アイオリスの街にある冒険者ギルドは、今日も活況に沸き立っている。  既にギルドの登録を済ませたニカノールは、共に冒険をしてくれる仲間たちを振り返った。そこには、竜騎兵のナフムに、魔術師のフリーデル、そして剣士のラチェルタがいる。  皆、先日の酒場の一件で縁を持った者たちで、今ではすっかり打ち解けていた。  しかし、世界樹の迷宮でのパーティの基本は、五人一組である。  ニカノールたちは今、最後のメンバーを探していたのだった。  混雑の中を歩くニカノールの背後で、ナフムがそれとなくラチェルタに語りかける。 「しっかしよう、チェル」 「んー? なーに、ナフム」 「マキシアは行っちまったが、よかったのかい?」 「ああ、マキちゃん。うんっ!」  お月さまのような笑顔で、ラチェルタは大きく首を縦に振る。  一緒だった太陽のような少女、マキシアはニカノールの誘いを断ったのだ。  今は、例のコッペペと名乗った老人と一緒にいる。武芸者にして女傑、まきりも同様だ。どうやらコッペペは二人に、ギルド創設の知恵を貸すらしい。  おいぼれ吟遊詩人に見えて鋭い迫力を隠し、知恵もあるのに昼行灯。  ニカノールは、コッペペという男が面白いと思い始めていた。  そんなことを考えていると、ふいにラチェルタが皆の前に出て振り返る。 「あのね、マキちゃんとは競争なの!」 「競争?」 「そう、競争。ボクたち、家を出た時に約束したんだ……どっちが凄い冒険者になれるか、競争だよって!」 「ああ、なーる」  なにか感じ入るところがあるのか、ナフムは腕組み大きく頷いている。  不思議とニカノールは、目の前で笑う少女が羨ましくなった。  きっと、ラチェルタにとってマキシアは親友なのだ。  そして、逆もまた然りなのだろう。  二人は互いに惹かれ合うからこそ、違う居場所を求めて歩き出した。それはあたかも、太陽の照り返しで輝く月のようであり、月夜の闇があるからこそ待たれる朝陽のようだ。二人を見て初めて、知識でしかなかった『親友』という概念をニカノールは実感するのだった。  少し、羨ましい。  そう思っていると、背後でフリーデルが言葉を挟んでくる。 「それで、ニカ。五人目の登録メンバーというのは? さっきエドガーさんに申請してきたんだろう?」 「ああ、フレッド。そう、確かこの辺に……エランテっていう祈祷師の女の子だよ」  既にフリーデルとは、お互いに愛称で呼び合う仲だ。  ニカノールは会ったその日に、不躾かとも思ったが親しみを表現してみた。結果、ナフムもフリーデルも、勿論ラチェルタも気持ちを許してくれたのだ。冒険の仲間である以上に、付き合ってくれている。それが人生で初めての経験で、とても嬉しい。  初めての友達。  いつか、ラチェルタとマキシアみたいになれるかもしれない。  ニカノールの人生は、死んでからの方が豊かで起伏に富んでいた。 「えっと、この辺に……」 「ん? おいニカ、あの娘じゃねえか? ほら」  ナフムが指を差す先に、一人の少女が船を漕いでいる。  行き交う冒険者で混雑する冒険者ギルドの隅、休憩用のベンチに祈祷師の女の子が座っていた。居眠りしているらしく、そのあどけない表情がうつらうつらと揺れている。  ニカノールたちが接近しても、彼女は全く起きる気配がなかった。  皆で近付き、ラチェルタが声をかける。 「こんにちはっ! ボク、ラチェルタ! ギルド、ネヴァモアのメンバーだよっ」  ――ネヴァモア。  それがニカノールたちのギルドの名。古いまじないの言葉であり、吉兆をうらなう言葉であり、その他多くの意味を持つ。今は本当の意味を失ってしまった言葉だが、ニカノールは不思議と気に入っていた。  ニカノールも前に出て、エランテと思しき少女に頭を垂れる。  丁寧に挨拶をしたつもりだが、反応はなかった。 「……寝てるね、ニカ。寝てる!」 「うん」 「起きない! 起きないよー」 「うんうん」  ラチェルタは不思議と楽しそうだが、ニカノールも呑気に頷いていた。マイペースとマイペースが、早速意気投合し始めていた、その時だった。  不意に地の底から響くような、低くしゃがれた声がした。 「この娘は起きんぞ……そういう病なのだ。なにか用か? 冒険者」  ニカノールはラチェルタと顔を見合わせ、互いを指差す。そして、同時に首を横に降った。だが、声は続いた。 「俺の名は、クァイ……この娘、エランテに住み着いている魔の眷属。彼の娘より夢を吸い上げ、恩寵をもたらす者だ。