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 死者の迷宮、その最奥……冥府の王が君臨する玉座にて。
 ニカノールは仲間達と共に、無数の骸骨(がいこつ)に囲まれながら奮戦していた。(すで)に戦い始めて、かなり経つ……皆の消耗は目に見えて明らかだ。
 特に、己の生命力を使って死霊(しりょう)を使役する、屍術師(ネクロマンサー)のフォリスが酷い。
 ニカノールも同じだが、既に死んでいる身体は少しだけ今は便利である。

「フォス、無理しちゃ駄目だよ!」
「ああ、わかっている! だが、ここでやつを仕留めねば……ニカ、頼む!」

 同じパーティに二人の屍術師がいることで、ニカノールはフォリスとの連携を深めていた。片方が死霊を召喚し、即座にもう片方が攻撃に使う。防御に死霊を使ったあと、瞬時にもう片方が新たな死霊で隙間を埋める。
 そうして二人は、(なか)ばディフェンスに徹していた。
 オフェンスはもっぱら、最前線で戦うノァンとスーリャである。先日打ち解けて以来、二人はまるで姉と妹のように互いを助け合うようになった。もっぱら姉のように振る舞いながら、スーリャに面倒をみられているのはノァンなのだが。
 だが、死者を下僕(しもべ)として繰り出しながら、アンデッドキングは高笑いに全身の骨を鳴らす。

「愚カナリ! 愚カ、愚カ、愚カ! 弱イ故ニ助ケ合ウ! 弱イカラ(カバ)イ合ウ! 実ニ無様!」

 そう、ニカノールは背に守っていた。
 不慣れな戦いの中で、気丈に魔法の力を行使するワシリーサを。
 彼女は、彼女だけは守らなければいけない……そう思うニカノールの気負いが焦りとなって、わずかに死霊の制御を鈍らせる。
 それでも、彼はフォリスと一緒に死霊の一匹を必ずワシリーサの守護へ回していた。
 ワシリーサ自信が自分の足手まといを感じながらも、必死に報いようと精神を集中させている。だが、彼女の放つ魔法は全て、群がる亡者に阻まれてきた。

「ニカ様、フォス様も……わたしは大丈夫です! ワーシャを気にせず、どうか御自身を」
「……断るっ!」

 いつになく強いフォリスの声に、ニカノールは驚いた。
 フォリスは珍しく、撃発した感情を顔に浮かべている。これほどまでに激した彼を見るのは、初めてだった。いつもぼんやりとしていて、覇気も生気も感じさせない。どこか諦観に満ちた優しさがあって、そこに自分の主張や我欲がない……フォリスはそういう男だった。
 だが、今は違う。
 召喚する側から消えてしまう死霊を、必死にコントロールして敵の注意を引いていた。

「ワーシャ、ニカを一人にするな……お前もだ、ニカ! 会ったばかりで、これまでの時間がなくても……誰かが望んでくれた二人が、その片方が目の前で死ぬなどっ!」

 ニカノールは思い出した。
 とある街で、フォリスは一度に婚約者と六人の友人を失ったのだ。くだらぬ神秘主義をこじらせた、エゴと欲しか持たぬ狂信者に殺されたのである。
 そして、復讐……失い、奪われ、奪って亡くした。
 あとに残った虚しさを胸に抱き、失意のフォリスはこのアイオリスに逃げてきたのである。

「フォス、君は……」
「失ったものは、決して戻らない。ならば、絶対になくしてはいけない……ニカ、そしてワーシャ。今はチャンスを待つ……あの子が、ノァンがスゥと突破口を開く瞬間を!」

 常に三体、一度に使役できる限界数をキープしてきた死霊が、揺らめく。その制御が不安定になって、コントロールが乱れ始めた。慌ててニカノールは、必死で集中力を研ぎ澄ます。
 同時に、背後のワシリーサへと振り向かずに叫んだ。

「フォスの言う通りだ……だから、やっぱり僕はワーシャを守らなきゃいけない」
「ニカ様……」
「君との将来をまだ、僕は考えられない。そして、考えることから少し逃げていた。でも、君の将来そのものは、絶対に守る。君を守ってから、それからあとで考えるんだ!」

 だが、無情にも青年の決意と覚悟に嘲笑が浴びせられる。
 ドサリと目の前に落ちてきたのは、傷付き倒れたスーリャだった。大鎌を杖に立とうとした彼女は、震えながら崩れ落ちる。
 そして、不遜なる王の声が響いた。

