アルカディア評議会からは、正式に冒険者としての認定許可がおりた。  これで晴れて、ニカノールたちのギルド『ネヴァモア』は世界樹の迷宮を探索できる。早速、元手となる軍資金でアイオリスの大市に赴き、武具を整え迷宮に挑んだ。  世界樹の迷宮……そこは未知と神秘が渦巻く危険な魔境。  魔物が跳梁跋扈する中で、どこまでも奥へと緑の回廊が続く。  ニカノールは今、ようやく本格的な冒険を開始して……鶏を追いかけていた。 「とっとっと……よしっ! これでオッケーだね。って、痛っ、イタタ! 突っつかないでおくれよ、待って待って……痛いよ、痛いってば」  ようやく一匹の鶏を捕獲し、ニカノールは両手で抱き上げる。  まるまると太った雌鳥で、気性は荒いがとても元気で健康そうだ。この鶏は、例の地図を描く冒険者の試練で発見しておいたものである。  今は正式に冒険者となったため、階段を使って地下二階へも行ける。  だが、ニカノールたちは地下一階の探索を納得できるレベルまで進めることを選んだ。  誰が残したのか、宝箱には役立つ薬品や物資が残されていた。  野生のものなのか、果実や麦が実っている場所もメモを欠かさない。  そして、以前から気になっていた鶏も捕獲しておくことにしたのだ。  ニカノールは二度三度と嘴で突かれながらも、笑顔で鶏を小脇に抱える。 「さて、ナフムたちは……ああ、いたいた。おーい、ナフムー」  どこか緊張感に欠く声で、ニカノールは仲間たち四人へと駆け寄った。  ナフムはフリーデルと、大きな亀の前に立っている。どうやら、その亀の前に落ちてる硬貨を拾いたいらしい。だが、手を伸ばす二人は交互に、亀にパクリと噛みつかれていた。  それを見守るエランテも楽しそうで、周囲ではワクワクとラチェルタが飛び跳ねていた。 「ねえねえ、ボクにもやらせて! 亀さん、ちょっと機嫌が悪いだけみたいだし」 「おっと、下がってなチェル……男たるもの、ネコババでも己を押し通すっ! ……痛ぇ!」 「ナフム、強引に手を伸べてもダメさ。こういう時は俺のように搦め手で……はぅあ!」  ナフムとフリーデルは、立て続けに亀に噛みつかれた。  まるで二人を嘲笑うかのように、のほほんと亀は甲羅を干している。陽の光が差し込む森の空気は、今日も濃密な甘さを感じるほどに清らかだ。清々しい密度で、肺を出入りするたびに心が洗われる気がするくらいだ。  鶏を抱えたまま、ニカノールは二人の間に割って入る。 「おっ、ニカ! 気をつけろよ、この亀……超性格悪ぃぜ」 「ここは策が必要だな、少し観察して状況を見守ろう」 「そうなの? あ、このコインが欲しいんだね。ちょっと待って」  ナフムとフリーデルが盛り上がりだした、その瞬間……ニカノールはラチェルタに鶏を預けるや、何の気なしに手を伸ばす。  じっと見詰めてくる亀は、動かない。  ニカノールは気軽にコインを拾うと、それをナフムへと手渡した。 「はい、ナフム」 「お、おう……ありがとう。ってか、なんか納得がいかねえ」 「あーっ、ニカずるーい! ボクもやりたかった!」 「はは、ごめんよチェル。あ、そうだ。じゃあ――」  ニカノールは、むぅー! とむくれるラチェルタを前にポンと手をたたく。彼は呆然と立ち尽くすナフムの手からコインを取り上げると……再びそれを亀の前に置いた。  はたと我に返ったナフムが「あーっ!」と声を張り上げる。  だが、やれやれと肩を竦めるフリーデルが首を横に振った。  相変わらずエランテにニヤニヤとした笑顔を浮かばせるのは、彼女の眠りに巣食うクァイだ。五人と一匹は再び、ふりだしに戻った光景の中で立ち尽くす。勢い良く無く鶏を小脇に抱えて、ラチェルタだけが元気いっぱいだった。 「おーしっ、ボクもやってみる! ……ねね、噛まれると痛い? ねー、ナフム」 「ん? ああ、痛ぇぞ……結構クる痛さだ」 「ふむふむ、どれどれー……そーっと、そーっと」  亀は呑気に眠そうな目をラチェルタに向けて、首を引っ込めてしまった。  少し物足りないのか、自分でコインを拾ったラチェルタは不満そうに唇を尖らせる。そして、一部始終を見守っていたナフムは、納得いかないらしくコインを再び置かせた。 