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 宇宙の深淵を揺るがす、巨大な光の奔流(ほんりゅう)
 ニカノールが呼び出す側から放った死霊が、その魂の輝きが燃える流星となって降り注いだ。
 ノァンの目にも、先程ブン投げた星喰(ほしくい)の気配が弱まっていくのが感じられる。
 温厚で穏やかなニカノールが、初めて見せた闘志の(たかぶ)り。その猛々しくも冴え冴えとした魔力は、まさしく不死者の頂点に君臨するコシチェイ家の貫禄があった。

「やったかたですっ! 完全勝利なのですっ!」

 思わずガッツポーズで笑顔を零すノァン。
 その喜びを分かち合おうと振り返ったが、何故(なぜ)かみんなが微妙な顔をしていた。ニカノールとワシリーサも、コッペペも……普段から無表情の恋人スーリャも、フラットな真顔に固まっている。

「ど、どしたですか? 星喰、やっつけたです! 流石(さすが)はニカなのです。あんな凄い攻撃、どんな魔物でも避けられないのです」
「あ、いや、その……ノァン、あのね。そういうこと言うの、あれだよ?」
「あれ、ですか? あ、わかったです! アタシがトドメを刺してくるのです! ここはニカが出るまでもないのです!」
「そ、そういうセリフ、さ……なんかこう、ほら」
「アタシもヨロヨロのヘロヘロだけど、最後の力を振り絞るです!」

 ぐるぐると右腕を振り回して、意気揚々(いきようよう)とノァンは駆け出した。
 疲労で足元がふらついたが、勝利は目前まで来ている。勝利の女神がいるのなら、もう沐浴(もくよく)を済ませてベッドの上だ。脱ぐための下着を身に着け、ノァンを待っているのだ。
 そう思って走れば、ふと脳裏を妙な既視感が過る。
 いつもニカやワシリーサが読んでくれた、物語。
 スーリャと一緒に呼んだ、絵草紙(まんがほん)
 勇者や英雄が活躍するそれらに、こんなシーンが沢山あった気がする。完全決着、今こそ勝利! ……そう思っても、まだまだページには先があることが多かった。

「あれれ、じゃあ、もしかして? いや、アタシは迷わないです! 今こそ必殺の、トドメパンチを使う時なのです!」

 その時だった。
 もうもうと土煙をあげる中から、ゆらりと黒い影が浮上する。
 全身から火花とプラズマを咲かせて、ドス黒い体液を撒き散らすその姿……星喰はまだ、生きていた。
 否、もとより命などなく、命という概念を知らぬ殺戮マシーンである。
 殺意の権化(ごんげ)そのものという本性を剥き出しにして、満身創痍(まんしんそうい)の星喰が宙へ逃げる。
 酷く冷たい声は、危機的状況でも不気味な平静さで凍っていた。

「サウンドカノン、エナジーチューブ、並列同時再生……復旧率63%」
「危ない、ノァン! 避けろっ!」
「ノァン様っ、逃げてください!」

 スーリャの叫びに、ワシリーサの悲鳴が重なった。
 その時にはもう、目の前に見慣れた背中が立ちはだかる。
 ガキィン! とひび割れた金属音が響き……目の前の老人がニッカリ笑って振り返った。それは、ノァンを(かば)って盾を構えたコッペペだった。

「ノァンよう、そういうのはフラグっていうんだぜ? オイラ、詳しいんだ」
「あわわ、あう……コッペペ! 血が出てるです」
「なぁに、かすり傷さ。舐めときゃ治るが、なんならペロペロしてくれていいんだぜぇ? ノァン、お前さんもなかなかにかわいいからな。かわいく、なったな。なあ、ノァン」

 さらなる攻撃がコッペペを襲った。
 盾が吹き飛び、満天の星空に吸い込まれる。
 その時にはもう、その場で膝をついたコッペペが倒れ込んでいた。
 慌てて抱き起こそうとしたノァンに、鋭利な痛みが無数に走る。
 その攻撃が、常人の七倍の反応速度を持つノァンにも見えなかった。

