ラチェルタは逆境に言葉を失っていた。  第二階層『奇岩ノ山道』、その最奥……以前もそうであったように、次の階層へと向かう階段の前には強敵が待っていた。  その脅威は、ラチェルタ達の予想を遥かに上回る強敵だった。 「チェル殿! 放心めさるな……まだ勝機はあり申す!」 「でっ、でも……コロスケさん」 「戦は常にいかなる時でも、心の折れた者から負けてゆく……今こそ気持ちを強く! いざ!」  傍らで支えてくれるコロスケも、血塗れだ。  あの第一階層で、巨大なゴーレムと戦った彼でさえ、満身創痍である。  こんな筈ではなかった。  だが、こうだからと逃げられない。  逃げることすらできない現状がある。  ならばと、ラチェルタは両頬をピシャリと叩いて気合を入れ直した。剣を構えて、真っ直ぐ敵を見詰める。  目の前で今、レヴィールとマキシアを蹴散らす巨大なモンスターが暴れていた。  魔獣ヒポグリフが、風を纏って稲光に舞う。  縦横無尽に空中を行き交う爪が、ラチェルタ達を追い詰めていった。 「いい目でござる、チェル殿」 「気持ちで負けてちゃ駄目なんだね……ボク、もう少しだけ、もっと少しだけ、頑張る!」 「その意気やよし! 折れぬ心がある限り、皆がチェル殿を支え申す!」  しかし、コロスケはチラリと背後を見て、小さく溜息を零した。  そこには、あっさりノックアウトされて転がるナルシャーダの姿がある。倒れて意識を失っていても、彼は不思議と周囲の空気をキラキラさせていた。  だが、戦闘が始まって速攻で術を使い果たし、いの一番にやられてしまったのだ。  ラチェルタも苦笑を零しつつ、改めてヒポグリフの動きを探る。 「とにかく、動きを封じて地上に叩き落さなきゃ」 「左様! しからば、拙者が注意を惹き付け申す。その間隙を縫って――」  だが、コロスケの言葉を遮るように声が響いた。  このピンチの中でも、彼女の声音にはいつもの冷静さがある。  それは、ラチェルタにとってこの上なく頼もしい。 「コロスケさん、私が囮になりますっ!」 「レヴィ殿! しかし」 「かつて私のお祖母様は、聖騎士としてその盾で数多の命を守ってきました。その血を受け継ぐからこそ、今は私が皆の盾になる時です!」 「クッ、レヴィ殿! 犬死無用!」 「心得てます! では!」  しなる突剣を奮って、レヴィールが最前線に立つ。  その背は小さく細くて、いかにも不安だ。  だが、彼女の自信家なところ、責任の強いところをラチェルタはよく知っている。口うるさいし世話焼きだが、彼女がやると言えばやるのだ。やれるのだ。  レヴィールは襲い来る爪と嘴を、巧みな剣技で弾き始める。  舞うように踊る、それは死のワルツ。  ステップを踏み間違えた瞬間、少女の肉体は八つ裂きにされるだろう。 「コロスケさんっ! 少しでいいの。少し、ちょっぴりだけ、あいつを地面に叩き落として」 「承知! して、策は……チェル殿?」 「だいじょーぶっ! まだ負けてないよ!」  ラチェルタは寿命が縮む思いで、レヴィールの背を見守る。  そうして、地面に突っ伏した少女へと駆け寄った。  大の字に伸びてしまった、それは親友のマキシアだ。 「マキちゃん! 起きて! ボク達の出番だよ!」  返事は、ない。  ナルシャーダ同様、完全に体力を使い果たしているようだ。そればかりか、放置すれば命も危ういかもしれない。  それでも、ラチェルタはその身を揺すって覚醒を促す。  時々気取ってて、やたら難しいことを言って格好つける……その実、タフで打たれ強いのがマキシアという少女だ。