絶体絶命とはこのことだと、フリーデルは心の中に
呟いた。
そして、それが絶望とイコールであっても、
挫けない。
以前、仲間のバノウニ達も同じような経験をして、生還しているから。この第三階層『
晦冥ノ墓所』は、死者が支配する冥界にも等しい。その先へ探索を進めるとは、常にこういう危険と隣り合わせなのだ。
「そう言えば、バノウニ達は妙なことを言っていたな……なんでも、謎の女に助けられたと」
報告にはそうあったあし、彼等が重傷のスーリャを連れて帰還できたのも頷ける。なんでも、伝説の吸血姫シャナリアに出会ったとか。ここは世界樹の迷宮なれば、それくらいの怪奇はあってもおかしくない。
だが、それを認めても期待はしないのが、一流の冒険者だ。
そして、常にそうでありたいとフリーデルは思っていた。
「チィ、銃の弾が尽きる……シシス! 少し君の弾を――ッ!?」
ナフムは仲間のエランテと共に、ソロルを守りながら叫ぶ。
最後尾のシシスの、その背後に……巨大な鎧のバケモノが立った。
その手に握られた斧が、振り上げられる。
咄嗟にエランテの中で、彼女を宿主とする夢魔クァイが走り出す。
「チッ、やるしかねぇな……! フリーデル!」
「わかっているっ!」
エランテが
紡いだ祈りが、静かに場に満ちる。
暗闇の中、彼女の身体がほのかに光っていた。そのままエランテを操るクァイが、まだ敵に気付いていないシシスを押し倒した。
同時に、フリーデルのかざした手に炎が集束する。
魔力を束ねて火と火を練り上げ、彼は
紅蓮の業火を投げつけた。
おぞましい絶叫と共に、主なき大鎧が灼熱の
焔に消えてゆく。
唖然としたシシスは、なにが起こったかもわからずエランテを抱きとめていた。
「あ、ありがと……ひょっとして今、私」
「ああ、危ないところだったな。エランテが間に合ってよかった」
フレッドは努めて冷静に、平静を装って近寄る。
落ちてしまったシシスの
帽子を拾えば、その手は疲労に震えていた。
かなりの消耗が続いて、精神力も集中力も限界が近い。
だが、冒険者とは決して平常心を失わぬものだ。
絶望だけが、探求の徒をデッドエンドへと突き落とすのである。
「ほら、帽子だ……ん? シシス、お前は」
「な、なによっ! ……そういう生まれだもの。でも、隠していたのは恥ずかしいからじゃないわ。ギルドの仲間にトラブルを持ち込みたくなかったからよ!」
いつもの強気で勝ち気な声を張り上げ、シシスは立ち上がった。
その
翡翠色の髪が流れて、彼女の
尖った耳が
顕になる。
今まで帽子で隠れていた、両耳……それは、ルナリアというには少しばかり小さく、アースランよりは長い。つまり、両者の血が入り混じったのがシシスなのだった。
「
ハ
ー
フ
ル
ナ
リ
ア
、か。ま、驚いたがそれだけだ」
「そう? ならいいわ、許してあげる」
「……少し
釈然とせんが、まあいい。進むぞ」
先頭は相棒のナフムが、ポン子を連れて切り開いている。
今、ナフム達は上り階段とは真逆……15階を奥へ奥へと進んでいた。より生還率を上げるために、生き残るために決断した。引き返して戻るよりも、進むほうがいい。
世界樹の迷宮は不思議なもので、あちこちに隠された小道が存在する。
そして、次のフロアへの階段は、近くによく下り階段への隠し通路が存在した。
今はそれに賭けるしかない。

改めて進み始めると、戦闘の合間にシシスが小さな
呟きを
零した。
「父様はアースランの貴族、母様はルナリアで……シドニアから嫁いできたの」
「いや、詮索するつもりはないんだが。秘密なら俺も口を
噤むつもりだしな」
「いいの! これは……独り言。喋ってる方が気が紛れるから」
この極限状態の中では、正気を保つのも難しい。
シシスの意外な身の上話を聞いていれば、自然とナフムも最悪の事態を一時忘れることができた。
シシスはとある貴族の娘として、ハーフルナリアとして生まれた。機械いじりや発明、なにより錬金術の好きな父にかわいがられて育ったのだ。だが、若くしてその父が他界すると、シドニアのルナリア達は母を連れ戻してしまった。
そうして今、シシスは女伯爵として領地を守り、領地のために世界樹に挑んでいる。
素直にフリーデルは、気丈な彼女を偉いと思った。
そうこうしていると、突然前でナフムが振り向いた。
「おい、シシス! ポン子が突然止まっちまった。なんか、ピクリともせず硬直してんだが」
「……動力が切れたのね。ちょっと待って」
シシスが背のナップサックから、なにかを取り出した。
それは、大きな大きなネジだ。
「これを背中のコネクタに
挿して、めいっぱい回して」
「……は? おーい、お父様よう。お前んとこのお母様はなに言ってんだ?」
「それ、そろそろ勘弁してほしいね、おじ様。……多分、ゼンマイ仕掛けなんじゃないか?」
多分もなにも、ズバリそのようだ。
流石のエランテも、
呆れた顔をしている。
だが、腕組み反り返ってシシスは得意のドヤ顔だ。
「ゼネラルマインドブースター、略してゼンマイ機関よ!」
「まんまじゃねーかっ!」
「とにかく、ネジを巻いたげて! すぐ再起動するから!」
そうこうしている間にも、次のモンスターが現れる。
ここで前衛を一人失えば、なし崩し的に戦列は崩壊するだろう。
並み居る魔物を前に、いよいよ覚悟を決めかけたその時だった。
不意に、聞き覚えのある声が元気よく叫ばれた。
「助けに来たですっ! ニカ、死霊さんでお手伝いをお願いするのです!」
青い髪の少女が、飛び込んできた。
その振りかぶる拳が、空気を逆巻きアンデットを吹き飛ばす。
豪拳炸裂、あっという間の敵の一角に穴が開いた。
ゆらりと振り返る彼女の左目が、
紅い光で弧を描く。
ギルドの仲間が助けに来てくれた、それがやっとわかってフリーデルは長い溜息を吐き出した。まだ助かったとは言えないが、ニカノールのいつものゆるい笑みを見ると、不思議と安堵が込み上げる。
ノァンとニカノール、そしてフォリスにスーリャ、そして――
「ワーシャ、君も来たのかい? 道中、大変だったろうに」
「皆様の帰りが遅かったので、心配で……ニカ様に無理を言ってついてきましたの」
「そうか……ありがとう」
ホッとしたのも束の間、ノァンが敵を蹴散らす中でソロルが同じ問を繰り返す。だが、ニカノール達もリリには会っていないとのことだった。
そして、さらなる敵の影が浮かび上がる奥から……不気味な声が響く。
まるで脳内に直接注がれるような、恐怖と
恐懼を誘う暗い声。
『愚カナル冒険者ヨ、王ノ間ニ何用カ……我ガ
叡智ヲ狙ッテノ
狼藉カ』
ナフムは戦慄に背筋が凍るのを感じた。
誰もが振り向く先に首を巡らせると……暗い通路の奥に、巨大な扉がある。謎の声はその奥から、
禍々しい波動と共に漏れ出ていた。
そして、扉の前には……疲れ果ててへたりこんだリリの姿があった。