オリファントは遂に倒された。
前人未到の大偉業を成し遂げたのは、またしてもネヴァモアとトライマーチだった。その凱旋にアイオリスの街は熱狂し、直ぐに評議会も動き出す。
なにより、お祭り騒ぎの貴族立ちが黙ってはいなかった。
そういう訳で、白羽の矢を立てられてしまったのがシシスである。
「えっと、ここから選べってのかしら? ……それはそれで困るのだわ」
今、控え室に通されたシシスの前に、大量のドレスが並んでいる。色とりどりの艶やかな品は、どれも粋を凝らして縫い上げられた一流の品ばかりだ。
正直、見ててクラクラする。
シシスとて貴族、片田舎だが領主様だ。
だが、こんな贅沢品を大量に突きつけられると、正直戸惑ってしまう。ちらりと見やれば、ドレッサーには宝石を散りばめたアクセサリーが山程ある。
全て、
「本当にこれ、必要かしら? どうしてオリファントの講義に来て、着飾らなければのよ」
最初は、貴族たちからオリファントの話を聞かせてほしいという依頼だった。それだけならなにも、シシスにお鉢が回ってくることはなかったのである。
だが、学術的な見地からという要望があったため、引き受けた。
いい機会だから、錬金術を語ることも考えていたのである。
しかし、
「ポン子を連れてくるのだったわ。はあ……困ったわね」
憂鬱な気持ちで、とりあえずドレッサーの前に座ってみる。それ自体が宝石のような
シシスとて年頃の女性、身だしなみとして最低限の化粧はいつもしている。
だが、こういう正式なパーティというのはあまり
「見慣れない液体が沢山……こんなに大量に、なにに使うのかしら。実験に使う薬品だって、こうもゴチャゴチャと……あるわね。必要だから並んでるのだわ、きっと」
ふと、故郷での暮らしを思い出す。
シシスの父親は貧乏貴族で、その暮らしぶりは決して豊かとは言えなかった。母親も数着しかないドレスに継ぎ接ぎを当てて、家族でどうにかやりくりしての日々だった。
父親は領民と研究にほぼ全てを注ぎ込んでいたし、それはシシスも同じだ。
両親が亡くなった今は、シシスが領主を継いで治めている。
小さな領地だが、自然豊かで田畑と酪農が盛んないい土地である。
なにより、自分を領主と慕ってくれる民がいてくれたのだ。
「そうだわ、念願叶っての晴れ舞台じゃない。うちの麦や牛を売り込むチャンス……世界樹の迷宮がもたらす名声を、今こそ富に変える時なのだわ!」
意気込む自分が鏡に映っている。
やや童顔で母親似、整った目鼻立ちはルナリアの血を感じさせる。だが、シシスは今まで自分を着飾ったことがないし、研究以外に贅沢を許してこなかった。
さてどうしたものかと、とりあえずいつものコートを脱いで銃を置く。
下着姿になると、鏡の中に貧相な小娘が立っているのだった。
やれやれと、少し気が
不意にドアがノックされ、慌ててシシスはドレスの森に身を隠す。隠れなくてもいいのだが、なんだか妙な気恥ずかしさがあって、半裸になればそれが強くなった。
「ど、どどどっ、どうぞ! 開いてるのだわ!」
「失礼します、シシス様」
現れたのは、メイドだ。
だが、後ろ手にドアを閉めたメイドは、不意に作った声音を脱ぎ捨てた。
その声を聞いて、仰天のあまりシシスは飛び出してしまう。
「やあ、シシス。困ってるだろうと思ってね」
「なっ……ちょ、ちょっと、フレッド! なにしてるのよ!」
「見ての通りだけど?」
「見てわからないから聞いてるのっ! 意味不明なのだわ……」
それは、女装したフリーデルだった。確かによく見れば、やや中性的な表情は彼そのものである。それが貞淑なメイドに見えた原因を、即座にシシスは見破った。
化粧だ。
どこをどう見ても、いつもの
だが、彼が金髪のかつらを脱いだことで少しだけいつもの雰囲気が戻ってきた。
