徐々にだが、謎と神秘が解き明かされつつある。
世界樹の迷宮は、確実に、そして堅実に調査されていった。
同時に、ニカノールの日常も少しだけ変わった。以前から好意を寄せてくれた、親の決めた
だが、それが新たな悩みをニカノールにもたらしているのだった。
それが今、午後のアイオリスに彼を潜ませる。
「僕はなんてことを……いや、でも! おかしいな、やっぱり変だよ。今日の僕は妙だ」
影から影へと、壁あらば張り付き、物あらば身を隠す。
そうして気配を殺しながら、ニカノールは一人の人物を追っていた。見詰める先で歩く背中は、誰であろうワシリーサその人だ。
ニカノールは今、恋人に隠れて尾行しているのだった。
ただただ背景に溶け込み、じっと
「それにしても……きょ、今日のワーシャは、こう……」
普段は見せない
そう、彼女にしては珍しく派手ないでたちだ。
大きく背中の開いた大陸風のドレスに、少し
今日のワシリーサはとびきりのオシャレで、美しい上にとてもかわいかった。
それがまた、一層ニカノールを不安にさせるのだ。
そんな彼を、呼び止める声があった。
「ん? おいニカ、お前……なにしてんだ?」
「待って、ナフム。様子がおかしい」
思わずニカノールは、ビクリ! と身を震わせた。
ゆっくりと振り返ると、そこにはナフムとフリーデルの姿がある。二人共、今日は休日で街をぶらぶらしているのだろう。
「や、やあ! 二人共。……げ、元気?」
「は? ニカ……頭でも打ったか? 死なないからって、馬鹿も程々にしとけよ」
「これは、その……ハハハ。ナフムこそ、休みの日だけど、なにを?」
「これから兄弟と
恐らく、花街へと繰り出すのだろう。
そういえば、ニカノールは随分と
当たらずとも遠からず、である。
生ける死体として不死を得てから、ニカノールの肉体は普通ではなくなってしまった。特に、月齢の影響を強く受ける傾向がある。満月の夜は、血が騒いで理性が蒸発しそうになる。そういう夜は、女の
だがもう、そうする訳にもいかないと思っている。
誰かを抱いてても、宿で待つ一人の少女を思い出してしまうのだ。
「ん? おいニカ、ありゃ……ははーん、読めたぜ? お前さん、ワーシャを追ってるのか」
「必然性は全くわからないけどね。でも、今日のワーシャは随分とめかしこんでいるようだけど」
「つまり、だ。あれだけ距離を取っておっかなびっくりだった癖に、いざワーシャに向き合ったら……こいつ、首ったけなんじゃないか。それで、彼女の一人の外出が気になると」
「……ナフム、少し芝居の見過ぎじゃないかな、それは」
慌ててニカノールは、何度も何度も首を横に振った。
ワーシャを疑ってなどいない。けど、今朝はいつにもまして綺羅びやかで、呼び止めれば
そんな彼女が、笑顔で「ちょっと、お出かけです」と言えば、それ以上は聞けなかった。
だが、気になる……気になってしかたがないのだ。
「っと、じゃあ二人共、またね! 僕は、うん……やっぱり、気になるから行くね。ワーシャに悪い虫がついたら、一族にも向こうの家にも申し訳ないし」
「へーへー、わーってるよ。さっさと行きな。ま、やりすぎんようになー」
二人と挨拶を交わして、再びニカノールは追跡者となる。
だが、角を曲がったワシリーサを追えば、奇妙なことに気付いた。自分以外に、ワシリーサを見ている視線がある。それも、複数だ。
道行く者たちの、鼻の下を伸ばした眼差しではない。
はっきりと、隠れて監視するかのような気配が存在していた。
「いったい、誰だ? え、まさか……ワーシャ、そんな。って、いやいや、それはない。なにか事情があるんだろうし、目を奪われる者だって一人や二人は」
だが、不思議と心臓が
ワシリーサが不貞など、働く
彼女は
それがまた、ニカノールには心苦しかったのも事実である。
まして、予定外のトラブルで早々と不死の
ワシリーサが、隠れて不義密通などするような少女ならば、どれほど楽だったか。だが、彼女は一途で気丈で、なにより優しい乙女だった。だから
そう、愛を知った……そしてもうすぐ、感じ合えるかもしれない。
そんなことを考えながらも、ニカノールは周囲に気を配る。
だが、彼の目が
「ノァンさ! いただよー、あっちさ行くだ」
「わかったです! ムムム……あっちは確か、お金持ちさんが住んでる方です!」
まだ、先程の視線は消えてはいない。そして、それとは別に見知った顔がトテトテとワシリーサを追いかけてゆく。どう見ても
ノァンにいたっては、エプロンドレスに金髪巻き毛のカツラまで被ってる。
すぐに二人と知れたのは、その言動が全く変わってないからだ。
変装してるつもりのようだが、別の意味でニカノールは
「えっと……二人はなにを、って、行っちゃう。やっぱりワーシャを追いかけてる、のかな?」
ワシリーサを追いかける二人を、自然とニカノールが追いかける形になる。
人のことを言えた義理ではないが、
そんな二人がウロチョロしていては、ワシリーサに気付かれてしまう。
意を決して、ニカノールは歩み出た。
「おーい……ノァン? と、シバ、だよね。君たちは――」
丁度、二人が通りの奥で立ち止まっていたので、声をかけた。
そうしなければ、ノァンとシバのどちらか、あるいは両方がヘマをやらかすと思ったからだ。
だが、その考えはあっという間に霧散した。
思考を奪う、ありえない光景を目にしたから。
「あ、あれ? ニカです……ニカ、ニカニカ、ニーカー! なにしてるですか?」
「あんれま、ニカさでねーか。じゃ、あれはやっぱりワーシャさだな」
そう、確かに目撃した。
着飾ったワシリーサを、一人の男が待っていた。細身で背が高く、日光を避けるための
そして二人は……互いに手を取り合って、また歩き出したのだった。