アイオリスの街を、夜の
シャナリアは一日の冒険を終えて、一人で
自分も周囲の者たちと同じく、今は冒険者だ。
俗世に降りてきてから、こうした時間が彼女に不思議な充実感を与えてくれていた。
「ふむ、人間の真似事も、やってみるとなかなかどうして。ふふ、酒の味さえ違ってくるとは」
血のように赤いワインを、グラスの中で遊ばせる。
そういえば最近、人間の生き血を吸っていなかった。
シャナリアは
無敵にして無双、生物の頂点に君臨する絶対強者。
だが、ピラミッドは天へと伸びる程に細く小さくなってゆく。
その高みに独りだったシャナリアも、今は人の世で悠々自適を
「しかし、この私を使いこなすとは……コシチェイ家のニカノール、面白い男ね」
ニカノールは、シャナリアが父祖の代からの大物と知っても、他の仲間たちと別け隔てなく接してくれた。
だから、一介の冒険者として世界樹の迷宮を旅するのは、とても楽しい。
彼女にとって世界樹は、自分たちの過去を飲み込みそびえる神秘。いかな吸血鬼の始祖とて、その謎の全てはわからないのだ。
自然と笑みが浮かんで、またシャナリアは杯を乾かす。
先程までリュートと一緒に歌っていたコッペペが、ステージの上で拍手に包まれているところだった。そして、次の歌い手が現れると、周囲から歓声が飛ぶ。
「よっ、真打ち! 待ってました!」
「お前さんのガナリ声を聴きにきたせ、ボウズ!」
「今日は新しい歌が聴けるらしいからな! 景気よくやってくれよ!」
バノウニは周囲に一礼して、ポロロンとギターを歌わせた。
繊細な指使いが、弦の震えを音楽へと変えてゆく。
次第に客たちが静かになる中、初めて聴く冒険譚が
その印象的な歌声が、不思議と今は耳に心地いい。
そして、不意に元気な声が店内に響く。
「オシショー、満席なのです。あ、でもあそこ! あそこにシャナリアがいるのです!」
「おお、これは
「はいなのです!」
ぺかーっと眩しい笑顔で、ノァンがこちらにやってきた。その背後には、最近格闘術を彼女に教えているジズベルトが笑って続く。
二人に椅子を薦めて、快くシャナリアは同席を歓迎した。
永遠の孤独を生きた反動か、最近は随分と人恋しく……半ば、夜の
「御苦労だな、ノァン。それにジズベルト」
「はいなのです! シャナリアもお疲れ様なのです。お腹減ったですぅ〜」
「ハッハッハ、ノァンは今日も頑張りましたからな。実に元気で頼もしい」
身体が資本の
シャナリアもワインを追加で頼み、改めて仲間たちに目を細める。
その時にはもう、ノァンはチャージで運ばれてきたナッツを一気に頬張り満面の笑みになっていた。
「ふふ、ジズベルト。例の第六階層……『
「いやはや、見るもの全てが珍しく、踏み出す全てに未知と神秘が満ちておりますな」
「楽しそうに語るなあ、お前は」
「
「いや、最後の二つは同じだろう、って……プッ、フフッ! 人間はやはり、面白いな」
すぐに酒が運ばれてきて、乾杯の運びとなった。
そこからはしばし雑談を挟んで、三人でバノウニが歌う物語に酔いしれる。
時間はゆったりと流れ、まだまだ夜は
そして、身を乗り出して歌を聴いていたノァンが、運ばれてきたピザを切り分けつつ笑顔で語り出す。
「今の歌は、このあいだのバノウニたちの大活躍から生まれたものなのです。アタシは、あの話を聞いてブルルッと身が震えたのです」
「おやおや、なるほど。余程恐ろしい魔物と戦い、勝利を得たとみえる」
「そうなのです、シャナリア。あ、でもアタシはネタバレはしないのです。ラミアとの死闘、激闘、そして大勝利というのは、これはバノウニの歌を聴いて楽しんでほしいのです」
「いやいや、言ってるから。もう喋ってるから。……ん? ラミア?」
ふと、気になる単語が目の前を過ぎった。
しまったです、エヘヘとノァンが笑い。ドンマイですぞとジズベルトが頭を撫でてやっている。そんな師弟を前に、シャナリアは酔いの回ってきた頭で記憶を引っ張り出していた。
「ラミア……ラミア、ラミア、ラミア……なにか、こう……昔、あったような」
そして、複雑に絡まる記憶の糸をほどけば、一人の少年が思い出される。こうして目の前にいるノァンとジズベルトのように、かつてシャナリアは一人だけ弟子を取った。このアルカディア大陸に平和を願って、吸血鬼を師と仰いで研鑽を積んだ少年がいたのだ。
そのことを今も、昨日のように思い出すことができる。
だが、酒のせいか顔がぼんやりと上手く見えない。
『先生! 我が師、シャナリア・シャルカーニュ! もっと困難な試練を。私はもっと己を鍛えて、強くならねばいけないのです!』
何百年も前の光景が脳裏に蘇る。
弟子に取った少年のために、シャナリアは神話の時代から沢山の魔物を召喚したのだ。利発で武勇に優れた弟子も、
そう、そして試練が済んでシャナリアは雑に封印したのだ。
まさか、その土地がラミアごと世界樹の迷宮に飲み込まれて、一体化してしまうとは思わなかったのだ。
「あっ、あれか。今、バノウニが歌っている……彼らが戦ったラミアは」
「うん? どうかされましたかな? シャナリア殿」
「ん、いや、なんでもない。そうか……あの子らもまた、試練とも知らずにそれを超えたか」
思えば、最初に冒険者たちの探索に興味が湧いたのも、バノウニたちが死地で絶望に抗っていた時だ。アースラン、ルナリア、セリアン、そしてブラニー……この大陸に生きる、かつてはいがみ合っていた四つの種族が力を合わせる、それが冒険者の生き方なのだ。
それを実感して、つい手を出してしまった。
人の
そう、シャナリアの最初で最後の弟子は、このアルカディアに四種族の
後の世、今の時代は彼を……
『先生、私は行きます。先生の教えをこんなことに使う、その愚かさで時代が先に進むなら……私は
愚かな弟子、馬鹿弟子だったと今も思う。
だが暴王に大陸全土が団結して戦った歴史すら、世界樹の迷宮は飲み込み今もそびえたっている。その先に広がる星の海さえ、もうすぐ冒険者たちは……人間たちは踏破するだろう。
「ふむ、いい歌ですなあ。さ、ノァン、
「はいなのです! バノウニはすっごく歌が上手いのです。それに、ラミア……アタシも戦ってみたいような、怖くて恐ろしいような……昔は、こんな気持ちにはならなかったです」
「ノァン、それはあなたが日々強くなっているからですぞ。恐れを知らぬ蛮勇から脱却し、正しく恐れて正しく向き合う、武道の本質に近付いているのです」
「オシショー……アタシ、強くなってるですか? なら、それはオシショーのおかげなのです」
美しき師弟愛を前に、たゆたう歌がシャナリアをまどろみに誘う。
シャナリアは、思った……彼らの物語を、最後まで見届けようと。
そして、ラミアを持て余して半端に封印したことは、ずっと黙っていようと心の中で舌を出すのだった。