ベテラン猟獣士のあづさにとっての、新しい生活が始まった。  世界樹の街アイオリスでの、冒険者としての毎日だ。ネヴァモアとトライマーチ、二つのギルドが共同で進める迷宮探索に、老齢ながらも加わることとなったのだ。  無論、老齢ながらも生涯現役のつもりだ。  息子達も成人し、夫にも先立たれて尚……生きている以上は己を活かしたい。  それは、たとえ戦いと探索の中でなくとも同じだった。 「どれ、ちょいと仕上がりをみてみようかねえ……まずはノァン、ちょいとお見せ」 「はいですっ! アタシ、こーゆーのには自信があるです! マスターのためにシャツを縫ったです!」  ここはジェネッタの宿、その中庭だ。  日差しの暖かな昼下がりの午後、あづさは手すきの者達を集めて縫い物仕事に精を出していた。特に女子ばかりが参加している訳ではない。たまたま迷宮に赴くメンバーや、アイテム調達、評議会での各種手続きから漏れた者達である。  その中でも、一番元気だったのはノァンだ。  彼女はフンスフンスと鼻息も荒く、縫い上げたシャツを突き出してくる。 「おやおや、ノァンは正確な縫い目だねえ。しかも仕事も早い」 「はいです! アタシ、縫い物好きかもです! おばばさまに褒められるの、嬉しいのです!」  ニシシと笑うノァンの、あどけない表情が眩しい。  だが、あづさは精密機械が縫い止めたかのような布をまじまじと見て肩を竦める。 「だけどねえ、ノァン。こいつはいけないねえ……袖も襟も縫い付けちまったら、手も首も出られやしない。おまけに裾まで縫い止めてあるから、着ることもできないよ?」 「あっ……う、うう……縫い物、難しいかもです」 「ちゃんと考えてやり直してみるんだね。我武者羅に縫うんじゃない、頭を使うのさね」 「頭を使う、です! アタシ、もっかい頑張るです!」  ノァンは再び返されたシャツを、凄い勢いで紐解き始めた。  その横では、シバが四苦八苦しながら布地と格闘している。  だが、ふとあづさが見やれば……どこか心ここにあらずといった面持ちで、ワシリーサがぼんやりと手を止めていた。彼女は虚空を見詰めては、切なげに、小さく溜息を零す。  見かねてあづさは、そんな彼女に声をかけた。 「どうしたんだい? ワーシャ、さっきから手が止まってるねえ」 「あ、いえ……なんだか食堂の方が騒がしいなと思って」 「ふふ、それだけじゃないね? なにか気になることがあるなら言って御覧」 「……ごめんなさい、あづさ様」 「責めてやしないよ。ただ、もっと楽におしよ。ワーシャの心配も当然さね」  ワシリーサは、迷宮へと出向いた仲間が心配なのだ。  今日から本格的に、第三階層『晦冥ノ墓所』の探索が始まる。ワシリーサの婚約者のニカノールは、ギルドマスターとして率先して先頭に立つことを選んだ。彼は、事情を説明してくれたイオンと共に、今も世界樹の迷宮の奥である。  だが、ワシリーサの言葉を聞いてあづさは片眉を跳ね上げた。  この御嬢様は、ただただ未来の夫が心配なだけの世間知らずではなかったようだ。  勿論、世間知らずでないかといえば、そんなことはないのだが。 「あづさ様……イオン様には邪気が感じられません。ですが……嘘を言っていないのに、何かを隠しているような気がしてるのです」 「おやおや、面白いことを言うねえ……ルナリアの儀式か占いか、それとも勘かい?」 「わかりません……でも、案じてしまいます。イオン様は大事な仲間なのに、胸の奥がざわついて……不安ばかりが膨らんでいくんです」  あづさも似たような気持ちを抱いていた。  あづさ達セリアンのお上りさん一行を、イオンは二つの有名ギルドへと招いた。自分が新参者であるにもかかわらず、逸材だからと両ギルドの長を説き伏せたのである。  そこに、なんらかの意図を感じるのは自然なことだ。  だが、そこから先がわからない。  