デフィールは
周囲の客が驚くのも構わず、テーブルをバン! と叩く。
ここは酒場、魔女の
今は冒険者たちでごったがえす、まだまだ
「ま、待てよう、デフィール……そんなに怒るこたぁねえじゃんなあ? な?」
両手でどうどうと、コッペペが制してくる。
だが、彼への怒りをデフィールは爆発させていた。
このパターンは昔から知っている。何度も何度も思い知らされている。コッペペの安請け合いはいつも、ギルドを大変な戦いに巻き込んできた。彼が記憶を失っても、デフィールには忘れられない。
そして今日も、そんなとんでもない大冒険が始まってしまったのだった。
「怒りもしますわ、コッペペ!
そう、毎度のことだ。
コッペペは、女の頼みを断らない。断れないのだ。
「落ち着けって、なあ? クラックス、お前さんも言ってやれ」
「いやあ、僕は、そのぉ……と、とりあえず、座らない? 静かに話そうよ。ね?」
クラックスに
怒りを通り越して、
そして、ようやく一心地ついてから言葉を選ぶ。
「コッペペ、それで? 星の海を超えて、アルコンの生まれた星へ? どうやって!」
「いやね、アルコンの奴……船を呼ぼうとしたけど、応答がないんだとよ」
「船? 星の海を渡る船かしら。まあ、それくらいじゃ驚かないけど」
「それでな? しょうがないから歩いて帰ろうってんだけど」
「海が歩けるものですか! もぉ、どうしてそう二つ返事で引き受けちゃうのかしら!」
デフィールは頭が痛くなってきた。
問い詰めてはみるものの、コッペペが知らないのはわかっている。彼は、知らないことやわからないことに首を突っ込みたがる。それが女性の願いだと、率先して首から下も突っ込んでしまうのだ。
指と指とをチョンチョンぶつけ合いながら、上目遣いにコッペペが見詰めてくる。
悪いとは思っているらしいのだが、この男は反省してみせることも大得意なのである。
そう思っていると、同じテーブルの片隅で笑い声があがった。
「ちょっと、シャナリア! 笑い事じゃなくてよ」
思わず
そう、少女にしか見えないがこの人物は、何百年もの時を生きてきた吸血鬼……その真祖だ。生まれながらの強者、ヴァンパイア。遠き昔の
シャナリアはトマトジュースで割ったウォッカを飲んで、自分を落ち着かせるや話し出す。
「愉快、実に愉快だ。人間、お前たち人間はいつもそうだな」
「それはどーも、それで? はたから見てるとさぞ、面白いでしょうけどね。まあ、その、なに? 私だって、こんなこと一度や二度じゃないわ。でもね」
「――宇宙」
「えっ?」
「お前達人間が、星の海と見上げる世界……それを宇宙と言う」
デフィールはその単語を、始めて耳にした。
冒険者として生きて、
だからこそ、今回の戦いでは決して手を出さなかった。
自分たちがもう、冒険者としては第一線を退いているからだ。
いつまでも古参のベテランが幅を利かせていては、ろくなことがない。
だが、宇宙という言葉に胸が高鳴り、少女時代の
「宇宙、とは」
「宇宙とは、この星に築かれた世界の外側。無数の星々を内包した、果てなき
「……歩いて渡れるものなの?」
「原則としては無理だな。宇宙には重力も空気もない。歩こうにも地面がないし、吐いて吸う呼吸が不可能だ。さらに言うなら、星と星とは、光の速さで飛んでも何年もかかるだけの距離がある」
シャナリアが嘘をいってるようには聞こえない。
むしろ、装飾されていない真実のような気がした。
その全てが、コッペペの引き受けた案件、クエストやミッションよりも巨大な難題への否定を
それなのに、ああそれなのに。
不思議とデフィールは、心が弾んで熱くなるのを感じていた。
そのことを察してか、クラックスが微笑み言の葉を
「ねえ、デフィール。君がもし、レヴィだったら……レヴィール・オンディーヌと同じ立場だったとしたら、どう? 彼女ならどう選択し、なにを決断するかな」
「クラックス……それは卑怯よ、
「うん。僕も、自分がチェルだったらと思うと、なんだかこう、胸の奥が熱くなる」
そう、新たな未知と神秘に挑むのは、これは冒険者の
好奇心と探究心を忘れた時、人間はこれまでのものを守る側に回る。そしてそれは、決して悪いことではない。伴侶や子を守り、国を守り、仲間を守る。
守るものが増えると、人は前に進めなくなるものだ。
ただ、それでも覚えている……前へと自分を押し出す情熱、燃えて
「僕もデフィール、君とチェルたちを見守るつもりだった。二人で一人のエクレールになって、極力手を出さないつもりだった。でも」
「ええ、そうね……だってもう、見てられないんですもの」
「それに、僕たちはまだ冒険者なんだよ。鍛えた力と技、数多の危機を乗り越えた経験があっても……僕たちは今でも、新たなる冒険を前に大人ではいられない」
クラックスの言う通りだ。
星の海を歩いて旅し、まだ見ぬアルコンの母星を目指す。
それは、どんなに心躍る大冒険だろう。
そう思うと、デフィールの怒りは徐々に消えてしまう。
そして、冒険者の心得と心意気を体現する、この街で一番の二人組が現れた。
「あっ、ニカ! ニカ、あそこです! あそこでくだを巻いてるです!」
「本当だ、よかった。詳しく話を聞かないとね、ノァン」
「はいです! アタシは今、凄く張り切ってるです。やる気
我先にと、ニカノールとノァンが駆けてくる。
なんて顔をしてるのだろうと、思わずデフィールは頬が
二人共、瞳をキラキラと輝かせている。まるでそれは、これから踏破すべき星の海を閉じ込めたような光だ。損得や成功率、打算と計算が全く頭に入っていない。そういう笑顔だった。
「どうも、ごきげんよう! えっと……コッペペ、話は聞いたよ。っていうか、もっと詳しく聞かせてほしい。今度の冒険は、どういう感じになるんだい?」
「アタシも聞きたいです! 世界樹の迷宮より、もっと凄いですか? ワクワクなのですか? アタシはもっと沢山稼いで、スゥと楽しく冒険できるですか!」
テーブルに身を乗り出し、我先にと二人が迫ってくる。
思わずデフィールは、笑ってしまった。
そこに、若き日の自分を見たからだ。
そして、肉体こそ若々しいものの、老いた自分の中に見つけた。
まだ、自分にも目の前の二人と同じ気持ちが、
それは今、コッペペが持ってきた話で再び燃え上がり始めた。
「二人共、落ち着いて
そう、乾杯だ。
新たな旅立ちに、乾杯。
今この瞬間、アイオリスに集った冒険者たちの、最後の冒険が始まろうとしていたのだった。