世界樹の迷宮、第二階層……『奇岩ノ参道』を探索する旅は続く。  地図を手に、バノウニは空白地帯へと仲間達と進んだ。この先はまだ、未開拓なエリアが広がっている。その中に、10階への階段がある筈なのだ。  だが、今日も今日とて冒険はいささか緊張を欠く。  それは、前衛で一緒のカズハルやアーケンも一緒のようだ。  振り向けば、二人の少女が手を繋ぎ歩いている。 「ワーシャ、見るです! あそこに花が咲いてるです!」 「まあ、綺麗ですわね。白い花……あっ、待ってくださいな。ノァン様」 「取ってこなくていいですか? ワーシャに摘んできたげるです!」 「せっかく健気に咲いてるんですもの。愛でるだけで十分です、ふふ」  とりあえずバノウニも、ノァンとワシリーサが見上げる先へと視線を滑らせる。崖の上に白い花が咲いていた。何か特別なものだといけないので、とりあえずこの場所を地図に記した。  そういえば、クエストを任されたラチェルタやマキシア、レヴィール達の探していた花はこれかもしれない。帰ったら情報交換の時に教えてやろう。  そう思っていると、カズハルが隣で溜息を零す。  午後の日差しも温かくて、何だか警戒心が上手く働かなかった。 「なあ、バノウニ……いいのかなあ、俺達。一応ここ、9階だよ?」 「んー、まあ、しょうがない。危険な魔物の徘徊もないし、小物ばかりだよね。ってことは、先に進めるだけ進むってことで」  厳つい肉体美のアーケンも、うんうんと大きく頷く。  だが、後のノァンとワシリーサはまるでピクニック気分だ。  ワシリーサの魔法の腕は、やや物足りないが十分に冒険者として通用するレベルだ。それに、ノァンは一人でほぼ全ての魔物を屠ってしまう。ああやってワシリーサに懐いてじゃれついていても、戦闘時は無慈悲なまでに強かった。  これでは、どっちが護衛なのかわからない。  一応バノウニ達三人は、ニカノールからワシリーサを守るように頼まれているのだ。適度に冒険者として探索をさせ、きりのいいところで説得して帰ってもらう作戦である。 「そりゃそうだ……ワーシャさんには願い事、困ってる悩みなんてなさそうだもんな」  独りごちて地図を畳み、バノウニは大鎌を手に歩き出す。  世界樹の迷宮にまつわる、神話の時代からの不思議な言い伝えが存在する。それは、世界樹の頂へと上り詰めれば、いかなる願いも叶うというものだ。  その御伽噺を信じている冒険者は、多い。  あまりにも幼稚で単純、そして荒唐無稽な話だ。何の確証もないのは明らかで、誰も世界樹の先に何があるのか、その頂点までどれだけ登るのかを知らないのだ。 「なあ、カズハル。アーケンも」 「ん? どした、バノウニ」 「おう、疲れたか? 鍛え方が足りねえんだよ、お前等は」  カズハルがすかさず「俺もかよー」と笑う。  だが、ぼんやりとバノウニは呟いた。 「もしさ、もし……世界樹、このまま登りきったらどうする? どんな願いを叶えてもらうのかなあ、って思って」  バノウニはもう、心に決めている。  自分の呪われただみ声を治してもらうのだ。あの空を飛ぶ小鳥のように、吹き抜けてゆく風のように……軽やかな歌声を自在に振り絞れたら、どんなに素敵なことだろう。  そう思うバノウニに、真っ先に答えてくれたのはアーケンだった。 「どうするって、そりゃあ決まってんだろ。喧嘩百段! ぜってぇ負けねえ屍術師になってやらあ……常勝無敗の強い屍術師にな!」 「あー、うん……君らしいね、アーケン。でも、なあ? カズハル」 「うん……屍術師って、腕っ節でやってく仕事じゃないし。冠婚葬祭とかの方が多かったりするし……ま、いんじゃない?」  