広がるは果てなき大平原。
このフロアの大半を占める、巨獣の庭である。
ニカノールは久々にその場所へ脚を踏み入れて、まだまだ駆け出しだった頃の恐怖を思い出した。今振り返っても、身が竦む……ここには、太古の昔に大陸を震撼させた、戦神の
「あの頃は逆に、結構怖いもの知らずだったな。今は、そうではいられない」
ひとりごちて、ニカノールは震える手に汗を握る。
怖い。
恐ろしいのだ。
それは、あらゆる強敵を苦戦の末に倒してきた今も、同じだ。
相手の力量を察することができるくらいには、ニカノールも強くなっているということである。
「よぉ、あそこだ……大将、今日も律儀にこっちを見張ってるぜ?」
先に立って歩くナフムが、盾の先端で奥を指し示した。
そこには、まるで騙し絵のように遠近感を歪めている巨体がある。遠景に溶け込んで入るが、目に見える大きさと存在感が奇妙なミスマッチで目立っていた。
太古の昔、
今はまだ、こちらを睨んでオリファントは動く気配はない。
それを確認して、フリーデルが仲間たちを手招きで集めた。
「最後に確認しておこう。一応、シャナリアからオリファントのことを少し聞いてきた」
「驚いたな、フレッド。よくもまあ、あの世捨て人が教えてくれたもんだ」
「だろ? コツがあるのさ、ナフム」
「……なにか
「カードの貸しがあった。それも、結構な額の貸しが」
神話の時代から生きる吸血鬼、その真祖……シャナリアは語った。大昔に彼女の元を去った教え子は、やがてアルカディア大陸の全てを一つに纏めるために戦いを起こしたのである。
今の世の歴史が、暴王と記憶している男の大戦争だ。
その時、彼は遠く異国の地より災厄を招いて使役したのである。
「まず、オリファントは基本的に『
「そりゃ、見ればわかるぜフレッド」
「そうね、目新しい話じゃないわ。やっぱりここは、私のノイエアームストロング――」
「や、それはやめておこう。ね? シシス」
便宜上の仲間であるシャナリアは、語った。
オリファントは巨体を誇る無双の巨獣だが……その本質は、野の
つまり、ニカノールたちが戦いを始めるイニシアチブを持っているのである。
「次に、獣ゆえに物理的な攻撃しか持たない。ようするに、踏みつけとか牙による
「けど?」
「当たると痛い。普通に死ねる。それも一撃でだ」
「そりゃな! ……まあ、そうはさせねえよ。任せな、兄弟」
「うん。基本的にナフムが守りを固めて俺たちを護衛、隙を見て痛撃を叩き込む。俺はシシスと魔法での攻撃に専念、ニカは死霊で援護してくれ。まきりは――うん?」
突然、フリーデルが言葉を飲み込んだ。
そして、ぶるぶる震える手で奥を指差す。
その方向に振り返って、ニカノールは絶句した。
勿論、仲間のナフムもシシスも
そこには、威風堂々たる荒武者の背中があった。
不思議と無駄に堂々として見える、その頼もしい後ろ姿はまきりだ。彼女は今、抜刀もせずにオリファントの眼前に立っている。
妙な話だが、オリファントと同様に彼女も大きく見えた。
凛とした声が叫ばれ、平穏な空気が震える。
「頼もーうっ! やあやあ、割れこそは
終わった。
始まる前から終了の流れだ。
腕組み胸を逸らして、豊かな乳房を揺らしながらまきりはわっはっはと笑っていた。セリアンは武勇を尊ぶ民族だが、
以前、ニカノールはこういう蛮勇をなんというか、コロスケから聞いていた。
「こ、これが……
綿密な作戦を立てた上で、今回は感触を掴む程度の戦闘でいいと思っていた。甚大な被害が出る前に退却して、持ち帰った情報で改めて戦い方を練ろうと思っていたのだ。
だが、ニカノールの目論見は綺麗サッパリ消え去った。
そして、オリファントはまきりに呼応するように吼え荒ぶ。
大気が沸騰して、大地が激震に揺れた。
世界を揺らしてオリファントが突進を開始したのだ。
まきりはそれでも、目を
「おお、なんたる威容! やっぱ凄いなあ、でかいなあ! では、いざいざ……御統まきりっ、推して参るっ!」
急いでニカノールも、仲間たちと走る。
だが、意外とまきりとの距離は遠い。
そして、そのまきりはオリファントの、まさに目と鼻の先で二刀流を解き放った。
大蛇の如く自在に振るわれるオリファントの鼻が、さながら
信じられない光景だが、一対一であの巨象と斬り結んでいるのだ。
「おいおい、パワー負けしてねえぞありゃ! ったく、何食って育ったんだよ!」
「肉だよ、肉!」
「だったな!」
「ああ!」
ナフムとフリーデルが、慌てて援護射撃に銃を抜く。シシスも術式を展開して、魔法の力を励起させ始めた。
ニカノールも素早く死霊を呼び出し、即座にその一体をオリファントへ向ける。
呪いの言葉を叫びながら、死霊はオリファントの持つ鉄壁の防御を蝕んで消えた。
「おお、ニカ! かたじけないな、わはは! さあ、一世一代の
「まきりっ、もう……せめて一言相談してほしいなあ」
「なぁに、気にするな!」
「僕は気にするよ!」
「なに、いざというときは
だが、オリファントは獰猛な野生を剥き出しに突っ込んでくる。
そして、すぐ横に見上げれば……剣を振るって牙を弾くまきりは、笑っていた。
それは、いつものほがらかで気持ちのいい笑顔ではない。
冴え冴えとする程に凄みのある、戦いの歓喜に震えて猛る笑みだった。
「おおう、やるなオリファント! わたしの打ち込みを弾くか……なら、これはどうだ! ははっ!」
一際激しい
まきりの左腕が、内側から裂けて鮮血を迸らせたのだ。
「おおう、やられたか! 痛いな、痛いぞ!
「ま、まきりっ!」
「なに、一騎討ちはここまで……世話をかけたな、ニカ! だが、わたしの最大の武器は、剣でも美貌でも女子力でもないっ!」
え、そこ? っていうか今、美貌って言いました? 女子力、あると思ってたんだ……ニカノールは
だが、まきりは
地響きを立てて突進で通り過ぎたオリファントが、砂嵐のような土煙をあげてターンした。そのギラついた
「わたしの本当の、最高の武器……それは仲間! さあ、思う存分に死合おうぞ!」
いや、僕は死にたくない……本気でそう思いつつも、あまりにも単純なまきりの戦いに、ニカノールも苦笑を浮かべていた。
そもそもニカノールは、死んでいる。
死んだままで毎日を生きているのだ。
「よし、やろう。どこまでやれるかわからないけど……やれるだけ、やってみよう!」
ニカノールの声に、改めて仲間たちも身構える。
こうして、大平原の死闘は馬鹿馬鹿しいまでの潔さで始まってしまったのだった。