夢を、見ていた。  昔の夢、儚く散った夢の再現だ。  フォリスはセピア色の光景が、自分の過去だと認識する。だが、夢の中では目を瞑ることもできず、目を背けることも許されない。  幸せだった頃の自分と、友人達と……そしてなにより、愛する人がいた。  あれは確か、半年ほど前の話だ。  フォリスは恋人との婚約を報告し、祝福に包まれていたのだ。 『クッソー、サリア! なんでフォリスなんだよう! 羨ましいぜ、おめでとう!』 『フォリス、とうとうお前も結婚か。さっさとくっつけって思ってたんだよな』 『式には呼べよ、お似合いのお二人さん! さあ、今夜は飲もう!』  幸せだった。  アースランが暮らす大都会では、ルナリアのフォリスは少数派、異質な存在だった。まして、屍術士として葬儀や弔事を仕事としているから誤解も多かった。  それでも、友人ができたし、その中の一人と恋をした。  一緒に愛を育んでくれたサリアが、紅い瞳を細めて微笑む。  そして、彼女の妹も喜んでくれた。  フォリスの義妹になることが切なくても、姉の幸福を願ってくれたのだ。 『もう、お義兄ちゃんって呼ばなきゃね。お姉ちゃんもおめでとっ!』  エメラルドのような翠の瞳で笑う、そのあどけない表情が誰かに重なる。記憶の底で現実が、その面影に反応して動き出す。  フォリスは覚醒を迎えつつある中で、サリアの妹タリアの笑みを見詰めていた。  そして、悪夢が鎌首をもたげる。  まるで毒蛇のように、フォリスの心に絡みついてくる。 『サリア……そして、タリア。俺の、仲間達。ああ、お前達は……あの日、あの時』  次第にタリアの顔が崩れてゆく。  左目が飛び出て弾け、全身の輪郭も千切れて血に塗れる。それは、周囲の友人達が物言わぬ肉塊になるのと同時。気付けばサリアも、瞳より尚も赤い血の涙に濡れていた。  そして、サリアの首がゴロリと落ちる。  それを拾うタリアの姿が、徐々に変わっていった。  サリア達七人の死体が、バラバラになってタリアに集まる。  その姿は、かつてフォリスが復讐のために生み出した虐殺人形だ。 『マスター……アタシ、頑張るです。マスターの無念、晴らす……全部やっつけて、殺すです!』  そこで夢は途切れた。  絶叫と共にフォリスは飛び起き、ベッドに上体を起こす。  以前にニカノールを庇った胸の傷が、灼けるように激しく痛んだ。  だが、その痛みが現実をフォリスに教えてくれる。  ここはジェネッタの宿、ノァンと一緒に暮らしている部屋だ。そう、恋人も仲間も無残に殺され……その死体を掻き集めたノァンで復讐を果たした。  それで追われる身となった、それがフォリスの全てだった。  そっと胸に手を当て、痺れるような激痛に呻く。  ベッドの脇で声がしたのは、そんな時だった。 「よ、フォス。どした? 酷い寝汗だぜ?」 「あ、ああ……ナフムか」  横を見ると、ナフムとフリーデルが座っている。  部屋に備え付けられた小さなテーブルを囲んで、二人はどうやらチェスをしているようだ。だが、そのためだけにフォリスの部屋に来た訳ではないらしい。  駒を取ってはまた置く、その繰り返しの中でナフムが一手を指す。  次の瞬間、ナフムがすぐに自分の駒を迷わず押し出した。 「ゲッ! えげつねえ……汚いぞフレッド!」 「秘境は敗者のたわごと、だよ。それより、フォス? 大丈夫かい? 少しうなされてた」 「俺等、今日は留守番でよ。さっきニカ達が帰ってきたとこだ」 「安心して、ノァンも皆と無事に帰ってきたよ」  二人の言葉に安心して、呼吸も動悸も静かになってゆく。  深く息を吸って吐き出すと、改めてフォリスは二人を交互に見た。 「俺は……何か言っていたか? うわ言を」 「いんや? なあ、兄弟」 「何も聴いていないね」  それでフォリスはホッとしたし、例え聴いていても同じことを言うであろう二人が嬉しかった。