マキシア達は今、窮地に立たされていた。  第四階層『虹霓ノ晶洞』で、袋小路に閉じ込められたのだ。僅か数メートル手前まで、巨大な蟲が迫っている。ぬらぬらと光る巨体は、通路を塞ぐ大きさのワームだ。  音に敏感な魔物、残響に集う蟲である。  眼の前に道はあるが塞がっていて、こじ開けるべくピッケルを振るうと……その音で魔物は迫ってくるだろう。 「やべぇな、こりゃ。どうする? チェル」  いつもの調子で、相棒のラチェルタに呼びかける。  その声が震えて、少しだけ上ずる。  絶体絶命とはこのことで、普段から威勢のいいマキシアは完全に萎縮していた。自分でも怯えたように小さな声が出て、恐怖に負け始めた己を自覚する。  だが、ラチェルタはあっけらかんといつもの笑顔を浮かべた。 「とりあえず、助けを呼んでみようよ。でね、通路の向こう側、この魔物のお尻の方で音を出してもらうの。そうすれば、来た道を戻ってくと思うな」  そう言って、ラチェルタは大きく息を吸い込んだ。  助けを求める声が叫ばれそうになって、慌ててレヴィールが両手で彼女の口を塞ぐ。 「駄目よ、チェル! 大きな音を出しちゃ駄目!」 「ふが、ふががが」 「そんなこと言っても駄目よ。極力静かにして、対策を考え直しま、ふがっ!?」 「ふがんが、ふがふが」  今度は逆に、ラチェルタがレヴィールの口を塞いだ。  二人は互いに言葉を閉ざし合いながら、ふがががと会話を続ける。よく通じるものだと思ったが、マキシアもだいたい二人の言っていることがわかる。  わかってしまうくらいには、二人との付き合いは長く、親密さは言葉にできない。  しかし、その三人が仲間ごと、そろって絶体絶命なのは笑えなかった。 「ぷあっ、ふう……レヴィ、じゃあどうしよ」 「そうね……コッペペさん、なにかいい手はありませんか? チコリもマキも、みんなで考えましょう」  現状、あと一度でも大きな音を立てれば、マキシア達は水晶岩と魔物にサンドイッチにされる。想像しただけで身震いするバッドエンドだ。  逆に、物音に気をつければ今すぐにという訳ではない。  だが、閉じ込められたままではゆっくりと殺されているようなものだ。  なんとかこの巨大なワームを廃して、前方への通路をこじ開けなければならない。 「とりあえずね、レヴィ」 「ん? なにか案があるのかしら、チェル」 「それを考えるためにも、はい! レヴィにはオレンジ味。チコリはねー、レモンでしょ。コッペペにはメロンでしょ」  突然、ラチェルタは飴玉を配り始めた。  小さくカラコロと鳴る缶の、その音には魔物は反応しないらしい。 「はいっ、マキちゃんの大好きなハッカだよ」 「お、おう」 「んとね、頭を考えることに使うと、甘いものが欲しくなるんだって」  ニッカリと笑って、ラチェルタは自分の口にもパイン味を放り込んだ。そうして缶の蓋を閉めると、それを大事そうにポーチにしまう。  甘やかな清涼感を頬張りながら、マキシアも気持ちが少し落ち着くのを感じた。  そして、それはレヴィール達この場の仲間も同じようである。  一番最初に発言したのは、チコリだった。 「とりあえず、こうしていても時間ばかり流れます。いっそ、戦ってみますか? この魔物……残響に集う蟲と」  今ならまだ、マキシア達に体力の余裕もある。  だが、時間と共に疲労は蓄積し、空腹も紛らわせることが難しくなるだろう。  その上で解決策が見つからなければ、どのみち戦うしかない。だったら、まだ元気なうちにこちらから戦いを挑もうという話である。  しかし、そのことにすぐ異論の声があがった。  飴玉を舐めながら、口元を上品に手で隠しつつレヴィールが否定する。 「勝算の薄い戦いは、自分から選ぶべきじゃないわ。それに、劣勢になった時に逃げ場がないもの」 「それはそうです、ね……でも、こうしている間にも時間は過ぎてきますし」 「誰かが向こう側に来てくれれば」 「でも、向こうに届く声を出したら、その瞬間」 「そうね、そうだったわ。それに、魔物が塞いでる通路にわざわざ来る冒険者なんていないもの。……手詰まり? いいえ、でも」  マキシアもない知恵を振り絞って考えた。  逆境の中、緩やかに絞め殺されてゆくようだ。じわじわと、目に見える遠くの死が近付いてくる。それなのに、逃げることも戦うことも難しい。  思わず現実逃避の言葉を発したのは、チコリだった。 「はぁ、こういう時は絵草紙みたいにヒーローが来てくれればいいのに」  同感だ。  マキシアもよく絵草紙は読むし、ラチェルタやチコリ、ささめといった歳の近い者同士で融通している。  物語には、どんなときでも助けてくれる正義の味方が登場する。  だが、現実ではなかなかそういう機会は訪れない。  冒険者ならば、ヒーローの助けが必要な状況を作らないこと、それが一番だから。  そして、マキシアは思い出す……彼女にはもう、無敵のヒーローがいる。この場に一緒にいてくれる。その存在が、自分を悲劇のお姫様な日常からいつも救ってくれたのだ。 「ん? どしたの、マキちゃん。あ、もっと飴食べる?」 「ちっ、ちげーよ。別に……ただ、ヒーローかあ、ってな」  幼い頃からずっと、ラチェルタは親友で相棒で、そしてマキシアにとってのヒーローだった。母と同じく、両性具有の身体で生まれたマキシア。子供の頃はよく、周囲の子供にからかわれ、時にはいじめられた。  そんな時、いつもラチェルタが助けてくれた。  彼女もまた、複雑な生い立ち故に人間とは少し違う。  だが、二人は少し違うだけの人間でいられた……互いに友達になれたから。 「マキちゃん、ふふふ……ヒーローはね、ヒーローはですね! ボク、知ってるよ……ヒーローは、待ってても駄目なの。ヒーローを待つ前に、ボク達にもできることがきっとあるよ」 「チェル、お前……」 「とりあえずね、どうにかしてこの蟲さんの後ろで音を立てれば」  その時だった。  不意に耳をつんざく、それは銃声。  否、砲声とでも言うべき轟音だった。  当然のように、その音のする方へと蟲が動く。  連続して響く射撃の音は、マキシア達から見て蟲の向こうから響き渡った。同時に、凛とした聞き覚えのある声が鼓膜を撫でる。 「あらあら、どうにも笑えない状況じゃないかしら? ……これに懲りて、探索は慎重に進むのね。そう何度も助けてはやれないのだから」  おぞましい声を張り上げ、残響に集う蟲が身を揺らす。  だが、来た道を突進で遡った巨体は、突然膨らんだ後に停止してしまった。すぐにマキシアは、向こうに現れた冒険者が攻撃したのだと知る。その一撃は、内側から蟲を灼いて膨らませた。次の瞬間には、空気が抜けたように死骸がしぼんでゆく。  鎧袖一触、鮮やかな手並みで魔物を片付けたのは……黄金の鎧に身を包む竜騎兵、エクレールだった。