ニカノールは絶句した。  アルカディア評議会より言い渡された、冒険者としての登録試験の途中での出来事だった。世界樹の迷宮、その地下一階を歩く中での遭遇。謎の一団に囲まれた同業者と、それを助けようとしていたあの時の少女。  アイオリスの街で出会った、ラチェルタが気前よく財布ごと全財産をあげた女の子だ。  それが今、全身に無数の矢を生やしたまま、首を一閃で叩き落されていた。  転がる頭部を探すように、オロオロと首のない胴体が僅かに身を屈める。 「ナフム、これ……えっと、駄目だよね! 女の子になんて酷いことを」 「馬鹿お前っ、そういうレベルじゃねえ! 俺の影にいな……フレッド! みんなも!」  真っ先に反応したのは、ナフムだった。銃を抜きつつ盾を構えて、巨大な鎌を持った闇狩人に向き直る。少女の首を斬り落とした刃は、全く血に濡れていない。総統な手練で、恐るべき達人の技だ。  驚くニカノールを守るように、周囲の仲間も身構える。  件の闇狩人を含む悪漢の一団は、面倒臭そうに武器を手にした。 「クソッ、冒険者か! 始末に手間取るから!」 「だが、一緒に消しちまえば問題ねぇ!」 「おい、掃除屋! こいつらも片付けろ!」  そこから先は、言葉の支配が及ばぬ時間だった。  ゆらりと陽炎のように立つ闇狩人は、顔を覆うマフラーを投げ捨てるや襲い掛かってくる。中性的な美貌の、男とも女ともつかぬ褐色の肌の持ち主だ。振るわれる刃がナフムの盾を歌わせる。  重い金属音が響く中で、ナフムも迷わず銃爪を引いた。  ナフムもそうだが、フリーデルも冷静だった。的確なコンビネーションで互いをフォローし合って、飛んでくる矢にも対応する。ニカノールだけがこの時、ようやく理解していた。戦闘だ。それも、魔物とではなく謎の人物たちと。振り返れば、エランテも巫力を大自然より招いてサポートに回っている。  そして、そよ風のように柔らかな剣舞が踊った。  闇狩人の巨大な鎌を、ラチェルタの剣が撓る切っ先で流してそらす。 「おねーさん、駄目だよっ! ここは世界樹の迷宮……人間同士が戦っていい場所じゃないんだ! パパもママも、そう言ってたもん」 「――ッ!? 私の一撃を、受け流すか」 「さっきの子、マスターって呼んでた人を助けたがってたよ。あの人でしょ、この子のマスターさん。なんで……こういうの、駄目だよぉ!」  ニカノールは呆然と、舞い踊るラチェルタのステップを見詰めていた。仲間たちも戦いつつ、華麗なる躍動に驚いている。金色の髪が風をはらんで、刃と刃が交わる剣閃に輝いていた。  ラチェルタの剣技は、正当な流派の技を修めた基礎が感じられた。  同時に、奔放で型にはまらぬ自由なアレンジが小技を散りばめている。  実力では勝ると思われる謎の闇狩人も、やりにくそうに端正な無表情を歪めた。  ニカノールが呼びかけられたのは、そんな緊迫感の真っ只中だった。 「あの、そこのイケメンの人! 暇ですか? アタシ、困ってるです。頭、拾ってください!」  死体が喋った。正確には、オロオロとまだ立っている死体の足元の、生首が。慌てて膝を突いて屈めば、驚くことに生首が言葉を続ける。左目を包帯で覆った隻眼の少女は、緑色の瞳でじっとニカノールを見上げてきた。  ニカノールは驚くことも忘れて、驚くに値しないなと呑気に思い出す。  彼の家柄は代々の屍術師で、この手の話には事欠かないのだ。 「えっと……大丈夫? 首、くっつけようか?」 「ホントですか!? 嬉しいです、イケメンの人はイイ人です」 「君、人間じゃないよね。アースランじゃないって意味じゃなく……生きた人間じゃない」 「ほえ? そゆの、アタシは難しいからわからないです。でも、でもっ……アタシはマスターを守りたいです! マスターの危険が危ないのです、この人たち悪い子なのです!」  両手で大事そうに少女の頭を抱えて、ニカノールは立ち上がる。  彼女はノァンと名乗り、たどたどしく拙い言葉であらましを語ってくれた。全く要領を得ぬ説明で、ニカノールは理解が及ばず苦笑する。だが、一生懸命喋るノァンが無垢で幼い少女で、彼女がマスターと慕ってる人物の危機らしい。  奥を見やれば、弓を射る男の足元にへたりこんでる少年がいる。  酷く小さく華奢だが、ニカノールと同じ年頃のルナリアだ。 