そう、自惚れニヤつく程度には、彼のポジティブな脳味噌はお気楽なのだった。
「ま、二人も今頃……フフフ、困ってるだろうなあ。俺がいないと、困るだろうなあ……ムフフ。俺がまあ、チームの要だからなあ! さて、次のクエストを……ん?」
ふと、店内を見やれば……今日も今日とて、コッペペが
隅で酒を飲みながらリュートを
奏でている。この記憶喪失の男が働いているところを、カズハルはまだ一度も見たことがなかった。
だが、不思議と彼はいつも財布が暖かく、トライマーチの財政状況は安定している。
どこかで内職をしてるのか、それとも……?
そう思っていると、向こうもカズハルを見付けたようだ。
「カズハルじゃないのよ、どした? 丁度よかったぜ、オイラちょっと頼みがあんだよ」
「は、はあ……あの、
因みにコッペペさん、ここでなにを?」
「なぁに、いい天気だろう? こんな日は冷たいエールを飲みながら、こいつさ」
ポン、とコッペペはリュートを叩く。
この人に働くという選択肢はないのだろうか。
そのことをやんわりとカズハルは聞いてみた。
「コッペペさんもクエストとか、あと
迷宮の探索とか……どうですか?」
「どうって?」
「いやあ、たまには働いたり戦ったりとか」
「ほうほう、お前さん……オイラみたいなか弱い老人に、危険を犯して戦えってか?」
「なんか、ちょっと聞いたんですけど、コッぺぺさんって大陸の外から来た、凄腕の――」
「ああっと! 頭が痛いー、記憶喪失だからなあー!」
駄目だ。
駄目人間だ。
やれやれとカズハルが肩を
竦めると、背後からポンと肩を叩かれた。
振り向くとそこには、フリーデルが笑っている。
彼もどうやら、クエストを終えた帰りのようだ。
「カズハル、コッペペさんはあれでいいのさ。汗を流すだけが仕事じゃない」
「え、でも……遊んでます、よね? 昼から飲んでるし」
フリーデルの言わんとするところが、ちょっとカズハルには理解できない。確かに、世の中には頭脳労働というものがあるし、それが得意な人間もいる。
だが、コッペペがその
類の人間には見えなかった。
そればかりか、ちょっと突くとすぐに記憶喪失の話をする。
ずるい大人、悪い男なんだなと思うが、不思議とこれが憎めない。
そして、フリーデルは以外にもコッペペの向かいの席に座ると、エンの入った革袋を取り出した。
「コッペペさん、これがトライマーチの取り分です」
「おう、どうだった? 首尾は上々だろ、へへへ」
「ノァンのおかげもありますけどね……やっぱりこうなることは、最初から知ってたんですか? 俺はおかげで、随分楽をさせてもらった」
どういうことだろう? カズハルは首を
捻りつつフリーデルの隣に座る。すぐに
給仕が冷たい水とタオルを出してくれて、お茶の注文を取ってくれた。
フリーデルはカズハルにもわかりやすく説明してくれた。
「実は、クエストに効率よくメンバーを振り分けてくれてるのは……コッペペさんなんだ」
「えっ!? マジすか……じゃあ、俺が今日はバノウニやアーケンと別々なのも」
「君達一人一人の腕が上がってきたからね。成長を加味して、コッペペさんはばらしたのさ」
そんなことをコッぺぺがやっていたとは驚きだ。
ずっとカズハルは、この老人は名前だけのギルドマスターで、酒と女しか頭にないとも思っていたのだ。それは間違ってはいないが、こうして
呑気に暮らしながらも仕事をこなしていたのである。
フリーデルも笑って、今日のクエストの
顛末を聞かせてくれた。
「今日は、とある母親の依頼で
骸骨の魔物を模写しに行ったんだ」
「あ、それ見ましたよ! 言うこときかない子供に、恐いオバケの絵を見せれば……ってやつですよね」
「そう。今日はそのクエストが、思いの外早く片付いた。ノァンのおかげだし、彼女を俺達につけてくれたのはコッぺぺさんさ」
晦冥ノ墓所には、所々に骸骨の剣士が待機している。冒険者が近付くと、土の中から起き上がってくるのだ。身の毛もよだつ恐ろしさは、大の大人でもぶるってしまうくらいである。
それを、
あ
の
ノ
ァ
ン
が
絵
に
し
た
の
だ
。
恐らく、名状しがたい背徳的な、とてもおぞましい絵になっただろう。
前衛的なオバケの絵は、描いてる本人に「これは恐いのです!」と言わしめたほどだとフリーデルが笑う。ノァンは死体から生まれた、いわばゾンビなのだが……そんな彼女が、何故か幽霊やオバケが恐いそうだ。
勿論、そんな彼女の絵が、アイオリスの聞かん坊を改心させたのは言うまでもない。
コッペペは杯を煽ると、赤ら顔でニヤリと笑った。
「オイラも歳だからよ、荒事は面倒なのよね。で、まあ……お前達二人がここにこの時間、こうしてそろって戻ったのも……次のクエスト? ま、そゆやつのためなんだよ」
初耳である。
そして、フリーデルもそこまでは考えていなかったらしく、驚きの表情を見せた。
背後に人の気配が立ったのは、そんな時である。
突然、高慢ちきとさえ思える高飛車な声が響いた。
「フレッド、カズハルも! 待っていたわよ! さあ、行きましょう」
振り向くとそこには、シシスが腰に手を当て薄い胸を反らしている。
ハーフルナリアの錬金術師は、
何故か鼻息も荒く興奮気味だ。
「え、あ、っと……フレッドさん、なにか約束してました?」
「いや? だが、まさか……あの、コッペペさん」
ポロロン、とリュートを鳴らして、コッペペは知らんぷりを決め込んだ。
そして、ガッシ! とカズハルはシシスに肩を掴まれる。勿論、フリーデルも一緒だ。二人を引きずり連れ去らん勢いで、シシスが興奮気味に早口をまくしたてる。
「フレッドは魔術に精通しているし、細かな作業や術式のコーディングを頼みたいの! カズハルは手が器用だし、昔からトミン族が機械に強いことは知ってるわ。さ、二人共研究室に来て
頂戴。ああ、そうだったわね」
シシスは
懐から金貨を数枚出すと、それをコッペペに渡した。
彼の「毎度あり」という言葉で、カズハルは察した。
自分はフリーデルと一緒に、クエストと称してシシスに売られたのだ。聞いてない、全くもってこっちの都合も意思も関係ない。
だが、コッペペは悪びれずにニヤリと笑った。
「ま、錬金術師様を手伝ってやんな? なんでも、すげえ発明を作ってるそうだ。じゃ、ま、そゆこった。はい、行った行った」
無情にもカズハルは、フリーデルと共にシシスの研究室まで連れて行かれてしまった。コッペペという男、二つのギルドの人員や装備を把握し、無数のクエストへと効率よく戦力を振り分けているのはわかった。
同時に、彼がやっぱり
自堕落で
野放図な男だということも、嫌というほどカズハルにはわかったのだった。