怒涛の一日が終わろうとしていた。  それは本来、フォリスにとって人生の終わりの筈だった。  喪失と絶望と復讐と、そして諦観と。  あらゆる感情がフラットになる中で、賢者の境地に陥ってたフォリス。しかし、それを手掛けたのは……我が子にも等しいノァンと、アイオリスの冒険者たちだった。 「なるほど! そんなことがあったのか……ふむ! 研鑽と探求の場である世界樹の迷宮で、なんたる狼藉。誰が許したとて、この御統まきりは許せぬ! それはそうと、ささ、食べられよ! 肉と肉と肉、そして肉! 肉鍋だ!」  どういう訳かフォリスは、紆余曲折を経て例の冒険者たちと一緒に食卓を囲んでいた。ここはジェネッタの宿……多くの冒険者が定宿とする評判の宿である。  食堂の大きなテーブルを囲んで、皆が和気藹々と鍋を突き始めた。  圧倒的物量の肉が、ぐつぐつと煮えただし汁の中で野菜と一緒に浮いている。  ぼんやりそれを眺めていると、隣の青年が声をかけてきた。  確か同じ屍術師で、助けてくれたパーティを率いるギルドマスターだという。 「ええと、フォリス、だよね? 僕はニカノール。よろしくね」 「……ああ。その、すんません」 「あれ、どして謝るの? それより、さっきはびっくりしたよ。……正直言うと、今もびっくりしてるけどね。でも、みんな無事でよかった」  へらりと笑って、ニカノールは賑やかな食卓を見やる。  フォリスもぼんやりと彼の視線を追って、和気藹々とした雰囲気を眺めた。 「っしゃあ、肉だぜオラァ! ノァン、食べろ! いいから食べろ!」 「ありがとです、ナフム! アタシ、お肉大好きです!」 「野菜も食べた方がいいな。チェル、君もだ」 「うんっ! エランテとクァイさんにはボクがとったげるねー」  あんなことがあったあとなのに、不思議だ。ノァンはあっという間にニカノールの仲間たちと打ち解けてしまった。先程首をくっつけてやったが、まだ包帯が痛々しい。それでも彼女は、不器用に箸を握り締めてガツガツと肉を頬張っていた。  周囲でもほがらかな笑いが起こって、和やかに夕食が進む。  既に日の落ちた外には、今日も綺麗な月が浮かび上がっていた。 「いやしかし、ノァンは凄かったぜ。おっとろしい馬鹿力なのな、お前!」 「エヘヘ、照れるです。アタシ、マスターのためならなんでも頑張れるです!」 「おお、偉いなあノァン。よしよし、お兄さんがしらたきとしいたけをあげよう」 「やったです! ナフムいい人なのです!」  この連中は、なにもフォリスに聞いてこない。  みるからにカタギではない悪漢たちに囲まれ、殺されかけていたのがフォリスだ。そして、首が取れても死なない格闘士の少女……その常軌を逸した膂力と胆力。訳ありと見るのが普通だが、彼らは詮索することもせず夕食に招いてくれたのだ。  不思議なことだと思っていると、目の前に器が差し出される。  肉と汁との匂いが混じった湯気の向こうに、髭面の老人が笑っていた。 「まぁ、食っとけって。色々驚いてるだろうが、まずは腹ごしらえだ」 「す、すんません……いただきます」  老人はニカノールにも取り分けてやると、自分にもよそって酒へと手を伸ばす。  やたらとデカいセリアンの女傑が取り仕切っており、鍋には次々と肉が投入されていた。豆腐や野菜も足され、まだまだいい匂いがあたりへと広がってゆく。  フォリスは食欲がなかったが、見よう見まねで箸を持って一口食べた。  温かい食材はそれだけで、安堵感をフォリスに伝えてくる。  ようやく自分の生命が助かったこと、それが失われようとしたことに気付いた。だが、そのことに関してフォリスは正直、あまり心が動かない。どちらかというと、温かな料理と、それ以上に温かい場の空気に過去の仲間たちが思い出された。  隣を見れば、ニカノールも一生懸命肉を食べている。 「熱っ! でも、美味しい! こんな大雑把な料理が、不思議だねえ。……あれ? フォリス、食べないの」 「あ、いや……いただいてます、どうも」 「遠慮しないで食べてね。今日はコッペペさんのおごりだから。なんか、お祝いなんだって」  コッペペというのは、先程の老人のことだ。  笑顔を絶やさぬ好々爺だが、コッペペはどこか影のある不思議な男だった。今も、酒をちびちび飲みながら肉の争奪戦を見守っている。鍋の周囲では既に、金髪の女恩顧が二人で具材を取り合っていた。  笑顔が満ちる中で、穏やかな時間がゆっくり流れてゆく。  それは、フォリスが忘れてしまった日々の営み、人間の息遣いだった。  そうこうしていると、コッペペは視線に気付いてフォリスに向き直る。 「どした、若いの。食わねぇのか?」 「……なにも聞かれないなと、思って」 「そりゃそうさ、冒険者の間じゃ詮索屋は嫌われる。誰もが脛に傷持つってのが、この家業のならいだ。お前さんもあるだろ? 話したくないことの一つや二つ」 「ええ、まあ」 「オイラだって同じさ。