「わかったぜ! ニカやチェルみたいに、雑念がなければいいんだな!」 「待って、ナフム。……それ、君には無理じゃないかなあ」 「なにを言うか、フレッド! このコインは、セリアンの山都で大昔に使われていたもんだ。大市で売ればちょっとした御馳走にありつけるんだよぉ!」 「……雑念まみれだよ、ナフム」 「まぁ見てな、ニカやチェルにできて、俺にできない筈が――っ痛え!」  愛すべき馬鹿がいた。  指を押さえて飛び跳ねるナフムを見て、ニカノールはラチェルタと一緒に笑った。悪いなと思ったけど、込み上げる笑いが止まらなかった。  そんなうららかな午後の探索に、来訪者が訪れる。  聞き覚えのある声を耳にして、ニカノールは振り返った。  まず目についたのは、長身のグラマラスなセリアンの女だ。 「おお、ネヴァモアの! お疲れ様だな、わっはっは!」 「やあ、マキリ」 「むむ! チェルが持っているのは……鶏肉ではないか! 串で焼くと美味いな」 「あ、これは……宿に預けて玉子を――」 「衣をつけて揚げるのも美味いぞ! もも肉はジューシー、胸肉はさっぱりとしていて」 「え、えっとね、まきり。食べるんじゃなくて玉子を――」 「そう! 玉子を衣に使って竜田揚げにするとたまらないな! うむ、わかった! 今夜の調理も私に任せてもらおうか!」  話が通じない。  しかし、西瓜みたいな胸を上下させて笑うまきりの背後で、見知った仲間たちがペコリと頭を下げてくる。彼らはコッペペの名義でマキシアたちが立ち上げた『トライマーチ』というギルドだ。どういう訳か、コッペペは記憶喪失の吟遊詩人なのに、不思議と冒険者として手慣れた様子を垣間見せていた。  新顔のハーバリストとも自己紹介を終え、ニカノールも情報交換の輪に加わる。  ナフムやフリーデルが、コッペペと真剣に話すその横で……フォリスから麦を分けてもらっていたニカノールに、衝撃。背中になにかがぶつかったと思った、次の瞬間にはひんやり冷たい柔らかさがじゃれついてきた。  それは、包帯の取れたノァンだった。 「ニカー! ニカニカ、ニカーッ! アタシもいいものあげるです!」 「おっと、ノァン!? はは、今日も元気だねえ」 「はいです! ニカにもおすそわけするです。これは蜂蜜です、甘いのです! こっちの壺をあげるです」 「やや、ありがたいなあ。じゃあ、ノァンにはなにか……ああ、そうだ。チェルの持ってる鶏。あの子が玉子を生むだろうから、半分個しようよ」 「おおー! 鶏! 玉子! アタシ、どっちも大好物です!」 「……鶏は、食べない方向で。しばらく食べない方向で頼むね」  キラキラと双眸を輝かせるノァンは、まるで無邪気な童女のようにあどけない。以前は包帯に覆われていた左目は、今は紅玉のような真紅の瞳がはまっている。右目の緑色と並んで、左右非対称の眼が星空のように輝いていた。  総勢十人での賑やかな小休止で、ニカノールもまだ見ぬ地下二階の話に驚いた。 「へえ、迷宮を徘徊する巨大な魔物……一定の規則で動いてるんだね? その芋虫は」 「ああ。それと……誰かがキャンプしたのか、焚き火の跡があった。まだ使えると、思う」  ぼそぼそと話すのは、紆余曲折を経て冒険者になったフォリスだ。無気力なジト目で、声にも覇気がない。だが、周囲でじゃれつくノァンをあしらいつつ、不思議とニカノールにはよく喋ってくれるような気がした。  そして、トライマーチの面々は探索を切り上げ、一足先に宿へ戻るという。  夕食時の再開を約束して、ニカノールは腕組み考え込んだ。  まだ余力があるし、地下一階の地図は先程の亀騒動で完成したと言っていい。夕暮れまではまだ時間が残っているので、少し先へ進むという選択肢もあった。  仲間たちと相談しつつ、ニカノールは奥を見やる。  地下への階段があるという森の深淵は、穏やかな木漏れ日の中へとニカノールを誘っているような気がする。そして、その先になにがあるのか……本当に不死となった自分の命があるのか、あらゆる願いを叶える力が眠っているのか。それを証明する旅は道半ばで、まだまだ始まったばかりだった。