ラチェルタはテーブルに突っ伏して、ぼんやりと横を向く。  隣では、ナフムがマキシアと完全に意気投合していた。先程からずっと、周囲の目も気にせずに話し込んでいる。とても楽しそうで、ラチェルタは頭を抱えてしまう。  二人の横にはそれぞれ、死んだ魚みたいな目になったフリーデルとレヴィールが座っていた。  彼等は今、ギルドに所属する冒険者達の二つ名を考えているのだ。 「で、次はニカだな……ふむ」 「おっ! へへ、オレぁピンと来たぜ、ナフムの兄貴!」 「でかした、マキ! ……で、どんなだ?」 「名付けて、死地を歩くもの……どうよ!」 「悪かねぇな、その線でいくと……『死の後先を歩くもの』って感じか?」 「いい! それいいぜ、絶対にニカの奴も喜ぶ!」  二人の横でメモを取るフリーデルが、大きな欠伸をした。  既に宿の食堂に人影は少なく、月と星も夜空に舞い上がって久しい。  レヴィールは虚ろな目で、淡々とマキシアの言葉を書き留めていた。  それを眺めながら、ラチェルタは溜息を一つ。  そんな時、不意に目の前に湯気をあげるお茶のカップが置かれた。  見上げれば、ルナリアの少女が優しい表情で微笑んでいる。 「チェル様、お茶をどうぞ」 「あっ、ワシリーサさん! あ、ありがと」 「ふふ、ワーシャと呼んでくださいな。隣、御一緒してもよろしいですか?」 「う、うん! よろしいですとも! 全然よろしいですっ!」  同性のラチェルタが見ても、ワシリーサはドキリとするくらいの美少女だ。いかにも御嬢様という感じなのに、働き者で好奇心旺盛、何者にも物怖じせぬ芯の強い女の子である。  ニカノールの妻になるべく育てられた、生贄の花嫁。  だが、肝心のニカノールが態度を保留している今、冒険の仲間で頼れる魔導師だった。  そして、ラチェルタ達三人娘にとってのお姉さん。  少し頼りないし危なっかしいが、いつでも優しい姉のような存在なのだった。 「ワーシャさんさあ……二つ名、決めた? その、達人級にも二種類あるじゃない?」 「ええ。わたしはニカ様と相談して、三属性の力をより強く得られるスキル……『天体音楽の奏者』という素敵なお名前を頂戴しました」 「へー、ニカが考えてくれたんだ」 「ええ」  ラチェルタは純粋に、羨ましいと思った。  距離感を測りかねてはいるが、ニカノールはワシリーサに対して優しい。誠実さを振り絞ろうと必死な時さえ見受けられる。そしてそれは、ワシリーサにとってもどかしくも嬉しいことなのだ。  そうした恋人の存在が羨ましい訳ではない。  相談すればアレコレ決めてくれる人間が羨ましいのだ。 「チェル様は剣士ですから、確か」 「チェインに特化した攻撃型か、俊敏性と機動性に特化した回避型だよ? ……どっちにしようか、迷っててさ」 「それでしたら、レヴィ様やマキ様に相談してみては」 「……もう相談したんだけどねー、それがまた、なんとゆーか」  大の親友マキシアは言った。  そりゃあお前、オレと一緒にチェインを極めようぜ! と。  同時に、お節介な幼馴染のレヴィールが言葉を挟んだ。  チェルの身体能力を活かすなら、身のこなしを高めるべきだわ! と。  どちらも一理ある。そして、二人はそれぞれ攻撃型と回避型を既に選び終えているのだ。故に、自分が選んだ道をラチェルタにも進めてくる。 「二人はいいよー、結構迷う余地がないもん」 「チェル様は、悩まれてるのですか?」 「んー、なんか……どっちが二人のために、仲間のためになるのかなーって思ってて」  ラチェルタは以前、第二階層『奇岩ノ山道』で強大な敵と戦った。魔獣ヒポグリフとの死闘は、今になって思い出しても身震いがする。  未熟で非力な自分を思い知った。  それでも尚、逸る気持ちが前へと……迷宮の先へと駆り立ててくる。  好奇心と探究心が、世界樹の謎へとラチェルタを誘うのだ。  