ニカノールは薄い胸に手を当て、どうにか呼吸を落ち着かせる。  その傍らでは、ギュムと袖をつまんでくるワシリーサが不安げに自分を見上げていた。彼女が今日は、珍しく迷宮探索をせがんだのだ。嫌な予感がする、仲間達の帰りが遅いと涙目で訴えてきたのである。  今は、彼女の直感に従ってよかったとニカノールは思う。  必死で戦っていた仲間と合流できたし、リリとも再会できた。  巨大な扉の前でへたり込むリリに、ソロルが駆け寄り屈み込む。 「リリッ! 大丈夫か? 突然いなくなるなよ……一人になるなよ!」 「ソロル……」 「なにがあったかは聞かねえさ。けどな、なにかがあってもオレがいる。そうだろ?」 「……うん。ありがと、ソロル」  周囲を警戒しながら、ニカノールは死霊を操り魔物達を退けてゆく。  大挙する古戦場の亡者達は、その大半がノァンの暴力的な拳に砕かれていた。まるで嵐のように、触れる全てを彼女は粉々にしてゆく。ひとしきり掃除が終わったところで、へらりとゆるい笑みを浮かべて彼女は振り返った。  死を超越した屍人形は、フンスフンスと鼻息も荒く駆け寄ってくる。 「ニカーッ! マスターも、ワーシャもスゥも! 見たですか? アタシの大活躍、見てたですか!」 「あ、ああ、うん。ノァン、お疲れ様。今、フォスとスゥが皆の手当をしてくれてる。それより」 「はいです! この扉……奥からヤベー気配がするです! きっと悪い奴なのです!」  周囲の空気は戦慄に凍り、魔物の恐怖でさえ去った今は恋しくなる。死せる亡霊の群の方が、まだ戦うだけの意味を感じさせてくれそうなのだ。  それほどまでに、扉の奥から発散される殺気と敵意は禍々しい。  こんなにも強い魔力を感じるのは、実家の父祖達、先祖達以来初めてだ。  ゴクリとニカノールが喉を鳴らすと、不意に声が響く。 『愚カナリ、定命ノ者達ヨ……人間如キガ、我ガ聖域ニ足ヲ踏ミ入レヨウトハ!』  不遜な暴君を感じさせる、傲慢な奢りに満ちた声だった。  そして、ソロルに手を借り立ち上がるリリが教えてくれる。 「みんな、ありがと……でも、でもね! ここから先は、駄目っ! 今すぐアイオリスに戻って!」 「おいおい、リリ。ネヴァモアもトライマーチも、折角来てくれたんだぜ? 勿論、オレだってお前のためなら」 「駄目なの……ソロル、貴女が好きだから。みんなが大好きだから、いけないのっ!」  泣きながらリリは語る。  以前にも少し聞いたが、彼女の一族は太古の昔から、奪われし秘宝を追っている。先祖代々受け継がれてきた、強い魔力を宿す神器だ。そして、暴王の大戦乱が終息しつつある時代……大きな戦いの影で、卑劣なる簒奪者は世界樹の迷宮へと逃げ込んだ。  ルナリアの人形遣い達が封印した、閉ざされし古戦場に死者の王国を築くために。 「私達はね、奪われた死者の指輪を取り返すために世代を重ねてきたの。おばあちゃんのおばあちゃん、その前のおばあちゃん……何百年も前から、ずっと」 「リリ、お前……」 「宿命、使命……そして、悲願。そんなことに、ソロル達を巻き込めないよ」  弱々しく立ち上がったリリは、大きな瞳からボロボロと涙を零す。  隣のワシリーサが「ニカ様」と目を潤ませるので、ニカノールは一歩踏み出した。リリへと向き合い、その頭にポンと手を乗せる。  驚きに見上げてくる泣き顔に、いつものゆるい表情を向けてニカノールは笑った。 「リリ、状況はわかったよ。でもね……やっぱり、友達や仲間を想ってくれるなら、同時に想われてやってくれないかなあ」 「想われ、て……? 私、が?」 「そう。みんな心配だし、力になりたいんだ。勿論、僕もね。リリなら、その優しさで親しさを迎えて受け入れることだってできる筈だよ?」 