夢魔とか、夢喰とか呼ばれているな」  相変わらずエランテは寝ているが、そこから壮年の男と思しき声がするのだ。それでニカノールは、御屋敷で昔聞いた話を思い出す。一族の長老たちは長生きで、それは死ぬことで得た永遠の生命だ。そこに蓄積された知識を、ニカノールはいつも素直に吸収して。覚えるままに溜め込んでいたのだ。  確かに、人の意識に宿り、宿主の夢を栄養とする憑魔が存在する。  しかし、ニカノールも初めて見る。  クァイと名乗ったエランテの同居人は、あどけない容姿を裏切る声を続けた。 「ギルドのメンバーに迎えるなら、協力しよう。なにせ、この娘の肉体を維持せねば、俺も死んでしまうからな。それより」 「それより?」 「なにか騒ぎのようだ……ギルドマスター殿。俺の仲間に相応しいかどうか、少し器量と実力を見せてもらおうか」  同時に、背後で声が響く。  それは、この冒険者ギルドを仕切っているエドガーという男の声だ。滅多なことでは声を荒らげぬ甲冑の紳士は、酷く困り果てたような声音だ。どうやら、なんとかしてやりたいが手がないようで、冒険者ギルドの長故に介入もできぬ身を呪っているらしい。  そして、酷く幼い印象の言葉が連ねられる。 「アタシ、困ってるです! ここ、ボーケンシャーが沢山いるです。手を貸して欲しいです!」 「うむ、それはそうだが……困ったものだな。少女よ、魔女の黄昏亭にはもう行ったかな? そこでクエストとして、女将のメリーナを通じて冒険者を集うがどうかと」 「魔女の黄昏亭……アタシ、それ行ってきたです! でも、お金が必要だって。アタシ、お金ないです。そしたら、おっぱいボーンなおねーさんが、ここ教えてくれたです!」 「……なるほど、話はわかった。しかしだな」 「マスターのピンチが危ないのです、助けにいかないとなのです!」  困り果てたエドガーの前に、小さな影が立っていた。  ニカノールは不思議と、その存在が目に焼き付く。ボロボロのマントを羽織って、頭の天辺からケープですっぽりと身を覆った小さな少女だ。彼女は、ニカノールの視線を感じたのかこちらを振り向く。  ケープの奥は闇で、ぼんやりと緑色の右目だけが光っている。  まるで生気を感じない気配に、ニカノールは目が離せない。  エメラルドのような少女の瞳は虚ろで、ただニカノールの困った顔が映るだけだった。  意を決してニカノールは財布を取り出す。  だが、その手を止めたのはまたしてもナフムだった。 「よぉ、ニカ。俺も助けてやりてえが、そりゃ駄目だ。施しで片付ける癖をつけんなよ」 「俺もナフムに同感だね。この街は大きい……彼女のような境遇の人間は多いだろう。そういう人間の助けになりたいなら、まずアルカディア評議会が課した冒険者の試験を終えることだ」 「そういうこった。直結の最速な最善手でも、施しの金はお前の力じゃないしな」  ニカノールは二人の言葉に衝撃を受けた。  確かに、持っている金は全て一族が工面してくれたものだ。  今までニカノールは、自分の力で得てきたものを持っていなかったのだ。……今、この瞬間までは。だが、この街で得た確かな仲間たちは、そういうことも言ってくれる人間だったのだ。思わずニカノールは、ブンブンと笑顔で何度も首を縦に振る。  その時、向こうで「おおー!」と声があがった。 「ねね、困ってるの? ボクの財布、あげる! 急いでるん、だよね?」 「ホ、ホントですか!? そうなのです、急いでいるのです。マスター、このままだと殺されちゃうのです」 「少ないけど、全部あげる。これで冒険者さんに相談してね? あのね、冒険者って凄いんだよ……無宿無頼の風来坊でも、義理に厚くて気風がいいの! あと、かっこいい!」 「……かっこ、いい……かっこいい!」 「そう、かっこいい!」 「かっこいい!」  なんと、ラチェルタは自分の財布をまるごと少女に渡してしまった。躊躇なく、笑顔で。迷いなく握らせて、そして押してやる。  ボロ布の少女は、何度も頭を下げて行ってしまった。  そして、ニカノールは察した……なんとなくわかった。  自分が選ぼうとした施しとは、あれは違う。ラチェルタのお金は、あれは多分自分で用意したものだ。以前から自分で稼いで、今この瞬間に自分で使った……託した。それが感じられるのは、ナフムとフリーデルがなにもいわなかったからもある。  こうしてニカノールは、改めて文無しになったラチェルタと共に迷宮に挑む決意を固めた。エランテことクァイを迎えて、ついに冒険者の最初の試練が始まるのだった。