「あ、あれ? アタシ……串刺しです? イチチ……さっき、封じた腕と……逆側から?」

 星喰の腕は二本あって、縛られたように震える左手は今も沈黙している。
 だが、大鉈のような右手の巨剣がノァンを刺し貫いていた。
 呼吸が奪われ、言葉の代わりに血がゴボゴボと泡立ちながら吐き出される。
 不意に視界が暗転して、そのままノァンは激痛のショックで意識を失った。
 仲間たちの声が、どんどん遠ざかる……そして、聴こえなくなる。
 どこまでも冷たい闇の中で、ノァンは果てしない暗黒の底へと落ちていった。
 そして、不意に聞き慣れた声が響く。
 敬愛して師と仰いだ、歯切れのよい紳士の言葉だった。

『ノァン、手が止まっていますね。さあ、エクササイズ! そしてマッスル! あと半分です』
『は、はええ!? アタシは今、なにを』
『ホウ、なにをと? お忘れでしょうか、ノァン。これぞ特訓、猛特訓!』
『そ、そうでした! オシショー、アタシ頑張るです!』
『その意気です、ノァン。全身の筋肉がささやく声に耳を傾けましょう』

 周囲を見渡せば、いつもの宿の庭である。昼下がりの午後、高い高い青空をゆっくりと雲が流れていた。
 ノァンは今、腕立て伏せをしていたのだと思い出した。
 そしてその背には、何故かジズベルトが立っていた。不安定なノァンの背で、全くびくともせずマッスルポーズを決めている。鍛えた体幹からくるバランス感覚は、もはや達人の領域だ。


『アタシ、頑張るのです! もっと力を、技を磨くです!』
『そうです、ノァン。貴女(あなた)は常人を凌駕(りょうが)する力を持ち、それを制御する技をも身につけました』
『でも、負けそうなのです! ……あれ? さっきまで、アタシはなにと』
『ほう? 強敵ですかな? ノァン』
『そ、そうなのです! コッペペもやられて……美味しい人を亡くしたのです!』
『それを言うなら、惜しい人を、ですなあ』

 何故だろう、記憶が不鮮明だ。
 だが、思い出せない中に確かに激闘があって、仲間たちがまだ戦ってる。
 それなのに、今のノァンは一生懸命に腕立て伏せで両腕を酷使するしかできなかった。
 そして、ジズベルトの声は優しく耳に心地よい。

『ノァン、力と技を極めた者が、最後に到達する(いただき)……その先に至る、最も大事なことを今日は教えましょう』
『は、はいです! オシショー、教えてほしいのです!』
格闘士(セスタス)として拳を振るう、その拳を握る意味を考えるのです』
『拳……意味……ハイ! ハイハイ! わかったのです!』

 ノァンは片手をピンと伸ばしてあげたが、もう片方の手でしっかりと大地と自分を往復させていた。片腕でもジズベルトの体重を難なく持ち上げる。

『えっと、必殺技! 派手でかっくいー、必殺技なのです!』
『はっはっは、ブッブーですぞ! 間違い、バッテーン!』
『ぐぬぬ、違うですか……拳を握る、意味……パンチするからで、それは』

 普段は使わぬ脳味噌をフル回転させれば、なんだか訳がわからなくなってくる。ただ、確かに以前ジズベルトとこんな問答をした覚えはあった。
 そして、その見守るような視線を今も感じている。
 徐々に意識が戻りゆく中、ゆっくり消えてゆく師匠の声が思い出された。

『誰かのために握った拳は、その誰かと再び触れ合うために(ほど)かれる。心技体、全てを込めて握った拳は……いつの日か、再び誰かと結ばれるためにあるのですぞ!』

 ハッ! とした瞬間には、ノァンは地べたに伏していた。
 そして、周囲は既に地形すら激変して崩壊しつつある。
 仲間たちも、そこかしこに倒れていた。
 唯一無事なワシリーサが、血塗れのスーリャを抱き起こそうとしている。それが目に入った瞬間、ノァンの中でなにかが撃発した。
 全身をバネにして、両足を振り上げた反動で飛び起きる。

「星喰は!? ……いたです! 真上っ! 誰かと手と手で結ばれる、あの手を握って触れたいから! アタシは何度でも拳を握るのです――!?」

 だが、妙だ。
 立ち上がった瞬間、ふらりとよろけて転びそうになる。
 そして、利き腕に力が入らなかった。
 それもその筈……千切れて引き裂かれた自分の右腕が、目の前に無残にも転がっているのだった。

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