第三階層『晦冥ノ墓所』での死闘から、一週間が起った。  だが、相変わらず上の階層への階段が見つからない。通常、各階層の最上階には手強い敵が待ち受けている。それはあたかも、世界樹の頂を守る門番のようだ。そして、苦戦の末に冒険者達は、障害を廃した先に階段を見つけてきた。  しかし、今回はアンデッドキングの背後に昇りの階段はなかった。  階段どころか、朽ちた骸と骨以外になにも存在しなかったのである。 「はぁ……そっち、どーよ? 傷は?」 「おかげさまでね。まだまだ痛むけど、泣けてくるほどじゃないさ」  今日も今日とて、ジェネッタの宿を出入りする冒険者達は忙しい。  だが、膠着状態が一週間も続いて、誰もが密かに苛立ちを募らせていた。それは、こうして食堂で燻っているナフムとフリーデルも一緒である。  怪我の治りは早いし、もう既に冒険にもでかけられる。  しかし、彼等の耳に入ってくるのは、代わり映えのない話ばかり。こうして昼からちびちび酒を飲んでは、カードに興じて休養するのも飽きてきた。  この場で一人を除いて、みんな飽き飽きしているのだ。 「おっ! へへ、オイラの上がりだなあ……四の六、七、で、四! ほら、チップをよこしな」 「むうう……流石コッペペ殿。いかん、拙者はやくもスッカラカンでござる」  コッペペが無駄にイキイキとした笑顔で皆からチップをせしめる。この男、全く働かないのに博打だけは強い。他にやることがないから、渋々ナフムはフリーデルと付き合っているのだ。コロスケは数合わせだが、今にしてみると気の毒なことをしたと思う。  そういえば、とコロスケは財布の中身を確認しつつ、思い出したように話題を変えた。 「ナフム殿。フレッド殿も、コッペペ殿も。先日の戦い……御助力くださった御婦人がいるとか。その方はどちらに?」  あー、とフリーデルが天井を仰いだ。  ナフムも確かに、はっきりと覚えている。  伝説の吸血姫、シャナリア……あの暴王の時代より生きる、闇の眷属。真紅の戦衣を纏うその姿は、アンデッドキングなどとは格が違ったように見えた。生まれながらの夜の住人、真祖と呼ばれる吸血鬼の中の吸血鬼。  そのシャナリアは、あのあと忽然と姿を消してしまった。  やはり伝説は伝説で、あれは夢だったのではとさえ思う。 「それがなあ、コロスケ。突然現れて、また忽然といなくなっちまった」 「なんと……それはまた奇っ怪な」 「まあ、正直助かったけどな。礼ぐらい言いたかったけどよ」  コッペペがまたカードを配り始めるので、やれやれと一応手札だけは見てみる。  パッとしない札揃いで、けだるげな午後にはぴったりだ。  明日あたりは自分も調査に出るとして、果たして街中の冒険者が見つけられなかったものを、ナフムは仲間達と見つけられるかどうか……だが、そう考えると逆にワクワクしてもくる。  障害が強く大きい程、ナフムの気持ちは昂ぶる。  相棒のフリーデルが、困難を前に知恵が回るのと一緒だ。 「さーて、と! しゃーねぇ、コッペペの旦那。もう少し付き合ってやるぜ!」 「そりゃ嬉しいねえ。ところで、ナフム……お前さん。さっきの話の」 「ああ、シャナリアか? 狐に化かされた気分だが、考えてもしゃあねえ。今度会ったら酒の一杯でもおごるさ。とびきり高くて美味い、勝利の美酒ってやつをな」  それはもう、浴びるくらい飲ませてもいい。  あの時の助太刀には、値千金の価値があった。  それを知ってか知らずか、不意にコッぺぺはカードを放り出す。 「だ、そうだ……そこのねえちゃん、おごってもらいな? オイラが証人さ、へへへ」  突然なにをと思った、その瞬間だった。  不意に背後に、今までなかった気配が立っていた。  そう、突然その場に出現したのだ。  慌てて振り返って立ち上がると……午後の日差しの中に妙齢の美女が立っていた。 「御機嫌よう、冒険者。いっとくけど、私の選ぶ酒は高いわよ?」  そこには、シャナリアが立っていた。  神出鬼没もここまでくると、感心することを忘れ呆れてしまう。  呆気に取られるナフムは、言葉を失ってしまった。  