ジェネッタの宿は、新たな冒険者達を迎えて混雑していた。  ネヴァモアの一員として、カズハルも忙しく働いている。ギルドマスターのニカノールも対応してくれているが、山都から新たに来た冒険者達は数が多い。  まずは、猟獣士のあづさ。老練なるベテランの狩人で、鷹や猟犬の扱いは勿論、弓の腕も一流だ。加えて年の功で知恵者でもあり、ニカノールのいい相談役になってくれそうである。勿論、体力の衰えも感じない。  新たなギルドメンバーの名簿を整理しながら、カズハルは食堂の隅で小さく呟く。 「次に、シバっと……あの娘は、まあ、シバは……将来性に期待かなあ」  自分のことを棚に上げての発言。  あづさを尊敬する新米の少女猟獣士、それがシバだ。山都からさらに奥まった田舎で生まれ育ったらしく、酷く言葉が訛っている。好奇心だけは旺盛で、今日だけでもう何度も都会のアイオリスに「あんれまー!」を連発していた。  やる気は十分だし、同世代が増えるのはカズハルも嬉しい。  嬉しいが……山都からの珍客達は、やはり奇妙な個性派揃いだった。  そんなことを考えていると、向かいに座る少年がニコリと微笑む。 「シバ殿でしたら、心配はないでしょう。よい目と耳、なにより強い鼻をもっておりますれば。それに、ささめ様も同年代の友人ができて喜んでいます」  彼の名は、ハヤタロウ。  前述のささめの従者、小姓のようなものだ。律儀で生真面目だが、マイペースなささめに振り回され気味だと、カズハルは心の中のメモ帳につけておく。 「そ、そうすか……まあ、確かに鼻が利きそうな娘だなあ、って。ええと、それと」 「ささめ様は素性を明かすことはまかりなりません。しかしながら……只者ではない旨、予め御了承を。そう、ささめ様はやんごとなき身分、それを話せば長くなりますが、今からさること二十年前、奥方様を見初めたお館様は――」 「それ、長い? とりあえず、問題はナシと……」  ささめは奇妙な少女だ。  男装した武芸者だが、とても世界樹を冒険する人間には見えない。常に独特な雰囲気を振りまき、穏やかで泰然として揺るがない。微笑めばほころぶ蕾、喋れば小鳥がさえずるよう。その口調ものんびりとしたもので、容姿端麗な美少女なのでとても可憐だ。  とても、山都で『斎原の天狗姫』と呼ばれた女傑とは思えない。 「それにしても……皆さん、そろって山都から、ですよね? どうしてイオンさんが?」 「ああ、あの男は親切にもこの街で一番のギルドを紹介してくれたのです。で、どこまで話したか……そうそう、あれは山都十二将家の中できな臭い空気が――」 「えと、それは今度ゆっくり聞くとして」 「ああ、そうでしたね。すみません……とりあえず、後ほどニカノール殿とコッペペ殿にもご挨拶をと、ささめ様も仰ってました」  とりあえず、ハヤタロウから事情を聞いて情報を纏めた。  新たな迷宮、第三階層『晦冥ノ墓所』の冒険が、もうすぐ本格的に始まる。  戦力増強はありがたいし、人手が増えるとクエストや採集、伐採や採掘が捗る。  だが、カズハルの中では二つの謎が湧き上がる。  それは黒い雲となって、互いにせめぎ合っている。  どちらが優先順位の高い謎で、どれくらいの謎なのか……彼はそのことを考えつつ、帳簿を纏めてハヤタロウを自由にしてやった。彼は、急いで主君であるささめの元へ飛んでゆく。  その背を見送り、ついつい溢れる一言。 「イオンさん、何を考えてるんだ? ネヴァモアにもトライマーチにも冒険者を紹介してくれて……派閥を作ろうってのかな? そこんとこ、さっぱり読めないんだよなあ」  新参者のイオンは、メイドのミサキと共によく働く。  この二人にカズハル、バノウニ、そしてアーケンを加えた五人は、細々としたクエストや素材収集をこなしている。  率直に言って、イオンは優秀で、アーケンに比べて腕も確かだ。  そして、カズハルだけが薄々気付いている。  