もっと強く、もっと速く……より逞しく。  さらなる高みを目指しながら、先へ進みたい。  二人の幼馴染と、仲間達と一緒に。 「マキちゃんはさー、すっごいお母さんっ子だから……だから、悩まないんだー」 「ええと、マキ様のお母様は確か」 「うん。詳しくは知らないけど、とある世界樹を攻略して伝承の巨神をやっつけたんだって。凄かったらしいよー? ボクには、豪快で優しいただのおばさんに見えるけど」  みんな揃ってお風呂に入れてもらった時、マキシアの身体が母親の遺伝なのだと知った。だが、自分もそうだから気にならなかったし、レヴィールも問題にしなかった。  マキシアはああ見えて甘えん坊で、昔は内気で内向的な人見知りだった。  そんな彼女を豪放極まりない言動で育てたのが、彼女の母親である。  そういえば、マキシアの母はチェルの母に一時、師事していたらしい。つまり、師弟の中であり、チェルにとっては姉弟子でもある。その力は、極限の集中力を持って剣を手に取れば、乱れ飛ぶ無数の斬撃の、その全てへ追撃の刃を振るったという。 「レヴィもさ、お婆ちゃんが有名な聖騎士で……けっこー英才教育。んと、エクレア・マリアージュ? あれ、なんか違うな。んと」 「高貴なる義務、でしょうか。レヴィ様は貴族の一門にお生まれと聞きましたわ」 「そうそう、だから自分が一番頑張らなきゃ、一番の危険を引き受けなきゃ、って」  レヴィールの祖母の名は、このアルカディア大陸では無名に等しい。だが、ラチェルタが生まれ育った場所では既に神話レベルの叙事詩である。世界で初めて、世界樹の神秘に触れた者……そして、解き明かしたその謎を今も語ろうとしない。  多くの国が彼女を筆頭騎士として招聘したがった。  だが、あくまで故国ネの国の騎士としてその女性は半生を貫いたのだ。  見た目は老いを感じさせないが、今は引退していると聞く。 「ボクはどうしようかなあ……こういう時、パパとママがいてくれたらなー」 「ふふ、チェル様はお二人が……マキ様とレヴィ様がお好きなのですね」 「ん、そかな」 「ええ。きっと大好きなのですわ。でも、大好きな人のためにはまず、自分で自分のことを定めなければいけませんの。チェル様がお二人を想うように、お二人もチェル様を想っていますもの」 「……そかな? うん、そうかも。ちょっと難しく考え過ぎてたのかな……ボクはボクらしく、ボクなりに頑張ればいいんだよねっ」  ワシリーサが大きく頷く。  そして再度、ラチェルタは隣のテーブルを見た。  既にフリーデルは、半分船を漕いでいる。そして、レヴィールは口から霊魂が飛び出すのではと思えるくらいにやつれた無表情になっていた。  そして、ナフムとマキシアの熱い語らい、暑苦しい二つ名会議は終わらない。 「っしゃ、いい調子だぜ! マキ、次行くぜ、次っ!」 「おうっ! ナフムの兄貴、次はノァンだぜ」 「任せな……リサーチは完璧だ。ノァンからは、すっごーい格好いいのがいいです! って頼まれてんだよ。……盛るぜ? 盛り盛りに盛りまくってやんぜ」 「その意気だぜ! んじゃ、ま……そろそろ本気出しますか」  ますます盛り上がる二人の隣で、書紀をやらされている青年と少女が限界みたいだった。  だが、ラチェルタはワシリーサのお蔭で決心がついた。  自分がどう役立つか、ギルドにとってどれだけ得か……そんなことを考えても、それは詮無きことだったのだ。何故ならば、ラチェルタは幼馴染同様にまだまだ半人前だし、これから先も研鑽を怠らないつもりだ。であれば、まずはこれと信じた二つ名でやってみる。  何か間違えたら、やり方を変える……少し休んで、二つ名変更の手続きを取ればいいのだ。  そう思ったが吉日、すぐにワシリーサと相談してラチェルタは二つ名を決めた。  早くしないと、ナフムとマキシアが豪華絢爛な二つ名を付けてしまいそうだと思ったからだった。