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 濃密な魔素(まそ)の中で、レヴィールはゴクリと(のど)を鳴らす。
 腕の中には今、倒れて力尽きたスーリャの身体があった。彼女がどれだけの手練(てだれ)かは、嫌というほど知っている。何度か手合わせして汗を流したが、一度も勝てなかった。
 そのスーリャが、一撃で戦闘不能になってしまった。
 恐るべきはこの場所に(よど)む闇、幽冥(ゆうめい)なる原初の(ぬし)である。

「こんな……勝てるの? 少しずつ積み重ねることで、倒せるなんて」

 無理だ、という言葉をレヴィールは飲み込む。
 すぐにスカートを破って、スーリャを手当した。鍛え方が違うのか、その引き締まった肉体の生命力は強い。止血しただけで、命に別状はないことがはっきりとわかった。
 安全な場所へとスーリャを運んで、振り向いたその時だった。
 小さな影が立て続けに二つ、目の前に落下していた。
 それは、仲間のラチェルタとマキシアだった。

「イチチ……マキちゃん、大丈夫?」
「お、おうよ。派手に吹っ飛んだが、問題ねえ!」

 二人はすぐにその場で立ち上がった。
 レヴィールは改めて、友人たちのタフさに驚く。
 勿論(もちろん)若輩(じゃくはい)とはいえ鍛え上げられた冒険者だ。あれだけの敵を前にしても、反射的に身を守りながら戦っている。
 それに、ラチェルタとマキシアは心が強い。
 最初から(すで)に、冒険者たちが挑んでいる幽冥なる原初の主との戦いを覚悟していた。
 戦う決意があって、それは揺るがぬようにも見える。
 ふと、レヴィールの脳裏を言葉が()ぎった。

『ふふ、珍しく弱気ね、レヴィ。あら、私? そうね……楽勝とはいかないでしょうけど、どうにかなるんじゃないかしら』

 祖母デフィールは、そう言って笑った。
 彼女は、アイオリス中の冒険者が躍起になっている中、クラックスやシャナリアとカードに興じていた。
 あまり詳しくないレヴィールでも、祖母が二人に馬鹿負けしてるのがわかった。
 だが、彼女は躊躇(ちゅうちょ)なくカードを切って、果敢に手札へ役を招いてゆく。
 そして、テーブルを囲む仲間と共にゆっくりとレヴィールに向き直った。

『人間たちが超えるべき試練……確かにアルコンはそう言ったのね? なら、私たちの出る幕じゃないわ。そうでしょう?』

 祖母の自信に満ちた笑みは、とても老婆には見えない。
 年齢は既に六十歳近い筈だ……だが、その半分くらいの歳に見える。
 (かつ)て祖父ヨルンから、伝承の巨神を廻る冒険について聞かされたことがある。デフィールは単身調査に赴き、事故で記憶を失った。そして、ヨルンの前に敵の騎士として現れたのである。
 その時、デフィールは帝国の技術で全身をいじられ、強化されたという。
 今でも若々しく見えるのは、その名残なのだ。

『あの敵は、人間が倒すべきね。私だって人間のつもりだけど……ふふ、ニカが不死でも人間として、その最前線として戦ってるわ。だからね、レヴィ。ズルは駄目でしてよ?』

 今や伝説の冒険者、エトリアの聖騎士と呼ばれるデフィールの強さは本物だ。そして、その伝説が全く伝わってないアルカディア大陸でも、力は全く衰えていない。
 その彼女が、自分たちが出向けばズルだと言うのだ。
 漠然(ばくぜん)とだが、レヴィールにはこの戦いの意味がわかった気がする。
 ニカノールがアルコンに選ばれ、彼女の願いと祈りによって不死者となった。それは、繰り返し挑み続ける者へとニカノールを変えたのだ。
 負けても負けても、負けで終わらない。
 その都度(つど)立ち上がる人間の旗頭として、アルコンと世界樹はニカノールを選んだのだ。

「そう、決着は人間が……これからの時代を生きる人間がつけなければいけないのだわ!」

 不意にレヴィールは、鎧の留め金を全て外す。
 短くなってしまったスカートも脱ぐと、一切防具をつけぬ姿で二人に並んだ。
 神経を研ぎ澄まし、肌で感じる気配と空気に身を委ねる。

「チェル! マキ! 私が攻撃を引きつけるわ。どんどん攻めて頂戴!」
「おうっ! ……って、レヴィ!? おいおい、マジかよ」
「本気、なんだね? じゃあ、ボクも……ボクたちも全力全開の本気で付き合うよ!」