「あっ、似合ってたのに……じゃない、違うっ! ちょっとフレッド、なにを」
「女装には自信がある」
「いや、それどうなの? なんでそう、平然と……いつも通り自信満々でも困るのだわ」
「小さな傭兵団で育ったからな。仕事は多種多様だったし、潜入任務もお手の物だ」
「ああ、そういう……それで? なにしてるのよ、メイドの格好なんかして」
シシスの言葉に、フリーデルは黙って近付いてくる。
そっと手が伸べられ、何故か不思議とシシスはドキリとした。
だが、フリーデルはずらり並んだドレスの中から、翠色の一着を選んで引っ張り出す。海と森とを一緒に混ぜたような、光沢に深みのあるエメラルドのような美しいドレスだ。
「これとか、いいんじゃないかな。小物の類は……ああ、ドレッサーの方か」
「ちょ、ちょっとフレッド!」
「さ、ここに座って。髪を作ってメイクで……15分ってとこだろうな」
突然現れたのは、頼もしい助っ人……親しいギルドのメンバーだった。しかも、女装だ。メイドである。前代未聞の超展開に、下着姿なのも忘れてシシスはフリーデルの言葉に従った。
再び鏡の前に座ると、手慣れた手付きでフリーデルが髪を
やけに落ち着いてて、しかも妙に上手い。
「少し髪が傷んでるな。ちゃんとケアした方がいい」
「……こ、今度から、そうする」
「うんうん。それと、シシスは見た目だけはかなりいいんだから、変に化粧で盛る必要はないよ。普段通りナチュラルに、でもちょっとだけピンポイントで――」
「ちょっと! 見た目だけってなに!? 失礼なのだわ!」
「いや、君の研究はなかなかに酷いよ? ポン子とかポン子とか、あとポン子とか。まあ、あれは俺も一枚噛んだやつだけど」
「……うう、それは、その……確かに、イマイチなのもあるのだわ。……あっ」
シシスの長い金髪は、あっという間にすべやかな輝きを取り戻していた。そしてフリーデルは、黄金の稲穂にも似た長髪を頭の上で纏めてくれる。彼が手にした髪留めは、あまり派手ではないが小さくダイヤモンドが光っていた。
シシスはあまり髪を上げたことがなくて、その理由が今は完全に顕になっていた。
中途半端に尖った耳を、思わず手で触れて確かめてしまう。
「シシス、耳は出した方がいいと思うよ。交渉に挑むと思えば、相手への第一印象も大切だ」
「交渉……そ、そうなのだわ。錬金術と、あとは領地の特産品を売り込むチャンス」
「そうそう。ああ、化粧はね、これとこれと、あとはこれ」
「あ、ありがと」
「うんうん、じゃあ俺は適当に会場で飯でも食ってるから」
父親はアースランで、母親はルナリアだった。錬金術などという怪しげな研究に没頭していた父は、誘拐一歩手前の駆け落ちで母と結ばれたのである。
二人の笑顔は今も、シシスの脳裏にありありと蘇った。
どんな宝石や貴金属よりも、眩しい輝きが色褪せることはない。
貧しい暮らしだったが、毎日が笑顔に溢れていたのだ。
「シシス、落ち着いてやれば大丈夫、貴族様はこの手の話に目がないし、二割増しで脚色した冒険譚の中に、さり気なく御当地自慢を忍ばせてやればいい」
「うん。……ねえ、フレッド」
「なんだい? ああ、アクセサリーならそこの――」
「あなた、いつもこうなの? 誰にでも? その、こういう……親切、なの?」
シシスの問に、フリーデルはしばし考え込む仕草を見せた。
だが、次の瞬間には真顔で答えが返ってくる。
「いや? まさか……シシスはあまりにも酷いからな。見てられないってやつさ」
「……それはどーも! もういいわ、ほら! さっさと行って!」
「了解だ、それじゃまたあとで」
いつもの食えない悪友の笑顔で、フリーデルはかつらを被り直すや行ってしまった。その背を見送り、やれやれとシシスも苦笑が零れる。
ドレスを身に重ねてみれば……鏡に優雅な貴婦人が微笑んでいるのだった。