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 今日も今日とて、第六階層『赤方偏移ノ回廊(セキホウヘンイノカイロウ)』の探索は進む。
 だが、ニカノールはギルドのマスターとして、他にも仕事が山積みだった。それで今日も、恋人のワシリーサには先に休んでもらい、夜の酒場に来た。
 黄昏(たそがれ)魔女亭(まじょてい)は今日も大賑わいで、奥へ案内される途中でも声を掛けられる。

「よう、ネヴァモアのニカノール! 景気はどうだい!」
「まあまあだよ。ようやく新しいフロアに進めたけど、第六階層は手強いね」
「ニカノール、セリクの店には顔を出したか? 新しい武器が(いく)つから並んでたぜ」
「それは初耳だな。今日はずっと迷宮にいたから……明日、出発前に覗いてみるよ」

 ニカノールは、自分でも知らないうちに街の顔になっていた。
 アイオリスは冒険者の街で、誰もが実力で相手を推し量るのが習いである。結果、世界樹の迷宮を踏破し、その奥に封印されていた原初の闇を倒したニカノールは慕われている。実質、アイオリスで一番の冒険者と呼ぶ者も少なくない。
 自分には過ぎたるもので、結果論が集まっただけに過ぎない。
 だが、ギルドの仲間たちにはプラスに働くことが多いので、甘んじて伝説級の冒険者という評価を受けることにしていた。
 そして、一番奥のテーブルに迎えば、(すで)に仲間たちが顔を出していた。

「あっ、ニカが来たです! ニカ、こっちですー!」
「やあ、ノァン。みんなも、揃ってるね?」

 そこには、ネヴァモアとトライマーチの冒険者が揃っていた。
 だが、トライマーチのギルドマスターは見当たらない。
 どうやらコッペペは今夜も、定例の集まりをすっぽかして遊び歩いてるらしい。

「よ、お疲れ。どうだ? 第六層の今は、ええと、27Fか? 進んだらしいじゃないか」
「ナフム、それなんだけどね……でっかい魔物がウロウロしてて、なかなか調査がはかどらない」
「動きに特徴があるだろ、そういうのはさ。戦わずやり過ごせるなら、それに越したことはねえよ」

 うんうんと、ナフムの隣でフリーデルも(うなず)いている。
 他には、コロスケが帳面を片手に酒を飲んでおり、ナルシャーダも静かに杯を重ねている。フォリスも一緒で、今ちょうど仲間たちがそれぞれに書いた地図を一つにまとめようとしているところだ。
 ナフムが席につくと、すぐにイオンがグラスに酒を注いでくれる。

「第六階層は手こずってるみてぇだな。ええ?」
「まあね。イオンたちはどう?」
「なに、こっちは危険度の低い仕事だからな。ただ、細々とした案件ばかりで面倒なのも事実だ。ササメちゃんやアサヒちゃん、あとは三馬鹿ボウズたちに頑張ってもらってるさ」
「こればっかりは、地道に一つずつ潰していくしかないからね」

 ニカノールを交えて、再び乾杯の音頭が取られた。
 先程まで迷宮にいたニカノールにとっては、遅い夕食になる。晩酌を兼ねつつ、ノァンが取り分けてくれた料理の皿を受け取った。
 今日は、パイ生地で包んだ肉料理とサラダ、他にも揚げ物や蒸し焼きにした魚なんかが並んでいる。まずは空腹を黙らせるため、料理を食べつつニカノールは面々を見渡した。

「あっ、なにこれ美味しい。なんのお肉かな。こっちもなかなか……で、作業の進捗はどう?」

 ニカノールの言葉に、真っ先に答えたのはコロスケだった。
 彼は東洋の島国でよく使われる、酷く小さい(さかずき)で発酵酒を飲んでいる。
 その手を止めると、彼は帳簿を閉じて実直そのものな声を響かせた。

「順調にて(そうろう)、しかしながら最後に面倒なものばかり残ったでござる」
「そっか、あと何件くらい?」
「未だに全ての素材を回収できていない魔物が、ざっと5、6匹。残ってしまったものは、どれも手強い魔物でしてな……悠長に香や糸を使う余裕があるかどうか」
「ふーむ、なるほど。アルカディア評議会からは、図鑑の完成も頼まれてるからね」
「左様、実際は得られる素材を用いた道具や武具、これは絶対に必要なものではござらん」
「けど、どの魔物がなにを持ってるかは、後々の冒険者たちにも必要な情報だね」

