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 第五階層『円環ノ原生林(エンカンノゲンセイリン)』……何度、この迷宮を冒険したことだろうか。
 今日という日は不思議と、ニカノールに感慨をもたらしてくる。
 それなのに、特別なことはなにもなく調査は進んだ。全て、仲間たちと一緒に地図を描いた、この世界樹の迷宮の最奥へ続く道だ。
 なんでもない、繰り返される日々。
 日常と呼ぶには、刺激と感動に溢れた冒険の毎日だった。
 そしてそれが、もうすぐ終わりを迎えようとしている。
 そんな中でも、先を歩くナフムとフリーデルはいつも通りだった。

「よーし、デカブツは行ったな? 確かありゃ」
災厄(さいやく)(いた)(やまい)、だね。確か、図鑑にはまだ素材に関する情報が記載されてない」
「ま、今日はやめとくか。ありゃ、呪いで倒さないといけないらしい」
「その話なら俺も酒場で聞いたな。今日は適役もいないし、消耗は避けたいね」

 ナフムは勇敢で大胆、フリーデルは慎重で繊細。そして互いの長所を伸ばし合って進む。この二人は今や、ニカノールにとってもっとも信頼できる冒険者だった。
 思えば、彼らと出会ってからアイオリスでの冒険が始まった。
 右も左もわからぬニカノールが、彼らのおかげで今やアイオリスで一番のギルドマスターである。そして勿論(もちろん)、多くの仲間たちが助けてくれた。
 奇妙な(えにし)で知り合ったフォリスも、その一人である。

「ニカ、その……すまん」
「ん? ああ、いいよそんな」
「よく言って聞かせたんだが」
「普段通りなのはむしろ、頼もしいよ」

 恐縮した様子のフォリスと、並んで森を歩く。
 彼が頭を痛めている原因が、物凄いスピードで後方から走ってきた。
 別行動していたノァンが、満面の笑みで駆けてくる。その両手には、抱えるのもやっとな量の鉱石が山積みになっていた。
 今日は特別な日で、もしかしたら最後の調査になるかもしれない。
 そんな時でも、ノァンはマイペースに採集や採掘、伐採を忘れない。

「ニカーッ! マスターも! 見てください、沢山珍しい石が取れたです!」
「ノァン、今日は」
「これをニカに上げるです! ピカピカだから、ワーシャのお土産にぴったりなのです。……ほへ? マスター、今日はなんですか? 今日、なにかあるですか!」
「……いや、いいんだ。ノァン、お前は本当に物怖じしないな」
「はいです!」

 ノァンは荷物から麻袋(あさぶくろ)を出して、今日の成果物をドドドッと詰め込む。
 そんな彼女とフォリスとを見てると、自然とニカノールも気持ちが落ち着く。アルコンの言葉の意味は、まだわからない……行って会うことでしか、わからないだろう。
 それでも、気負(きお)わずにいられるのは周囲の空気がいつも通りだからだ。
 だから、もうニカノールは決めていた。
 この旅の終わりの、その先になにを求めるかを確かにしたのだ。
 そうこうしていると、指定された場所に立つアルコンが見えてきた。彼女は今日も、目深にケープを被ったマント姿である。顔以外の露出はなく、瞳は閉じられている。
 ナフムとフリーデルが声をかけると、ゆっくりと彼女は(まぶた)を開いた。

「よ、来たぜ? なにか用かな、お嬢ちゃん」
「ナフム、君って奴は……どうしてこう、いつも緊張感がないんだい?」
「そう褒めるなよ、兄弟」
「褒めてない。けど、凄いとは思うよ。で……君がアルコン、か」

 ニカノールも続いて挨拶をすれば、アルコンは無言で(うなず)いた。
 こうして、世界樹の迷宮の深奥、最後の扉の前に五人は集った。皆、ニカノールが信頼する最高の冒険者、気心の知れた仲間ばかりである。
 居並ぶ者たちをぐるりと一瞥(いちべつ)して、アルコンは口を開いた。

御足労(ごそくろう)、いたみいる。死の後先を歩くもの、ニカノール・コシチェイ」

 ――死の後先を歩くもの。
 それは、ニカノールの達人(マスター)クラスとしての通り名、二つ名である。アルコンはわざわざ、ここに集った者たちの二つ名を確認するようにそらんじた。
 そして、そっとケープを脱ぐ。
 誰もが驚く中、ノァンが大げさに反応した。