今はまだ、予感とか不安とか、そういうあいまいさでしかないのだ。  だが、なにかはわからぬなにかがある……それだけは確かだ。  あづさは優しくそっと、ワシリーサの手に手を添える。 「ワーシャや、心配なくてもいいさね。するだけ無駄だしねえ」 「無駄、でしょうか」 「そうさ。男ってものは、いつだって危険と隣り合わせの場所を好むのさ。それを格好いいと思ったり、女のためだと思ったりする。厄介な反面、かわいいもんさ」 「かわいい……でしょうか? い、いえっ! ニカ様は、いつも御立派で」 「うんうん、それくらいしおらしい方が可愛げがあるねえ。そうだ、一つ昔話をしてやろう。男勝りな上に文武両道、なにをやらせても男顔負けの娘が昔――」  あづさの昔話に、ノァンもシバも顔を寄せてきた、その時だった。  不意に、どったどったと騒がしさが近付いてきた。  それは、女将のジェネッタの悲鳴を他所に、中庭に乱入してくる。見るも逞しい長身は、しなやかな筋肉美で童のような笑顔を浮かべていた。 「おお、ばばさま! いやいや、こちらでしたか……ばばさま! 見てくだされ、雉です! 雉を迷宮で! 今夜はこれを皆で」  大きな大きな鳥を両手で胸に抱えた、それはまきりだった。  腰に太刀をはいて、具足をガチャガチャいわせながら近付いてくる。その瞳は、本当にまだ幼い少女のように、無邪気な光をたたえていた。  見慣れたその目に、やれやれとあづさも苦笑が浮かぶ。 「おやおや、まきり……丁度お前さんの話をしていたところだよ」 「おお! それはさぞかし胸のすく武勇伝か、はたまた冒険譚か……それより、ばばさま! この見事な雉を――」 「いいから落ち着きなさい、まきり。ちょいとそこにお座り」 「いや、それより雉……」 「お座りなさい、まきり」 「雉……」 「いいから、ほら」  まきりは、ケーン! と鳴く雉を抱き締めたまま、ワシリーサの隣に座った。  周囲のワシリーサやシバ、ノァンが驚くのが、あづさには手に取るようにわかった。  この女傑が、こんなにも人前で恐縮するのを見るのは初めてだろう。過剰に自信家で、なにをやらせても人並み以上にこなしてしまう才女……さる武家の一門、御巫家に生まれた末娘だが、その膂力と胆力、知性と教養は誰もが認めるところだった。  御巫家の屋敷に出入りしていたあづさは、まきりが小さな頃からよく知っていた。  とにかく元気で好奇心旺盛、そして才気に溢れた少女だった。 「これ、まきり。お前さんもいい歳なんだから、落ち着きがないのはいけないねえ」 「は、はあ……でも、ばばさま」 「セリアンの武家の女が、夕餉のおかず一つで騒いじゃいけない。それに、お前さんはギルドの一員として子供達の手本になり、男達の助けになり……まあ、老獪なことばかり言うのもなんだがね」 「は、はいっ! ばばさま、それはもう! ……わかって、いる、ので、すが」 「ほっほっほ、そうだねえ。お前さんは昔から賢い娘だった。どれ」  ひょいとあづさは、小さくなってしまったまきりから雉を取り上げる。  そして、クイと首を持つ手に力を込めた。  一瞬目を見開いた雉は、鳴くことも叶わずに事切れる。  皆が目を見張る中、あづさは腰の周囲を見渡し笑った。 「さ、縫い物は少し休もうかね。これから雉をさばくから見ておいで。そのあとでお茶にでもしよう。ええと、誰が手伝ってくれるかい?」 「は、はいっ! あの、わたし……やったことがないんですが、いいでしょうか」 「なに、誰でも最初は初心者さね」  意外にも手をあげたのはワシリーサだった。  彼女に水を汲ませてきて、あづさは誰にでもわかるようにゆっくりと、雉の生命を紐解いてゆく。それは今夜、あづさ達全員の糧となるのだ。  こうしていると、山都にいたころを思い出す。  そして、そんな昔の頃と全く同じく、まきりは弾ける笑顔で「流石です、ばばさま!」と繰り返すのだった。