それは、彼女が母親から特殊な血と躰を受け継いだこととは関係ない。  ラチェルタと暮らして育った日々が、ただそうだっただけなのである。 「起きない……うー、しょうがないなあ」  急がないとレヴィールが危ない。  皆を守って立ち塞がる盾は、鉄壁の防御ではないのだ。例えて言うのならは、風を受け止めしなやかに揺れる柳……だが、強過ぎる風は細枝を根こそぎ薙ぎ払う。  ラチェルタは覚悟を決めて、ゴホンと咳払い。 「あーあー、ん、よし……おお、勇者マキシアよ! 伝説の剣士よ! 倒れてしまうとは情けないー!」  コロスケが目を点にした。  だが、構わずラチェルタは、絵草紙で昔見た台詞をそのまま並べてみる。 「猛き風の戦士、若き英雄マキシアよ! 立て、そして新たな伝説を神話へと歌い上げるのだー!」  その瞬間だった。  ガバッ! とマキシアが立ち上がる。  目が、据わっている。  だが、よろけながらも彼女は剣を構えてラチェルタの横に並んだ。 「そうだ……オレは、オフクロの伝説を受け継ぐ、剣士……誰もが、讃える、勇者……」 「そうだよっ、マキちゃん! いい? ……アレをやるよ」 「おうっ! 見てろよ……今日がオレ様伝説の最新章だぜ!」  コロスケも頷き、居合に構えて地を蹴る。  それは、ヒポグリフの巨大な前足がバインドクローでレヴィールを捉えるのと動じ。光が突き抜け、神速の抜刀術がその脚部を切り落とす。  鷲掴みにされたレヴィールを即座に受け止め、落下してくる巨体からコロスケが身を翻した。 「今でござる!」  声と同時に、ラチェルタが地を蹴る。  小さい頃から、一緒だった。  生活の半部が旅立ったけど、もう半分はマキシアのいる小さな町だった。ずっと隣で育った者同士、小さい頃から憧れていた。  ――大きくなったら、すんげえ冒険者になる!  それは今、果たすべき約束。 「マキちゃん! 行くよ……雷閃の乱撃っ、バリバリ、ビリビリッ!」 「おおおっ! 御見舞っ、するっ、ぜえええええっ!」  立ち上がろうとするヒポグリフを、擦れ違い様にラチェルタが切り刻む。無数の剣戟が一瞬で突き抜け、傷に出血すら許さない。  そして、その太刀筋を全てマキシアのチェインショックが繋いだ。  迅雷の連撃が、そのまま稲妻の光で浮き上がる。  絶叫が迸った瞬間、ラチェルタは倒れるマキシアごと抱き留められていた。  二人の間で少女の肩を抱いて、気付けば長身の美丈夫が微笑んでいる。 「少女達よ……見事。おお、神よー、美しき俺様のー! 美しき、なーかーまーっ!」  ラチェルタの肩を抱き寄せ、マキシアを抱き留めながら……いつ意識を取り戻したのか、ナルシャーダが歌っていた。さしものコロスケも、ガクリとその場によろける。  だが……そんなラチェルタ達の背後で、絶叫しながらヒポグリフが身を起こす。  それを振り返り、ナルシャーダはフッと鼻で笑った。 「ほう? 俺様の一撃でまだ生きてるとはな……」 「やったの、ボク達だよね? マキちゃん」 「一撃じゃねーし……二十発はお見舞いしてやったし……」  激昂に血走る目で、ヒポグリフが遅い来る。  だが、より強く二人の少女を抱き締めながら、ナルシャーダが気取った声を静かに呟いた。 「フッ……その面はもう、見飽きた。消えろ……黄泉路へ堕ちて、消え失せろっ!」  突如として業火が逆巻き、紅蓮の焔がヒポグリフを焼き尽くした。  美味しいところだけを持っていく、それがナルシャーダという男なのだった。それを身をもって知ったラチェルタは、マキシアと同時に左右からグーパンチで、ナルシャーダの頬を容赦なく叩いて腕から逃れるのだった。