「えっと、じゃあ……僕に任せてくれる? ちょっとやってみるよ、ノァン」 「ありがとです、えと、えと……イケメンの人は」 「僕はニカノール、ニカでいいよ」 「はいです! ニカ、凄くイイ人です! アタシ、そゆ人は好きなのです!」 「はは、ありがと。じゃあ……人に使うのは初めてだけど」  不意にニカノールの周囲で、空気がシンと鳴る。  響く剣戟の音と怒号が、不思議とよく通る中で誰もが振り向いた。一変してしまった大気と雰囲気の中……ノァンの首を抱くニカノールが一同を睨む。彼の艶めく長髪が不意に、ふわりと小さく浮かび上がった。  そして、ニカノールの周囲に闇が淀む。  瘴気が満ちてゆく中で、彼の影からおぞましくも禍々しい気配が漂った。  不意に空気中で、ドス黒い負の力が凝結してゆく。  それは、屍術師が呼び出す現世への執着、遺恨を残した死者の霊だ。  悪漢たちはどよめきたった。 「チィ、あいつも屍術師か! やっかいな!」 「なにしてやがる、掃除屋っ! さっさと全員片付けちまわねえか!」  だが、ナフムたち四人の仲間は瞬時にニカノールのことを察してくれた。会って間もないのに、阿吽の呼吸でスペースを空けてくれる。ニカノールを守ってフォーメーションを組み直す仲間たちの前に、ぼんやりと三つの霊魂が顕現した。  屍術師は、死霊を呼び出し使役する。  戦いともなれば、召喚されし死霊は盾となり剣となって、術者に助力するのだ。  ……高レベルの屍術師ならばの話だが。 「あ、あれ? お、おーい、君たち……えっと、手伝って……くれない、みたい、だね」  ニカノールは呑気に呟いた。  呼び出されたおぞましき怨念たちは、盾となって敵を阻むものの……ニカノールの言うことを全く聞いてくれない。働く気配を見せず、相手を攻撃しようともしなかった。  それを見て、緊張に強張っていた男たちがニヤリと笑う。  ニカノールの生まれと育ちは一流の名家だったが、腕はまだまだ半人前だったのだ。  だが……その時驚くべきことが起こった。 「ニカ、それってナイスなのです! マスターより上手です、三匹も死霊さんが出たです! ……次は、アタシの番ですっ!」  ニカノールが胸に抱く首が、声を弾ませた。同時に、ノァンの首から下が動き出す。全身を矢で飾った肉体は、マントを脱ぎ捨てるや跳躍した。華奢で小柄な細身ながらも、肉付きがいい肉体。それは女性的な肉感の中に、鍛え抜かれた筋肉が躍動していた。  首のない胴体が、悪漢立ちの足元に拳を叩きつける。  あっという間に土砂が吹き上がり、巨大なクレーターが穿たれた。  天井へと舞い上げられた土が重力に捕まる中で、ゆらりとノァンの体だけが立ち上がる。 「マスターをいじめたから、やっつけるです!」 「す、凄い……ノァン、君は格闘士なのかい?」 「わかんないです! でも、マスターの敵はいつもアタシがボコボコにしてきたです。こぉ、やっ、てぇーっ!」 「あっ、駄目だよ! ノァン、君の力で殴っちゃ、人は」  思わずニカノールは、ノァンの首をギュムと抱き締めた。腕の中で見上げてくるノァンは「そですか? そですね!」と笑った。  同時に、ノァンのマスターを放り出して男たちは逃げ始める。  例の闇狩人も、暗い瞳でニカノールを睨み、走り去った。  やれやれとナフムたちも武器を収める。ラチェルタは真っ先にノァンの胴体に駆け寄り、その手を取って一緒に歩いてきた。フリーデルはノァンのマスターと思しき少年を気遣い、呆然としている彼を立たせる。  やれやれとへたりこむニカノールの胸の中で、あっけらかんと首だけが天真爛漫に笑っていた。 「あ、よく見れば! さっきお金くれた子です! あの時はありがとうです!」 「ううん、気にしないで。それより、えっと……冒険者さん、雇うのに足りなかった?」 「それがですね、酒場にいったら女将さんが、肉煮込みを作ってたです! すっごくイイ匂いがして、その、ちょっとだけと思ったら! アタシ、全部お金を使ってしまったです」 「そっかー、肉煮込みならしょうがないよね。ふふ。でも、無事でよかった」 「アタシもそう思うです! 首が取れただけで助かって、マスターも無事で嬉しいです!」  誰もが呆気に取られる中で、ノァンとラチェルタだけが笑っていた。  これが、ニカノールにとって終生の友であるノァン、そしてその創造主である屍術師フォリスとの出会いだった。長く続く旅の始まり、心を通わせた冒険者たちはこうして出会い……友と恋、スリルとサスペンス、探究心と好奇心に満ちた冒険を始めるのだった。