因みに、カズハルは極めて単純な願いを胸に秘めていた。 「やっぱさ、先立つもの……お金かなー?」 「しょっぺえ奴だな、カズハル」 「アーケンには言われたくないよ。俺は一応、冒険者になって、物語みたいな冒険をさ」 「なら、そう願えばいいじゃねえか。それを、金だぁ?」 「わかってないなあ。そのお金で、自分だけの冒険を自分で探さなきゃ」  ちょっとドヤってるカズハルがおかしくて、バノウニは笑った。  今日も平和、そして平穏な冒険が続く。  そろそろ集めた魔物の素材も増えてきたし、話しながら歩く内に随分と9階の地図を埋めてしまった。あとは10階に進む階段が見つかれば、万々歳だろう。  調子がいいからか、自然とバノウニは背後を振り返った。 「ノァンさんやワーシャさんは、どんな願いを……かな、え……る? あ、あれ?」  一緒に振り向いた、カズハルとアーケンも固まってしまった。  そこには、瞳をキラキラさせたノァンがにじり寄ってきていた。その両手が、どこかで見覚えのある生き物を抱き上げてる。 「アタシですか? アタシ、お願いあるです! お魚欲しいです! ワーシャもお魚あげたいって言ってたです!」  上品な笑みで、クスクスとワシリーサが笑っている。  そして、おねだりモード全開のノァンの腕の中に、一匹の鳥が抱えられていた。間違いない、たびたび迷宮内で出会っては、肴をせびってきた図々しいあの鳥だ。 「うっ、また出たっ!?」 「バノウニ、魚欲しいです! 頂戴なのです!」 「あ、あの、ノァンさん、そいつ――」 「お腹が減ってるみたいなのです。お腹が減ると悲しくなるのです……うぐぐ」  ころころと表情を変えるノァンが、泣きそうになっていた。  鳥の空腹を自分に重ねたら、共感してしまったらしい。やれやれとバノウニは、観念して荷物を下ろす。確か、来る途中に釣った魚がある筈だ。大きな葉っぱで包まれて、鮮度が落ちないようにして運んでいる。  魚を取り出すと、ノァンはあっという間に笑顔に戻った。 「わあ、バノウニ! ありがとなのです! ワーシャ、魚です、魚をあげるです!」  まるで子供のように、魚を手にノァンはワシリーサへ駆け寄っていった。そして、微笑むワシリーサの前で鳥に魚をやっている。  毎度見慣れた光景で、ねだられるままに与えた魚は数知れない。  やれやれと思っていると、不意に背後で声がした。 「やっほー? 確か、ネヴァモアとトライマーチ、だよね?」  驚いて振り返ると、そこには小さな少女が立っていた。屍術師のようだが、酷く幼い。そして、バノウニ達に全く気配を気取らせずに近付いてきたのだ。  彼女は愛らしい笑みを浮かべて、ワシリーサとノァンが囲む鳥を見やる。 「んっ、あれは……へえ、君達懐かれてるね! あ、そうそう、私はリリ! よろしくね」  確か、ニカノール達から聞いたことがある。こう見えてもリリはベテラン冒険者で、かなりの腕前の持ち主だ。相棒の闇狩人、ソロルとのコンビで世界樹を探索している。  その彼女が、教えてくれた。 「あの鳥に懐かれるなんて凄い……あれは樹海鵜。もし手懐けられたら、人の手で飼育することもできるんだよ? 魚を取らせて、それを集める事もできるの!」 「へえ……あ、じゃあもしかして!」 「……もうちょっと、かな? ふふ」  笑うリリの言う通り、ワシリーサが撫でていた鳥はノァンの腕から飛び去った。どうやらまだまだ、樹海魚を献上する必要があるらしい。  そのあと、リリはこの先に階段があるとだけ言って、去っていった。  バノウニたちはとうとう、この階層の最終階……10階への階段を見つけるのだった。