だが、隣のフリーデルは妙に納得したように頷く。 「ナフム、どうやら彼女はさっきから……いや、一週間前からずっといたようだよ。君の影の中にね。……しかし、太陽の光を浴びても平気とは、恐ろしい魔力だ」 「太陽とは仲違いしてるだけですもの。でも、どうしてわかったのかしら」 「以前、なにかの文献で読んだことがあってね。吸血鬼は全身を蝙蝠に変えたり、人の影の中に潜ったりできると。でも、何故? どうして、一週間もそんなことを」  ふむ、と唸ってシャナリアはテーブルの上に腰掛ける。  彼女は妖しい色香を視線に乗せて、そっとナフムが伏せたカードを指でなぞった。  そして、そのまま静かに話し出す。 「さっきの話だけど、お礼を言うのは私の方よ? あの男を、ずっと探してた……シドニアの魔導師達から奪った、死者の指輪と一緒にね」  聞けば、時には人間の弟子をとってはみるものの、基本的にシャナリアは悠々自適の生活だそうだ。永遠の命があるということは、終わらぬ余生のようなものだと苦笑する。  そんな彼女が、あの暴王の起こした古の大戦の、その負の遺産を回収しようとしていた。  それは、シャナリアなりに馬鹿弟子の尻拭いをしたのだとナフムは思った。 「後の歴史に暴王と記録された男は、仲間にも恵まれていた。でも、その中に獅子身中の虫……姑息で狡猾な人間がいたのね。そいつは終戦のドサクサの中、ルナリアの秘宝を奪って消えた」 「なるほど、そいつが例のアンデッドキングか」 「そう。私は改めて、四つの種族の絆を見せてもらったわ……割とちゃんとしてるじゃないの、ふふ」 「そりゃどーも。それで? おごれってんならなんでもおごるけどよ」 「勿論、御相伴に預かるわ。その勝負が終わったら呼んで頂戴。私はコシチェイ家の御曹司に会ってくるわ。彼の祖先とは昔、何度か会ったことがあるし」  それだけ言うと、シャナリアは行ってしまった。  人を食った女だと思ったが、ナフムの視線に彼女は一度だけ振り返る。 「そうそう、私も今日から冒険者として一緒に世界樹に登るわ。今回の件で、大いなる目的を得たので……その達成を試みようと思うの」 「そりゃまた……世界樹の頂か? あらゆる願いが叶うという」 「願いはないわ、祈ったこともない。けど……友達、友人というものを作ってみようと思うの。貴方達のことはわりと気に入ったしね」  それだけ言って、シャナリアは行ってしまった。  完全無欠の吸血姫が、友達? 友情を彼女は確かに、大いなる目的と言った。その妙なミスマッチに、ナフムはフリーデルと顔を見合わせるばかりである。  だが、コッペペは不意に真面目な表情でカードを取り直す。  彼はドサクサに紛れて手札を総入れ替えしつつ、呟いた。 「永遠であること、そりゃ裏を返せばなにもないってことさ。始まりと終わりがあって初めて、あらゆるものに価値がつくのヨ。……よし! ほらほらナフム、フリーデルも。賭けなさいよ、ドドーンと。コロスケも、なあ? 楽しくやろうじゃないの、ニシシシ」  呆れたペテン師だが、そういうものかとナフムは想像力を巡らせてみた。  永遠の孤独を生きるとしたら、その中の一瞬、僅かな時間でも友が欲しい。その友にとっては一生涯の付き合いになろうとも、シャナリアには刹那の瞬間にも満たぬ時間なのだ。  そう思って、テーブルからカードを拾い上げる。 「なあ、コッペペさんよお……休暇は終わりだ、早速今から世界樹に行こうと思うんだが」 「おっ、そうかい? 頑張るねえ。ま、気をつけて行きな。丁度よ、大市のセリクんとこにいい銃が何丁かあった。持ってきな、さい、よっ、ね! ほら、どうよこれ!」  自慢の役を披露して、コッペペがニコニコとカードを広げる。  ナフムもとりあえず、さっきシャナリアが指で触れていたカードをテーブルに投げ出した。どういう魔法かは知らないが、手札はありえない並びに全て入れ替わっており……哀れコッペペは、その日に巻き上げた全財産を失うことになった。  こうして再び、ネヴァモアとトライマーチの両ギルドは、本格的な階段探しの調査を開始するのだった。