世界樹の迷宮、第三階層……『晦冥ノ墓所』は古戦場。  遥かな太古の昔、伝説の暴王が起こした戦乱の痕跡がそこかしこに残る。濁った空気の中には、まだ当時の死者の無念と怨嗟が満ちているかのようだ。  屍術士であるニカノールには、特にそれが強く感じられた。  ここには、生きて迎える明日も未来も奪われた、そんな者達の残滓が滞留している。 「陰気なとこだけど、でも……僕達は今、歴史の上を歩いてるんだね」  ひとりごちて見渡す周囲は、朽ちた武具に躯、そして無数の魔物の骨が連なり迷宮を織りなしている。  かつて、世界樹が叶えるたった一つの望みを求めて、一人の男が起った。  瞬く間に屈強な軍を率い、諸国を併呑して……その男は世界樹を欲したのだ。  その時、荒れ果てた世に光を求めて、初めて四つの種族が互いに力を合わせ団結した。アルカディア大陸の中でも、特に種族間の交流が多いアイオリスの街は、その時世界樹を守る拠点だった場所の名残である。  かくして、暴王は倒され平和は取り戻された。  世界樹は全てを黙って見守り、男の野望と民の希望、その結果を身に招いた。数多の命が散った古戦場すら、己の抱く迷宮の中へ取り込んでしまったのである。あとは知っての通り、ルナリアの人形遣い達がゴーレムを使って世界樹を封印した。 「あっ、ニカニカ! 見てです、あそこです! あそこになにかあるです!」 「おい待てノァン! なにがあるかわからねぇ、焦るな……焦らず急げ!」 「……ナフム、君まではしゃいんでなんだい。って……おーい、知らないぞ? 走るなよ」  今日のパーティの仲間は、仲良しのノァンと、いつものナフムとフリーデルのコンビ。そして、ニカノールの隣に不敵な笑みで周囲を警戒するイオンの姿があった。  今日はイオンは、いつも一緒のメイドを連れていない。  メイドのミサキもリーパーとして、冒険者の登録を追えているのだ。  ニカノールはフリーデルに目配せして、猛ダッシュで去るノァンとナフムを任せる。  そして、改めてイオンに向き直った。 「さて、イオン」 「ん? どしたい、ニカ。新しい死霊を追加するなら言ってくれ。俺が召喚してお前が使う、それで探索もはかどるし戦闘もスムーズだ」 「そのことには感謝してるけどね。僕よりも君の方が、死霊の扱いになれてるみたいだ」 「蛇の道は蛇、ってね。フォスと違って、冠婚葬祭ばかりやってる訳じゃねえからよ、うちの会社は」  フォリスは個人で大きな街に住み、細々とした仕事を繋いで暮らしていた。屍術士といっても、死霊を使役して戦うだけではない。死に触れ、伝わることを生き残った者達へ伝えるのも大事な役割である。  他にも祭や祝いの席で、死者の御霊を望まれることがある。  なにより、亡くなった者達を弔う仕事は毎日なくならない。  人が生まれて死ぬ限り、こうして食いつなげば失業の心配だけはなかった。  そして、そういう屍術士達をある程度組織的に繋げて活かす事業が、イオンの本業である。だが、彼はまだなにかニカノールに隠し事をしているような気がした。  嘘はつかないし騙さない、なにより悪意はない……しかし、裏を感じる。 「そろそろ教えてほしいんだ、イオン。君が紹介してくれたセリアン達は、みんないい人だし協力的だ。すぐ打ち解けてしまったよ」 「だろ? 俺ぁ昔から、人を見る目だけはあんだよ」 「いつだって人材は不足してるからね。で、君はそうして普段も、屍術士を斡旋したり援助したりしてる。でも、こうまで僕に手厚く助力してくれるのは、何故かなって」  不意にイオンの目付きが鋭くなった。  彼は「ふむ」と唸って均整の取れた筋肉美で腕組みをする。 「そいつが利益になる、理にかなってるって話じゃ……駄目かい?」 「もう少し具体的に教えてほしいな。利を得るのは、僕だけ? ……みんなは君を信頼してるし、僕も信頼したい。