 互いに(うなず)きを交わして、同時に三人は地を蹴った。
 たちまち、恐るべき攻撃が無数に降り注ぐ。


 だが、その全てをレヴィールは自分に集めることに成功していた。そして、極限の集中力を総動員し、避ける。避けて避けて、避け続ける。
 日頃より身のこなしに自信はあったし、達人級(マスタークラス)となって更に研ぎ澄ましたつもりだ。
 半端な防御力は、かえって己の動きを鈍らせる。
 レヴィールは今、持てる命の全てをチップに変えて、危険なギャンブルを始めたのだ。

「そうよ、私を狙ってきなさい! 私たちは……人間は、お前なんかに負けない! 負け続けても、負け終えてなんかやらない!」

 肌が粟立(あわだ)ち、呼吸が浅くなる。
 何度も何度も、死が柔肌(やわはだ)擦過(さっか)した。
 一秒前の自分を、稲妻が貫き、氷刃が切り裂く。
 だが、レヴィールはステップワークで攻撃を翻弄(ほんろう)しながら、さらに自分を追い込んでゆく。持てる余裕の全てを、少しずつ捨ててゆく。
 危険な剣舞にいよいよ攻撃が集中する。
 それはレヴィールの思惑通りで、期待に応える仲間がいてくれた。

「マキちゃんっ、今だよ! 例のやつ、やっちゃおうよ!」
「おっしゃ、チェルッ! お前が繋いで!」
「マキちゃんが結ぶっ! 友情パワーの必殺連携、いっくぞぉ!」

 レヴィールは見た。
 全身の力を解放したラチェルタが、光っている。その輝きは、まるで地獄の闇に浮かんだお月さまみたいだ。そう、優しい金色の光は、(あらわ)になった(うろこ)や尻尾から浮き出ている。
 そして、その背後にはマキシアが剣を構えていた。
 二人は、互いの剣閃を重ねて競い合うように、敵へと向かって跳躍する。
 刹那、暗黒の化身を鋭い連撃が無数に襲った。
 レヴィールでさえも、その全てを目で追いきれない。

「嘘……お互いに、相手に対してチェインを? ……ううん、違う! あれは!」

 ラチェルタの攻撃が、徐々にヒートアップして加速する。それはまるで、歌曲が響くように広がってゆく。そして、それをなぞって追撃を捩じ込むマキシアもギアを上げていた。
 ラチェルタが崩して、マキシアが痛撃を差し込む。
 マキシアの隙をラチェルタがカバーし、その先に……高まる二人の気迫が凝縮されてゆく。

「いくよっ、一緒に!」
「レゾナンス! おおおっ、こいつでっ! 終わりっ、だあああああ!」

 雷と炎で(つむ)がれた連撃が、最後に光で結ばれる。
 剣士(フェンサー)の究極奥義、レゾナンス……チェインの反動を集めて溜める、一撃必殺の大技である。攻撃を連鎖させる程、その威力は高まるのだ。
 そしてレヴィールは、明らかに幽冥なる原初の主が変わるのを見た。
 否、聴いた……無言で無感情だった闇の化身は、苦悶の絶叫を張り上げたのだ。

「嫌がってる? 痛がってる! 二人の攻撃が効いてるのだわ! ――ッ、しまった!」

 一瞬の隙を突かれた。
 脚を止めたレヴィールを、巨大な一撃が襲う。
 回避しようと思っても、もう遅い……思わず目を瞑ったその瞬間、おぞましい絶叫が二つになる。
 痛みが襲ってこなくて、レヴィールは恐る恐る目を開いた。

「え……あ、あれ? 私は……それより、あれは!? 死霊……う、嘘! こんなのって」

 目の前に今、幽冥なる原初の主にまさるとも劣らぬ巨大な炎が浮いていた。青白く燃えるそれは、屍術士(ネクロマンサー)が扱う死霊に見える。
 だが、途方もなく大きい。
 巨大な死霊が、幽冥なる原初の主の突進を全身で弾き返していた。
 そして、背後で頼もしい声が響く。

「やあ、君たちも来てたのかい? 危ないのに、困ったお嬢さんたちだね。ちょっと遅くなったけど、遅過ぎはしなかった訳だ。ね、フォス?」

 そこには、(ひつぎ)を担いだニカノールとフォリスが立っていた。
 ニカノールがそっと、片手で合図を送れば、死霊の両手が鋭い斬撃を放つ。このサイズで、あまりに素早い動き……さしもの幽冥なる原初の主も、動きが鈍る。
 死霊の爪が持つ、麻痺の呪いが効いたようだ。
 そしてレヴィールは、謎の巨大な死霊の正体に仰天してしまうのだった。

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