 カニをバリバリ食べながら、ノァンが「今日はアタシが大活躍したです! 頭とか手足を狙ったです!」と元気よく手を上げる。
 魔物の中には、特定の条件で上質な素材を残す種が存在する。
 それは危険な冒険の中では、とてもありがたい道具の材料になるのだ。幸運にもそれを得られた者は、同業者よりも有利に迷宮の調査を進められるだろう。市場に出回る買取価格も高く、それだけで財を成す者もいるという。
 その全てを図鑑に記して網羅するように、ニカノールたちは依頼を受けているのだ。

「一応、拙者(せっしゃ)が残った魔物との限定状況、試すべき条件をまとめてござる」
「仕事が早いなあ。ええと、石化に、麻痺に、毒……あ、毒を入れて倒すんじゃなくて、毒そのもので息絶えた状態じゃないと駄目なのか」
「なかなかに面倒なものばかり残り申した。ま、拙者が明日にメルファ殿やらラチェルタ殿たちを誘ってみます(ゆえ)
「うん、お願いするよ。フォスは……まだ、地図が途中か。じゃあ」

 ちらりと視線を滑らせた、その瞬間だった。
 突然、今まで静かに飲んでいたナルシャーダが立ち上がる。
 彼は全員をぐるりと見渡し、うっそりとした声で朗々と話し出した。

「ニカ、そしてみんな……聴いてくれ。今しがた計算してみたが、久々に両ギルドの収支が黒字に転じそうだ」
「えっ、ホント? いやあ、第六階層入ったばかりの時は、消耗が激しかったからなあ」
「フッ、俺様の計算に間違いはない。すぐに宿にもどって帳簿の記帳を……いや、その前に!」

 ゴホン、と咳払いを一つして、ナルシャーダが両手を広げる。
 彼は胸を張って、よく通る声で歌い出した。
 だが、酒場もニカノールたちも、それがいつもの平常運行なので、構わず話を進める。他の席からは、酔っ払って掛け声や拍子を取る者、(ほお)を赤らめ潤んだ瞳で見つめる女性たちの視線が殺到した。
 まあ、いつものことなので気にせず話を進める。

「おお、まばゆき勇者ぁ〜、ゆーうーしゃー! その名は、あああっ、あぁぁ〜! ナルシャーダァァァァァ〜♪」
「少しは(ふところ)に余裕がでてくるらしい。ナフム、フレッド、足りないアイテムの(たぐい)はあるかい?」
「チェスニーたちがやりくりしてくれてるから、薬品関係はOKだ」
「あとはそうだね、何人かは武器を新調させてやりたい。ただ、防具とどっちを優先すべきか……品揃えも見て、慎重に判断しないとね」


 ナフムとフリーデルは、ニカノールが冒険者としてこの街で動き出してすぐの仲間である。当然、阿吽(あうん)の呼吸で以心伝心だ。
 一人で勝手に盛り上がってるナルシャーダを他所(よそ)に、お金の使い道を話し合う。
 少し細かな数字の話になって、ノァンはしきりに納得顔でキリリと頷いていた。
 実は全く理解できてない計算の話でも、彼女にも大事な要件であることはわかるようだ。

「なるほど、わかったです! つまり、明日は買い物班が出動なのです!」
「そうだね、前衛の仲間にはそろそろいい武器を買ってあげないと」
「アタシは手足があれば十分なのです。叩いて蹴ってで大活躍できるです!」
「まあ、ノァンもそろそろ拳甲(グローブ)がくたびれてきてるし、考えておくよ」

 そうこうしていると、フォリスが地図を完成させた。全員でくまなく歩いた結果を、ようやく一枚の地図にマージできたのである。
 改めて見ると、第六階層の栄えある最初のフロア、26Fの全容は恐るべきものだ。
 よくもまあ、こんな複雑で危険な迷宮を調査し尽くしたものだと、ニカノールも溜息が出る。

「よし、これは僕が明日の朝にでも評議会に出向くよ。ありがとう、フォス。みんなも。引き続き、面倒な仕事もあるだろうけど協力して……ん?」
「それよか、ニカよう。なんか、お前さんに客みてぇだぜ?」

 イオンがクイと親指で指差すので、ニカノールは振り返る。
 そこには、久々に顔を合わせる同業者、闇狩人(リーパー)のソロルが立っているのだった。

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