冒険者達の休日、それは貴重な安らぎの時間。  ニカノールは親しい仲間のために、一肌脱ごうと同行していた。  まだまだ市井の生活が珍しいニカノールにとって、下町の商店街はなにもかもが新鮮に見えた。まるで、実家の近くの村の夏祭りが、毎日開催されてるかのような活況。  片手で大きな包を抱えながら、彼は手にしたクレープを食べる。  フルーツとクリームの甘いものも美味しいが、チーズと生ハムもいい。  そして、隣の小さな友人にそのことを素直に笑顔で伝えた。 「美味しいねえ、フォス。クレープって僕、こうして食べるのは初めてだよ」 「……ああ。美味い、な。味がある」 「味がある、ってもぉ。フォスのはなに? チョコバナナ? サーモンとオニオン?」 「ん、なんか……甘いやつだ」  もそもそとクレープを食べるフォリスも、もう片方の手で大きな紙袋をぶら下げている。中には、少女達が買った服や靴、雑貨や小物が入っている。  二人は今、並んで服屋の軒先でクレープを食べているのだ。  チラリと窓の中を見やれば、仲間達が熱心に秋物の服を物色宙である。  荷物持ちとしてやってきたニカノールだが、こうして街に出るのは楽しい。そして、心なしかフォリスもくつろいでいるように感じた。無気力でぼーっとしてても、以前よりは感情や情緒を感じるし、会話だって成立する。 「俺の街では……クレープはそば粉で焼いてたな」 「へえ、そうなんだ」 「ああ。いつもサリアが焼いてくれて、それをみんなで……まあ、そんな感じ、だった」  サリア、それが亡くなったフォリスの恋人だろうか? そして、サリアとみんな、合計七人分の死体を継ぎ接ぎで縫い合わせて生まれたのが……あの不死人形ノァンなのだろう。禁忌の術で蘇った、その姿は恋人の妹がベースになったという。  だが、死んだ人間は元には戻らない。  死者は決して生き返らないし、生き返ってはならないのだ。  死して尚生きているニカノールでさえ、そう思う。  自分は死んでも死に切っていないだけ、そして……生きているかどうかは、これからの自分の生き方で決まる。その可能性を奪われた死者には、祈りを手向けるしかない。  店のドアがカラコロとベルを鳴らしたのは、そんな時だった。  中からノァンが、三人娘のラチェルタ、マキシア、レヴィールを連れて出てきた。 「あ、マスター! お待たせなのです! アタシ、三人とおそろいのシャツを買ったです! ほらほら、見て、見てです! 褒めてです!」 「あ、ああ……」  戸惑うフォリスの周りを、まるでじゃれつく大型犬のようにノァンがぐるぐる回り出す。ニカノールも三人娘も、自然と笑顔になった。  ノァンは今、真っ白な清潔感のあるTシャツを着ていた。  その背中に、大きく『亥』と書いてあるが、読めない。  恐らく東洋の文字、漢字だ。 「ニカ、オレ等とおそろいらしいぜ! な、チェル? レヴィールも」 「うんっ! ボク達、気に入っちゃったんだ。漢字、かっこいいよねえ」 「帰ったら意味を調べてあげるわ。ふふ、でも……きっとためになる格言か、昔の偉い人の言葉よ。もしくは、古い神話の時代の紋様的なものね!」  レヴィールが自信満々に、腕組みしながら頷く。ラチェルタとマキシアも、うんうんと何度も頷いていた。  レヴィールの背中は『卯』だ。  ラチェルタが『辰』、マキシアは『丑』である。  なんだろう、ニカノールには意味が読めないのにピッタリな気がした。  そう思っていると、ノァンが「みんなの分も買ったです!」と袋から取り出す。少女達が着ているものも含めて、全部で十二種類あったらしい。  全部、買ったらしい。  ぼんやり立つフォリスと一緒に、ニカノールも流石に驚いた。  そんな平和な時間が、突然遮られる。  不意にニカノールは、フォリスと一緒に往来を振り返った。 「フォス、あれ!」 「ああ……また、だな。ニカ、逃げろ。奴の目的は――」 「ノァン! チェル達を守って! フォスは僕が守る!」 「なあ、ニカ……逃げないと、お前は」  行き交う人の中に、目深にフードをかぶった細い人影。まるで、あたたかな午後に降り注ぐ陽光が作った影だ。澱む闇のように、人混みの中をこちらへ歩いてくる。  どういう訳か、誰にもぶつからないし、誰もが彼女を見ていない。  そう、少女だ……マントを脱ぎ捨て死神の大鎌を出したのは、女の暗殺者だった。  以前からフォリスとノァンを狙う、闇狩人の始末人だ。  その声は冷たく凍って、小さくニカノールの鼓膜を震わせる。 「見付けた……背教者フォリス。その下僕の死体人形ノァン。そして……コシチェイ家のニカノール」 「え? ぼ、僕も!?」  その時にはもう、目の前の空気が切り取られていた。  あまりに鋭い斬撃が、今までニカノールがいた場所の気圧を乱す。  フォリスに押し倒されたと知った時には、立ち上がろうと大地に突いた手が塗れていた。  真っ赤な地が、石畳の上に広がっていく。  