彼は三味線を弾いている……ようするに、少し手を抜いているのだ。 「それもだけど、俺が優先するべきは――」  そう、自分がこのアイオリスに来た理由。そして、置いてきた過去。それが意外な形で眼の前に現れた。全く予想外の姿で。  そんなことを思い出していると、不意に後で声がした。 「カズハルくん、ですよね?」 「わっ!? あ、ああ……? ああ……そ、そうです」  突然のことで、椅子から転げ落ちそうになる。  振り向くとそこには、払暁の空にも似た髪を伸ばす、一人の少女が立っていた。  アースランで、奇妙な服を着ている。  そして、カズハルはその服のことを知っていた。 「はじめましてっ、わたしはあさひです! よろしくお願いしますねっ!」 「ああ……あの、例のガマの油を売ってた娘。え、えと、腕、大丈夫?」 「はいっ。刀傷には慣れてるので。それに、さっきガマの油を塗り直しましたから」 「……本当に大丈夫だろうか」  少女の名はあさひ。  山都から来た一団の、旅の道連れ……アースランが何故? セリアンの街である山都に? そのことについては、先程説明を受けた。山都の少し外れの集落へ、赤子の彼女を連れた母親がずっと厄介になっていたのだ。  彼女が上下揃いで着ている服も、母の形見らしい。  カズハルの視線に気付いて、あさひは、スカートを摘み上げる。  健康的な筋肉でむちっとした太腿が、付け根まで顕になりかけた。 「この服、変ですか? でも、カズハルくんも似たような服、着てますねっ」 「わーっ、それな、それ! 参ったな……あ、あのさ、あさひ」 「はいっ」 「君、エトリアの出身だったりする? その……シンジュクって、知ってる?」  エトリア、それは遥か東方にあると言われる世界樹の一つだ。  人は皆、彼の地を『始まりの世界樹』と呼んだ。この世で初めて、迷宮の存在が確認された世界樹。そして、初めて踏破した偉大な英雄を生んだ場所である。  そして、カズハルはそのエトリア地方の出身である。  正確には、エトリアの世界樹の、その迷宮最深部……遺都シンジュクと呼ばれる場所で生まれ育った。彼のような、外を知らず遺跡となった旧世紀の都市部の民を、エトリアではトミン族と呼んだ。  あさひの格好は、トミン族の少年少女が好む着衣、セーラー服そのものなのだった。  そのことを訪ねてみると、あさひはムムムと唸って腕組み考え出す。 「この服を残してくれたのは、お母さんです。お母さんは、ずーっと東の土地から旅して、セリアンの里に安住の地を見出したって言ってました」 「……じゃあ、もしかして」 「あっ! そういうことですね! つまり、カズハルくんも、その、ええと、トミン族? わたしのお母さんと一緒なんですね!」 「シーッ! 声が大きい、静かに!」  カズハルは唇に人差し指を立てて、笑顔にあさひに迫る。  だが、あさひは大きな目を瞬かせて微笑むだけだった。  そう、カズハルにとって自分がトミン族であることは、秘密なのだ。彼の詰め襟、学生服もまた、トミン族の若者が着る装束……ここまでの旅費で、着替えを買う余裕がなかったのだ。  実は、カズハルは……外の世界と冒険者に憧れ、遺都シンジュクを飛び出たのだ。  それはトミン族にとっては、タブーを犯すに等しい行為だった。 「あ、でも待てよ……あさひのお母さんがセリアンの里に来たってことは、俺以外にも」 「カズハルくん? あれ、どうかしましたか?」 「はは、は……なんでもないっ!」  どうやら、カズハルの素性はあさひには理解できていないようだ。  バレれば恐らく、街中の噂になる……トミン族は、今では失われた旧世紀の奇跡を使える、そんな無責任な話ばかりが残っているからだ。実際には、少しだけ機械と呼ばれる道具の扱いに長けているだけ……作ったり直したりは、本格的にはできない。  だが、それをもっと磨くためにも、カズハルは冒険者としてまだアイオリスにいたいのだった。