「……いい、のかな。甘えて、ないかな」 「厚意を素直に受け取るのもまた、厚意さ。それにね、リリ」  ニカノールは周囲の仲間達を見渡し、最後にソロルの頷きを拾う。  激戦続きで疲労困憊のナフムやフリーデルも、不敵に笑っていた。 「リリ、君が一族のために戦うというなら、それを支えるのが僕達の戦いだ。一緒ならきっと、恐ろしい強敵にだって勝てるさ。死んだらもともこもないんだ……これ、僕の経験則ね」  ノァンも元気にリリへと抱き付く。 「そうです、リリ! 死ぬは結構簡単ですが、生き戻るのは大変なのです。マスターやニカみたいに、うまくやる人は少ないです。死ぬはオススメできないのです!」 「ニカ……ノァンも」  そうこうしている間に、また魔物達が集まり出した。  ここは死者の迷宮、太古の咎人が生み出した死霊の国なのだ。無限に湧き出る悪意の怨霊が、絶えず王の敵へと殺到する。  だが、冒険者達は挫けない。  逆境だからこそ、困難を前に闘志を燃やす……闇の中でこそ輝くのが冒険者だ。 「うっし、おいシシス! そいつを貸しな。どれどれ、はは……本当にゼンマイでやんの」 「再起動、完了しました。おや、父様、母様、そしておじ様。どうかしたのですか? 随分とお疲れの様子で。あ、はいはい、わかりました、理解……さてはお楽しみでしたね?」 「……フリーデル、シシス……こいつ、殴っていいか」 「いたっ! おじ様、叩いてからその発言、いけずですぞ」  ナフムとポン子の妙な小芝居に、一同を笑いが包んだ。  そして、ナフムの隣にフリーデルも並び立つ。 「ここは俺達が引き受けた。扉の奥へ急げ、ニカ。リリを守って、大昔のコソ泥に目にもの見せてやるといい」  シシスやエランテも、ソロルと共に戦列に加わる。  満身創痍の彼等の背中が、今は不思議と頼もしい。 「頼むよ、みんな。じゃあ……行こうか、リリ。君が決着を望む限り、そのために立ち向かう限り……僕達は君を助けて支えるよ」 「そうです! 行きましょう、マスター! スゥはワーシャを守ってあげてほしいです。スゥはやればできるこなのです。みんなでリリのために、悪いやつをこらしめるです!」  そして、ニカノールは最後の間へと向かう。  同時に、重々しい音とともに左右に扉が開かれ、中から濃密な瘴気が吹き出した。  肉眼ではっきり見える程の、怨嗟と憎悪に満ちた魔素……それは冷たい闇となって、部屋の中に澱んでいる。踏み出し突っ切れば、ニカ達六人は天井の高い大広間に立っていた。  背後で閉まる扉の音は、不思議と遠い。  この場所自体が、魔力で縦横高さを歪められた空間のようだ。  これだけの術式を常時維持することからも、盗まれた秘宝の強さが伺える。 『死ヲ、授ケヨウゾ……我ガ名ハ不死ノ王、アンデッドキング! 天ト地ノ狭間、生者ト死者ヲ支配セシ王! 世界樹ノ中ヨリ、アマネク現世ノ全テヲ統ベルベシ!』  見上げる先、天井の空になにかが飛んでいた。  それは、死せる尖兵を透過する巨大な怪鳥だ。肌も肉もなく、骨だけの翼が羽撃き舞い降りる。そして、あっという間にその姿が色彩を帯びた。  神の光輪にも似た極彩色の翼を広げて、アンデッドキングが立ちはだかる。  その周囲には、弓や剣を持った骸骨の化物が一緒だ。  ニカノールは身の内から込み上げる恐怖に抗い、震える声を張り上げる。 「みんなっ、頑張ろう! 死なない程度に! 僕も、死に過ぎないようにやってみる!」  すぐさま、戦いが始まった。  冷たく燃える空気を沸騰させ、アンデッドキングが哄笑と共に襲い来る。  背にワシリーサをかばいつつ、ニカノールは死霊を操りフォリスと共有しつつ……躍り出る前衛の仲間達へと、援護の術を練り上げ解き放った。