まあ、話そうにも記憶がないから話すネタがないがな。わはは」  人を喰ったような笑顔で、コッペペが笑う。どういう訳か、先程からバチバチと箸と箸とで空中戦を演じてた少女たちも、釣られてわははと笑った。  二人は可憐な美貌に輝く金髪、そして十代前半の瑞々しい笑顔が印象的だ。  その肌の艶や表情は、ノァンと違って適度に日に焼け快活そのものだった。  髪を結ってる方がラチェルタで、やたら発育がいいのがマキシア。二人は親友同士らしく、屈託のない表情で笑いの中心にいた。フォリスはやはり、昔を思い出してしまう。  ここには、フォリスにとって失われた全てがあった。 「でもマキちゃん、よかったねえ。コッペペさん、昔は冒険者だったんだねー」 「おうよ! 見てなチェル。このオレ様の伝説が始まるぜ……フッ、世界樹の迷宮を揺るがす金髪の美少女剣士、その栄光と戦いの日々。って、おいー? 聴いてるかー?」 「んーん、全然っ! でもほら、マキちゃん! お肉煮えてるよ!」 「よしきた! おーい、ノァン。お前さんもおかわりしな、ちょっと皿を貸せよ」  賑やかな中で隣を見れば、ニカノールが一生懸命鍋をつついて肉を食べていた。モギュモギュと咀嚼しつつ、グラスに自分で酒を注いで……フォリスの視線に気付くや、彼のグラスにも注ぎ足す。  先程の迷宮での、筆舌し難い異様な光景。  それを目に当たりにしても、同じ屍術師の青年はなにも言わない。  そのことを率直にボソボソと聞いてみたら、意外な言葉が帰ってきた。 「ああ、あれ! 凄いねえ、フォリスが?」 「あ、ああ……禁忌を、犯した」 「だねー、このレベルの禁術って直接見るの初めてだよ。まあ、僕の周りじゃ珍しくない話だけど、こんなに綺麗に形になるもんなんだー、って。そうそう、昔ね、僕のおじ様が竜の骸で同じことをやったら、ドラゴンゾンビが暴れまわっちゃって。小さい国が二、三個消し飛んじゃったらしいよー」 「それは、また……でも、俺は」 「んー? ああ、気にしなくていいんじゃない? それにさー、ノァンが死なない躰ってことだけじゃ驚かないよ。凄い力だったけど、六人……いや、七人かな? それだけの死体を組み合わせて造ったんだから、かなり強力だよね。施術も丁寧に感じるし」  ニカノールはどうやら育ちがいいらしく、飲んで食べての合間にお行儀よく喋る。そして、この短い時間であっという間にフォリスとノァンの秘密を暴いてしまった。  先程の戦闘では、召喚した死霊が言うことを聞かず、全く戦力にならなかった。  未熟な新米かと思えば、この知識量に観察眼、そして鋭い洞察力。  フォリスは呆気にとられる中で、不思議な感情を感じ始めていた。  ニカノールに興味が湧いたのだ。  他者のことが気になるなど、あの夜以来だ。  そうこうしていると、ニカノールはゆるい笑みで話し続ける。。 「僕はほら、ちょっと家が有名だけど、僕自身はなんでもない世間知らずの若輩でね。しかも、この間うっかり死んじゃって」 「……え?」 「だから、ノァンと一緒。僕、死んでるんだ。なんかわからないけど、死ねちゃって、しかも死んだまま生きてるの。死に損ないの状態だけど、だったら死に切るより生きてた方が得かなって」 「あ、ああ……そういう、考えも……あるか」 「そだよ? フォリスだって生きてるんだし、ノァンだって生み出せたんだし。死んだ僕でも生きててラッキーなんだから、死なずに生きてるフォリスだっていいことあるよ、きっと」  全く無責任で、中身もスカスカの妙な語り口だ。そもそも、ニカノールは自分で喋ってる言葉に対してあまりにも軽く、力の抜けた顔をしている。  だが、その飄々とした奇妙な潔さが、強くフォリスを惹き付けた。  この奇妙なルナリアの男は、見た感じは自分と同い年くらいだ。だが、全てを諦め放棄したフォリスと違って、こざっぱりと達観した中で妙な爽やかさがあった。ハッタリも抜群だし、飾らぬからこその美しさがある。  そう思っていると、テーブルの向かいでノァンが声をあげた。 「マスター、今日はコッペペがギルドを立ち上げたお祝いなのです! アタシ、決めました! アタシがマスターを養うです、アタシ働くです! ボウケンシャーになるです!」 「……は?」 「マスターはアタシのヒモになって、朝からお酒を飲みながら賭博場に通ったり、花街で遊んだりするです! アタシ、コッペペのギルドで頑張って働くのです!」 「えっと……いや、ノァン。それは、よそう。……俺のことは、俺がそれなりにやらないと。それに、ノァン一人だと心配だからね」  ノァンは誰の目にもわかりやすく、ぱぁぁ! と笑顔になった。隻眼の左目をキラキラと輝かせる。そして、フォリスは隣でうんうん頷くほがらかな笑顔のニカノールにも、不器用になんとか笑って見せた。  その夜、フォリスはノァンのがらんどうの右目に、最後のパーツをはめてやるのだった。