冒険者達の間に、奇妙な噂が広まっていた。
それは、不規則に地震が多発し始めるのと同時期だった。
第四階層『
そして、怯えを勇気で覆った冒険者達を待ち受ける、謎の少女。
時に冒険者を助け、時に導く少女の存在が、まことしやかに
ニカノールもその話は勿論、耳に入れていた。
「さて、これで18階もようやく半分か」
地図に今来た道を書き込み、ニカノールは
散発的だが、戦闘はどんどん激しさを増してゆく。
だが、それでも着実にニカノール達は進んでいる。
それも、アイオリスのどのギルドよりも先、未知なる迷宮の最奥へと。
「ニカさんっ! あの、さっきの穴なんですけど」
話しかけてきたのは、
今日は他に、周囲を警戒する
「わたしもそこは、気になりましたの。ニカ様、ここですわ」
「はい、ここです! ここ! 小さな小さな横穴が」
チコリとは逆の隣から、ワシリーサが身を寄せてきた。彼女の白く細い指が、地図の一点へと触れる。
密着に近い距離で、彼女の髪からふわりといい香りが鼻孔をくすぐった。
だが、その香気に包まれるニカノールは、慌ててブンブンと頭を振る。
もう片方の隣からグイグイと、チコリも迫ってきた。
「この穴、ニカさん達ルナリアの目ならば、奥を見通せるのではと」
「ああ、ナイトビジョン? えっと、それは」
「わたし、こう見えても夜目が利きますわ。ばあやにも昔、褒められましたもの」
魔法を得意とする種族、ルナリア。身体的には脆弱で、筋力も体力もアースランなどには劣る。だが、直感に結びついた視力は、それ自体が魔力を宿した眼差しを放つのだ。闇夜とて見渡す術があり、その眼力は冒険において大いなる一助となる。
ナイトビジョンはちょっとしたコツがいるが、ルナリアには一般的なスキルだった。
だが、ニカノールはこのスキルの習得を
「ん、じゃあ戻って調べてみよう。それで今日は終わり、街に戻ろうと思う」
「ニカ様、わたし達ならまだ……」
「そろそろ荷物もいっぱいだし、残った体力ではあと数回の戦闘が精一杯だからね」
「あ……た、確かに、そうです。ワーシャは大事なことを見落としていましたっ」
驚いたように目を丸くして、それからワシリーサは量の拳をグッと握った。そして、何度もウンウンと大きく
素直で健気で頑張り屋、優しくて気立てがよいけど、ちょっと視野が狭い。
そんなワシリーサに、とっくにニカノールは好意を抱いていた。
だが、彼女はそうなるように育てられた、一族から捧げられる
「ああっと! 美しき俺様に従う、愉快な仲間達! どうやら
ナルシャーダが、芝居がかった
奥から巨大な
すかさず臨戦態勢を取ったナルシャーダは、
そして、コッペペが盾をかざして最前線へと立つ。
「おっと、蝙蝠共……ここから先は行かせねえぜぇ? オイラも最近、真面目にやってるんでね!」
「フッ、御老体! 俺様と共に輝けるか?」
「あたぼうよ、ナル! 可愛い女の子の前でだけは、格好つけておかねえとな」
「もっともだ、至極当然! しからば、俺様もまた解き放とう……封じられし禁忌の力を!」
やる気があるのは結構だが、二人の視線がワシリーサを振り向いて緩む。
一方でチコリは「いやあ、そんなあ」としきりに照れていた。
お
ならばとニカノールは、愛用の
瞬時に
「さあ、死霊達。まずは仲間の盾に。そのうえで、鋭い爪を敵意へと突き立てろ!」
以前より格段に、死霊達は言うことを聞くようになった。
三体放たれた死霊は、コッペペ一人で支えきれぬ隙をカバーし、的確な反撃を蝙蝠へと放ってゆく。これも全て、長い冒険生活の中でニカノールが成長した
膨大な魔力を持ちながらも、使う術には
だが、フォリスという友も得たし、日々の研鑽も欠かさなかったのが幸いした。一般的な
「でも、数が多い……みんな、無理はしないで。数を減らして、その隙に逃げるのも手だね」
「大丈夫ですっ、ニカ様! わたし、範囲の広い魔法を試してみます」
「あっ、ワーシャ!」
意識を集中し始めたワシリーサへと、数匹の蝙蝠が舞い降りる。だが、彼女は避ける安全より仲間のための魔法を選んだ。ならば、それを守るのがニカノールの使命だと思えた。
かざした手に導かれるように、死霊が蝙蝠達へと組み付く。
同時に、爆発。
だが、死霊を爆弾へと変えた攻撃をすり抜け、最後の一匹がワシリーサに牙を
――
「……怪我は、ないか? ワーシャ。少し、危なっかしい」
突然現れたのは、
驚きはしたが、すぐにニカノールは死霊を再召喚して守りを固める。
同時に、ワシリーサの詠唱が歌声のように高まり、周囲を落雷の嵐が取り巻いた。
あっという間に、蝙蝠の大群が空中で黒焦げになってゆく。
「ふぅ……ワーシャ、怪我はないかい? みんなも無事だね?」
「ありがとうございます、ニカ様。スゥ様も……スゥ様? あの、なにか」
スーリャはなにかを言いかけては、あうあうと焦るように困った顔を見せる。そして、自分でも整理できていない言葉をとりあえず口にした。
「ノァンが、目を覚ました。フォスが、やった、けど、私は……すぐ、ニカとワーシャに、みんなに教えたくて、気がついたら一人で」
「まあ……スゥ様! 急ぎましょう! スゥ様こそが今、ノァン様の新しい朝に必要なのですから」
スーリャは自分の感情に戸惑っているようだ。そんな彼女にもう、闇の暗殺者だった以前の緊張感はない。
よかったと思った時には、ニカノールはガシリ! と手をワシリーサに握られていた。
突然のことで、呼吸も鼓動も止まったかのように身が固くなる。
肉体的には死んでいるので当然だが、あたかも呼吸していたと錯覚する程に驚けば……自然と生きてる自分が思い出された。
「ニカ様も! ノァン様が待ってますの!」
「うおーい、ニカよぉ。オイラはナルと例の横穴を調べてから、糸で帰っからよ」
「フッ、そういうことだ。
残ると言った二人に深々と頭を下げて、ワシリーサは走り出した。その手に引かれて、自然とニカノールも駆け出す。
そして、知る……無垢で無邪気なワシリーサの手は、とても熱く
この手に手を添え握り合い、ずっと走ってゆけたなら……そう思うニカノールは、スーリャの案内で手近な樹海磁軸へと急いで走るのだった。
その背を、ローブ姿の謎の少女が見守っているとも知らずに。