そして、恐るべき暗殺者は静かに呟く。 「まず一人……次はお前だ、忌むべきコシチェイ家の眷属よ」  ニカノールの実家は、数ある名家の中でも五本の指に入る有名な屍術士の家系だ。親族や先祖に、不死者となって今も各地の迷宮や塔で研究を続ける者が多数いる。  だが、それはニカノールとは直接関係ない。  なにより、友人のフォリスが血の海に沈んでいることの方が重要だった。 「待って、君は……君の名前は!」 「……ゴミ処理屋はゴミの名を問わない。逆もしかり」 「僕はニカノール! 名乗ったよ! 君は!」 「ッ!? ……スーリャ」  スーリャ。それが寡黙な闇狩人の名か。苦しげなフォリスを庇うようにして、ニカノールが対峙すると、スーリャの刃が向けられる。  不思議とニカノールは、目の前の少女からもお馴染みの感覚を感じていた。  そう、闇の領域に立つ者特有の、魔の力を宿した雰囲気が同じなのだ。  そして、スーリャの大鎌は振り下ろされることはなかった。 「マスター! う、ううーっ! うわーっ! マスターとニカから、離れるですっ!」  弾丸のようにノァンが飛んできた。  三人娘を下がらせた彼女は「来ちゃ駄目です!」と後ろに叫んで拳を握る。  すでにもう、普段から世界樹の迷宮で一緒の彼女ではない。赤緑対眼の瞳が燃えるように光を揺らがせ、常人ならざる瞬発力で馳せる。  渦巻く空気の中で、ノァンの拳がスーリャの大鎌と交錯した。  もう、普段からヨスガに習っている加減を忘れている。  そして、フルパワーのノァンをスーリャは苦しげながらもさばいていなした。 「クッ、死体人形! 汚れた禁術の産物……処理する!」 「アタシはノァンです! マスターのこと、いじめて……許さないです! ニカもいじめた! 絶対に、許さない、ですっ!」  その時、ニカノールは見た。  目を見張るその光景に、言葉も忘れる。  白いシャツをスーリャに切り刻まれ、着衣が千切れて解れる中……ノァンの動きは徐々に洗練されてゆく。恐らく、普段から力をコントロールする努力をしていた、その副産物だ。以前よりずっと、彼女は自分のフルパワーを制御して掌握し、使いこなしている。  それでも勝負は互角に思えたが、目の前で徐々に均衡が崩れる。  豹変したノァンと共に。 「この力!? 危険だ。チィ!」 「やっつけるです……アタシの好きな人、いじめる人……やっつけちゃうです。コテンパンに……う、うううっ、うわあああああっ!」  青白いノァンの肌に、次々と浮き上がる傷痕。  それは、ミシンの縫い目のように全身を覆って取り巻いている。  恐らく、フォリスが施術の時に死体のパーツを縫い合わせたものだろう。  普段は全く見えなかったそれらは、興奮状態で我を忘れたノァンの身体を醜く飾ってゆく。騒ぎに気付き集まった野次馬達でさえ、言葉を失う異様な姿だった。  烈風の如き刃が行き交う中で、ノァンの拳が風圧となって吹き荒れる。  ほとんど半裸に剥かれてしまっても、ノァンは古傷の縫い目を纏って戦った。 「……潮時か。死体人形、お前の名は」 「アタシはノァンです! いい子、強い子、元気な子! の、ノァンですっ!」 「また会おう、ノァン。闇より生まれし、死を超越した死者達よ」  ふわっとスーリャの細身が宙へと舞う。軽く地を蹴っただけで、彼女は並ぶ家並みの屋根に立って、そこから更に跳躍して消えた。  顕な肩を上下させて呼吸を荒げながら、ノァンはようやく拳を納める。  だが、そんな彼女を周囲の好奇の視線が無数に貫いた。 「お、おい……なんだあれ、すげえ傷だ」 「かわいい顔してやべえな」 「それより怪我人だ! 誰か!」 「バ、バケモノだ……見たか、さっきの」 「ひっ! こ、こっちを睨んだ!」  慌ててニカノールは、羽織っていた上着を脱いでノァンにかぶせてやる。  ノァンはようやく、興奮状態だった自分に傷痕が浮かび上がっているのに気付いた。そして、言葉にならない声を噛みながら泣き始める。己の肩を抱いて、羞恥に頬を染めながらボロボロと涙を零した。 「えうっ、うう……ヤです。アタシ、隠してたです! 見られたらヤなんです! う、うう……気持ち悪いから、嫌われちゃうです」 「ノァン! しっかりして、ノァン。大丈夫だよ? さ、一緒にフォスを助けよう」 「ううー、ニカァ……アタシ、見られちゃったです。これ、起こり過ぎたり嬉し過ぎたりで、色々過ぎたりで出ちゃうです。アタシ、何度洗っても消えないです」  幼子のように泣き出したノァンを、ニカノールは周囲の眼差しから守って抱き締めた。すぐにラチェルタやレヴィール、マキシアが働き始める。  フォリスは生命に別状こそないものの、酷い出血で意識をうしなっていた。  そして……化物を処理する始末屋と、それを退けた継ぎ接ぎ少女の噂はアイオリス中に広まってゆく。背びれ尾びれが膨れて脚色される、その無神経な好奇心を誰もが止めることができないのだった。