けど、一応、えっと……ギルドマスターだから」 「へぇ……じゃあ、もし俺がお前等を騙して利用してんなら……そうする? ニカ」  迷わずニカノールは即答した。  その言葉に、イオンは拍子抜けしたように目を点にする。 「えっと、困る!」 「お、おう。それから?」 「ちょっと、悲しい」 「わ、わかった。そんで?」 「泣くかもしれない……」 「おいおい、待て待て! 待てって!」  ニカノールの素直な気持ちだ。  思わず慌ててしまったイオンに、背後から声がかけられる。  面白そうに笑う二人組の声は、以前からニカノールにとっても親しい者達だった。 「ハハッ! お前さんの負けだな、イオン! お前が裏切り者だったら、悲しいとよ」 「ニカってさー、そういう奴なんだよねえ。でも、私はそんなニカが好きだよ?」  現れたのは、ソロルとリリのコンビだ。アイオリスの街で一番の腕利き冒険者である。二人はイオンを挟んで並ぶと、改めてニカノールに挨拶してくれた。  敵意は感じないが、まさかイオンがこの二人と繋がっていたとは驚きである。  口を開いて説明を始めたのは、リリだった。 「あのね、ニカ……ごめん、私がイオンに頼んだんだ。古くからの盟約によって、イオンの家は代々ずっと私をサポートしてくれてるの」 「代々? えっ、リリ……君、幾つなんだい?」 「あ、それ聞いちゃう? もー、駄目だよ? ニカ、女の子に歳を聞くなんて。正確には、私の一族を代々、イオンの一族が助けてくれてるの。……なすべき使命のために」  それは、暴王の驚異が除かれた直後だった。  徐々に古戦場が迷宮に引き込まれ、その中へと埋没してゆく中で起こった事件である。尖塔が並ぶルナリアの都、シドニアでリリの一族は暮らしていた。そのファミリーネームを聞いたら、ニカノールも知る名門の出である。  リリの家には、第第伝わる屍術士の秘宝……伝説の指輪があった。  死せる者達を統べ、より強力な力で使役するための神器である。  それが盗まれ、世界樹の迷宮のどこかへ消えた。  リリの目的は指輪の捜索……ニカノールと同じ、探しものだったのだ。ニカノールが探しているのは、自分の命。想定外の秘術の励起で、突然不死者になった自分から飛び出た心臓である。 「ちっ、しゃーねえな……悪かったよ、ニカ」 「いや、そういうことならむしろよかったよ。ありがとう、イオン」 「調子狂うぜ、ったく。ま、リリはソロルが守ってくれるし、俺もバックアップしてる。そして、その目的……この第三階層の探索は、ニカ達と同じだ」 「じゃあ、協力できないかな? 僕もリリの力になりたいし……仲間は多い程、賑やかで楽しいよ」  あっけらかんと笑うニカノールに、苦笑するイオンも頷いた。  迷宮の奥が騒がしくなったのは、丁度話がまとまりかけた頃だった。 「見たか、ノァン!」 「見たです! この日だまりのとこで、骸骨のオバケが消えたで!」 「でな、ほら……またここまで踏み込むと、な? な?」 「うわあーん! ナフム、怖いです! またオバケ出たです! オバケ怖いです!」 「で、またここまで戻ると日だまりがあって、だ」 「あっ、また消えたです! 骸骨のオバケはおひさまが苦手かもです!」  どうやら迷宮の探索も、ゆっくりとだが進んでいるようだ。  不要な戦闘は避けたいので、迷宮にはびこる魔物の挙動には最新の注意が必要だ。同時に、強力な力で自分の縄張りを守る魔物、規則性をもって徘徊する類とはいつかは戦うことも必要だろう。  世界樹の魔物は常に、勝者に血肉と皮、骨などを残す。  それは強力な武具やアイテムを生み出す資材になるのだ。 「で、だ……ニカ、評議会から新たなミッションが出てんぜ? 一度戻れ。ここから先はオレ達が調べといてやるからよ。イオンもいいな? 引き続き二つのギルドとオレ達の連絡、頼むぜ」  ソロルがそう言って、リリを連れて奥へと向かう。  アルカディア評議会の代表、レムスのミッションが発布されたことは、アリアドネの糸で地上に戻ってから知ることになるのだった。