「わわっ、アルコンの頭! 角がピカピカーッってしてるです! ……かっこいーです」


 そう、アルコンの身体がほのかな光を放っていた。
 誰もが思うことを、彼女はゆっくりと言葉に乗せて言い放つ。

「冒険者たちよ、私はこの星に生まれた生命ではない。アルコン……それは我が一族の名。虚無にも似た宇宙の深淵に向けて、繰り返し生命を運ぶことを使命としている」
「宇宙……? アルコン、君は」
(なんじ)らが見上げる夜空、星の海……遠い未来、汝たちもまた船出するであろう」

 アルコンは切々と語った。
 かつてこの星は、ニカノールたちが暮らす大地は……死の(ふち)に沈みつつあった。空気は腐り、海は煮え(たぎ)って乾き切った。おおよそ生命と呼べるものはそこには存在せず、ただ闇だけが表面を覆っていた。

「そんな星に私は、世界樹を根付かせた。世界樹とは、癒やしと恵み……永遠にも等しい時間、私は世界樹がこの星を浄化するのを見守った」

 やがて、清浄なる世界に生命が(またた)き始めた。
 それはやがて、無数に進化してこの星を覆ったのだ。
 壮大な話に、ニカノールはただただ驚くばかりだった。ナフムは興味深そうに聞いているが、腕組み唸るフリーデルには警戒心が見える。フォリスは頭が追いついてこないのか、目を丸くして黙ってしまった。
 そんな中、ノァンだけが声をあげて話を遮る。

「おおー! アルコン、ありがとうなのです! アタシたちを助けてくれたですね! えっと、うちゅー? から、この星……星? アタシたち、お星さまに住んでるですか?」
「そうだ、ノァン……暗冥に踊る死魂の拳姫よ」
「じゃあじゃあ、アタシたちのこのアルカディアは、うちゅーから見ると」
(あお)く美しい星。アルカディア大陸はその一部、宇宙からははっきりと見える豊かな緑の土地だ」
「おおー! すっごいです……アタシ、感動です!」

 無邪気なノァンの反応に頷き、アルコンは話を続ける。

「世界樹は根付く際に、この星の悪しき原初の闇を取り込んだ。これから生まれる生命のために、その身に恐怖の根源を封印したのだ。いつか人間が現れ、勇気と探究心を持って挑んでくる……そう私も考え、世界樹の迷宮で待った。……待ちわびて、待ち()がれた」

 そう言って、アルコンがそっと手を伸べる。
 ぼんやりと光る手の平の上に、宝石のようなものが出現した。
 それを見たニカノールは、驚きに声を張り上げる。

「そ、それは……! えっ、どうして? いや、世界樹にあるのは知ってたけど……何故(なぜ)、君が」
「左様、 () () () () () () () 。秘術によって不死を得る儀式が、こうして私に汝の生命を握らせた。……既に聞いているだろう。世界樹の(いただき)には、あらゆる願いを叶える力があると」

 そう、あらゆる冒険者が夢見る、その原動力。富も名声も思うまま、この世の条理さえ捻じ曲げる世界樹の奇跡。皆、願いと祈りを携え危険な迷宮へと挑むのだ。
 しかし、アルコンは衝撃の一言を放つ。

「私は待ち続けた。だが、人間は愚かにも世界樹の奇跡だけを求め、試練への挑戦はおろか、四種族の調和さえままならず……遂には大戦争でこの世界樹を汚そうとした」
「……大昔の大戦、暴王(ぼうおう)の時代のことだね?」
「私にはもう、時間がなかった。どうしても、この場に、この最後の扉の前に……世界を背負って宿命に立ち向かう、この星の生命の代表者を迎えねばならなかった」
「なんのために……宿命とは?」
「世界樹が内包せし、原初の闇……封じれど消えぬ、死。いつかは誰かが超えねばならぬ、この星の試練。私はそれを見届けぬ限り、この場所を離れられない。故に、世界樹の奇跡を私自身が使ってしまった。たった一つの奇跡に、選ばれし者を導くよう望んだのだ」

 謎は解けた。突然のニカノールの、不死者への変貌。予定していなかった、自分でも理由がわからなかったアンデッド化は、アルコンと世界樹によって引き起こされたのだ。衝撃の真実に、言葉も出てこない。
 だが、アルコンが手にする自分の心臓が、物言わぬ証拠として浮いている。
 そして、アルコンは静かに告げてきた。

「ニカノールとその仲間たちよ。汝らに未来を託す。人が真に明日へと生きるために、誰かが過去の闇を超えねばならない。やがて世界樹の力を人は必要としなくなる。神秘は薄れ、この世界には科学が満ちてゆくだろう。だが、その時では遅いのだ」

 アルコンは、この扉の向こうに最後にして最強の敵がいると言う。それは、この星のあらゆる生命が対峙せねばならぬ、闇。死の体現者にして、かつてこの星を滅ぼしたもの。
 ニカノールはしばし黙考に沈んだあと、慎重に口を開くのだった。

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