「愚行、ココニ極マレリ……人間トハナント愚カナノダ。我ガカツテ、同ジ人間ダッタカト思ウト失笑モノダ。貴様等人間、四種族……ソノ(キズナ)ナド幻想! マヤカシ!」

 群がる亡者達が一斉に、痙攣(けいれん)を始めた。
 その腐った死肉が、熟れ過ぎた果実のように膨らみ始める。
 咄嗟(とっさ)にニカノールが、死霊の一体を盾にしようとした、その時だった。

「難しい話、やめるです! ニカやマスターは、まやかしじゃないです! ワーシャだって、スゥだって……みんな、みんなっ! まやかしてないのです!」

 血塗れのノァンが、皆の前に立ち塞がった。その蹴りが空気を引き裂き、まとめて数体の亡者を薙ぎ払う。吹き飛ばされた敵は宙を舞って、腐臭を撒き散らしながら爆発した。
 そして、死んだまま死にきれぬ人間爆弾が、次から次へと襲い来る。
 まるでニカノールに死霊を温存させるかのように、ノァンは片っ端から敵を弾き返していた。

「死体人形(ゴト)キガ……ワキマエヨ! 我ハ不死ノ王! カツテシドニアデ我ヲ侮辱シタ者、()ノ者達ノ象徴……コノ指輪ガアル限リ、我ハ無敵! 暴王ト呼バレタ男サエ、我ノ駒トシテ過去ニ消エタ! 我コソガ歴史! 我コソガ摂理(セツリ)!」

 アンデッドキングの指に、小さな指輪が光っていた。
 最後尾でワシリーサと共にいたリリが「あっ!」と声をあげる。
 恐らく、彼女の一族が何百年も追ってきた、ルナリアの秘宝……死者の指輪だろう。
 その輝きが膨れ上がった瞬間、周囲の死霊もろとも無数の亡者が爆ぜ狂った。爆風が吹き荒れ、ニカノールは背後のワシリーサ達を庇う。その前にはフォリスがスーリャに覆いかぶさり、更に前に……小さな体を広げて身を投げ出すノァンが見えた。
 全てが過ぎ去ったあと、どさりと力なく少女は倒れた。
 真っ白な肌に浮き出た縫い傷から、とめどなく溢れる血が床に広がってゆく。

「見ヨ! 絆ダ愛ダト戯言ヲ並ベル者ノ、ソノ哀レナ末路ガコレダ! クハハ、ハハハハッ!」

 諦めずにニカノールは、再び死霊を呼び寄せようとする。だが、既に全身に力が入らない。立っているのもやっとだ。そして、その背に抱き着いたワシリーサが支えてくれていた。背に顔を擦り付けて、泣きながらも歯を食いしばって立たせてくれている。
 そんな彼女の体温が、冷たい身体に静かに浸透していった。
 そして……ニカノールはまだ一人で敗北を目にした訳ではなかった。
 この絶望の中、立ち上がる男がいた。

「うるせえよ……やかましいってんだ! 戯言だ? 哀れだ? そうかよ……つまり、お前は知らないんだな。お前がくだらないと断じたものの、本当の価値を」

 信じられないことに、ずたぼろになりながらフォリスが立った。息を荒げて吐き出す言葉の、その怒りに満ちた響きがさらなる奇跡を呼ぶ。
 倒れたノァンの身体から……七つの死霊が浮かび上がった。
 否、死霊というよりは魂そのもの、まだこの世に未練で繋がれていた霊魂のようなものだ。それが、振りかぶられたフォリスの拳に集い、混じり合って集束してゆく。

「貴様……サラナル禁忌(キンキ)ヲ重ネルカ! コノ我デサエ躊躇(タメラ)ウ、外法ノ――」
「黙れよ、黙れってんだ……わかった、わかってる。わかってるよ、みんな……俺が……こいつ、で……黙らせるっ!」

 凝縮された闇が(ほとばし)った。
 地獄の門が開いたのだ。
 フォリスが七つの魂を吸い上げ紡いだ、それは屍術師の真髄。この世とあの世とを繋げた虚無の深淵に、アンデッドキングの魔力と邪気が吸い込まれてゆく。
 そして、その総量に等しいだけの霊力が、倒れるニカの上に集まりつつあった。
 あの世へ吸い上げられたアンデッドキングの力と引き換えに、この世へ反作用として漏れ出た力。それは、長い髪の女となって浮かび上がり、真っ赤な目でニカノールを振り返る。



「……わかった、使わせてもらうよ! そうか、あなたは……ずっと、フォスの近くにいたんだね。みんなと一緒に、いた……さよなら、友を愛してくれた人。さよなら、友の友」

 ニカノールの最後の力が、死霊の大爆発となって美しき女の魂を輝かせる。
 そのまま彼女は、満ち足りた笑みを残して光になった。
 巨大なエネルギーの奔流と化した光芒の中に、アンデッドキングは絶叫と共に消えてゆくのだった。

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