その男らしい優しさに甘える一方で、胸の奥にはまだ悪夢の残滓が残っている。  精算し終えた過去は今も、消えることのない負債を膨らませている。  フォリスは生涯、あの事件を忘れることはできないだろう。  そして、過去が生んだ因縁は刺客を放って、フォリスとその仲間を襲い来るのだ。  そんなことを考えていると、盤面を睨んだままナフムが話し出す。 「フォスよう、深刻な顔してんなあ……どうだ、傷はまだ痛むか?」 「あ、ああ。随分いいが、まだ少し。そ、それより」 「もうすぐ夕飯の時間だ。それで、だな……どっちがフォスの飯を食堂から運ぶかを賭けてんだよ。負けた方が運ぶ、勝った方も一緒に食う。どうだ?」 「……す、すみません。その……とても、助かる」 「だろ」  だが、どうやらナフムは旗色が悪いらしい。  そして、彼が弱い訳ではないようだ。  むしろ、何の気なしに駒を動かすフリーデルが盤面を支配していた。ナフムが率いる黒い軍勢は、圧倒的に不利な状況で窮地に陥っていた。  フリーデルはナフムが長考に入ると、チェス盤から目を離す余裕すらある。 「そうそう、フォス……第一階層、鎮守ノ樹海をニカノール達は突破したよ」 「そ、そうか。確か階層の最後には」 「ああ、とんでもないバケモノがいたらしい。苦戦したが倒して、今はアルカディア評議会に報告に行っている。ほら、これがノァン画伯がスケッチしてくれた巨大ゴーレムだ」  フリーデルはテーブルの隅にたたまれていた紙を差し出してきた。  受け取り開いて、しばらく睨むように眺める。 「……ああ、こっちが上か。ん……すごいおっきー合体ゴーレム……かたくて、つよい」  ひっくり返して初めて、落書きですらない前衛的な線の集合体が絵だとわかった。そして、注釈には具体的なことはなにも書かれていない。  酷い絵だが、これがここにあるということは、評議会で今頃ニカノール達がレムスと共に描き直しているのだろう。評議会では迷宮の魔物についても情報を集めており、誰でも閲覧可能な文献として整理している。 「酷い絵だろ? でも、ノァンが一生懸命描いたものだしね」 「ああ。何だか……」 「ん?」 「いや、少し……ほんの少し、昔を思い出したよ。それを夢に見ていた。あいつも……酷く絵の下手な奴だった。そうだった時の夢だった」 「そうか」  直後、ナフムが選びに選び抜いた一手にフリーデルが反撃する。  ナフムの悲鳴を聴きながら、フリーデルは迷宮のその後の話もしてくれた。 「ニカがね、苦労して巨大ゴーレムを倒したあとで……よせばいいのに、先に進もうとしたんだ。第二階層を見るだけって、ノァンと……だばだば階段を駆け上がった」 「……目に浮かぶようだよ、フレッド」 「だろ? だが、見渡す限りの断崖絶壁と荒野、そういう第二階層の入り口で……突然二人は、謎の闇狩人に遮られた」  闇狩人と聞いて、フォリスはビクリと身を固くする。  だが、胸に傷を負わせたあの人物ではないらしい。 「例の褐色ちゃんとは違うみたいだ。だが、そいつは死神と名乗った……死神のソロルと」 「ソロル……そいつは何故?」 「そいつが言うには、評議会にまず報告しろって話らしい。ミッションを受けていただろう? その報告を済ませてから、改めて第二階層を冒険するように言ってきた」 「二人は、それで」 「おとなしく戻ってきたよ、皆でね。……正直俺もホッとしてる。なかなかに危なっかしいからね、ニカとノァンは」 「……同感だ」 「はは、フォスがそれを言っちゃうか」  どうやら二つのギルド、ネヴァモアとトライマーチは新たな階層へと進んだらしい。もうすぐこのジェネッタの宿に戻ってくるだろう。  フォリスは気付けば、二人と話す中で平常心を取り戻していた。  彼の精神を蝕む悪夢は、以前より少し過去へを過ぎ去り小さくなってゆくのだった。