ラチェルタは驚愕に目を見張った。  眼の前に迫る巨大な蟲を、強力な一撃が穿ち貫いたのだ。第四階層『虹霓ノ晶洞』を徘徊する危険な脅威、残響に集う蟲が一瞬で駆逐されてしまった。  尾から頭までを貫いた砲撃は、大きな大きな風穴を敵へとこじ開けた。  その向こうに皆が、金色の鎧を纏った麗人を見たのである。 「あれは……エクレールさんだ。また、助けてくれたんだ」  そう、ラチェルタ達はまた助けられた。  謎の竜騎兵、エクレールに。  眼帯で人相を隠した美女は、フフンと鼻を鳴らすと銃口に吐息を吹きかける。銃というよりはまるで、携行サイズに圧縮した大砲だ。硝煙をくゆらすそれをクルクルと回して、彼女はそれを大きな盾の裏へとしまう。 「怪我はないかしら? それにしても、迂闊じゃなくて? そこの娘が教えてくれなければ」  余裕の笑みでエクレールは、背後を振り返った。  ラチェルタも、しぼんでゆく魔物の死骸を乗り越え彼女に駆け寄る。マキシアがそれに続いたが、レヴィールは呆然と立ち尽くしたままだ。  そして、チコリは動転してしまって、薬草をモギュモギュと食んでいる。  だが、ラチェルタの横を疾風が通り抜けた。 「お美しい御婦人、危ないところを助かったぜ……へへ、オイラはコッペペってんだ。この御礼は今夜必ずベッドで。さ、出会いを愛に変えようぜ」  重い防具が嘘のように、コッペペはエクレールの前に跪いた。うやうやしく彼女の手を取り、唇を寄せる。  だが、その時ラチェルタは見た。  謎の美女、圧倒的な強さを誇るエクレールの……初めて見せる、普通の表情。  エクレールは、おおよそ美人がしてはいけない顔で眉根を寄せる。 「はああ? ちょっとコッペペ、やめて頂戴! 私、これでも人妻でしてよ? それに、お互い火遊びって歳でもないし、こう見えても私は身持ちが固いの!」 「およ? へへ、そうかい……そいつは腕がなるぜ。ますます欲しくなった」 「ッ! もぉ、ふざけるのはおよしなさいな! ……って、なんか様子が変ね」  もしや二人は、顔見知り?  だが、様子が変だ。  いつになくエクレールは混乱を見せているし、クールでクレバーな氷の美貌も台無しである。だが、どこにでもいる妙齢の御婦人になってしまった彼女に、ラチェルタは見覚えがあるような気がした。  今もエクレールは、眼帯に無数の瞳を浮かべながら、自分の片目と一緒にコッペペを見詰める。  その時、フォローの声が平坦に響いた。  何故か冷たく透き通って、触れれば切れるように尖って聴こえた。 「……コッペペさんは、記憶喪失なんです」  レヴィールだ。  俯いていた彼女は、キッ! と視線も鋭くエクレールを見詰めた。 「助けてくださってありがとうございました、エクレール様……いいえ、デフィールおばあちゃま!」  ラチェルタは耳を疑った。  そして、改めてエクレールを見る。  口笛を吹きつつ視線を逸らすなどという、クラシカルな露骨さでエクレールはしらばっくれていた。だが、眼帯の複眼が全てタジタジと潤んでいる。  デフィール……それはラチェルタ達にとって、特別な名。  世界樹での冒険を生業とする者達にとって、偉大な先駆者の名だ。 「お、おばあちゃま? わっ、わわわ、私ってばそんな歳じゃなくてよオホホホホ」 「しらばっくれても駄目です、おばあちゃま! その若さは、見た目の倍の歳でも若々しいのは、昔の大冒険でアレコレあったからです。何度もそのお話、聞きました!」 「グッ! ……うう、レヴィール……と、歳の話は、よすのよ……」 「前から薄々感じてましたが、コッペペさんとのやり取りではっきりしました。貴女は私の祖母、エトリアの聖騎士デフィール・オンディーヌですね!」  ――エトリアの聖騎士。  世界に七本あるといわれる世界樹を、最初に制した偉大な冒険者の名前である。それはすでに五十年も昔の話で、その時から彼女は英雄になった。  ラチェルタの生まれ育った大陸では、知らぬ人などいない程である。  この世で一番叙事詩に歌われ、吟遊詩人が語り継ぐ生きた伝説。  だが、妙な汗をかきながら後ずさる女性は、どこにでもいる妙齢の主婦みたいな気安さを解放していた。張り詰めた緊張感、凛とした高貴なたたずまいは霧散してしまった。 「おおっ、そういえば……確かにデフィールの姐御じゃねえか! な、チェル!」 「う、うん……えっと、んー……あ! こ、こんにちはっ、デフィールおばあちゃん!」  レヴィールの祖母デフィールは、ラチェルタとマキシアにとっても特別な存在である。時々やってきては、珍しいお土産と冒険譚を与えてくれる。剣も勉強も見てくれたし、両親の敬愛と尊敬の眼差しをよく覚えている。  今、いつもの厳しくて優しいデフィールが目の前にいた。  そして、レヴィールは珍しくプゥ! と頬を膨らませている。 「なにしてるんですか、おばあちゃま! もしかして、ずっと」 「ち、ちちっ、違うのよレヴィ。これは、そう、その……私ももっと冒険したいなー! なんて……アハハ、ハハ」」 「嘘ですよね」 「……ハイ」  しおらしくなってしまったところで、背後のチコリがようやく現実に戻ってきてくれた。  口を薬草でモグ付かせながら、彼女も話の輪に加わる。  だが、やっと平常心を身に招いたチコリは、再びポーチから大量の香草を取り出した。 「はわわっ! な、ななな、なんか、今っ! ディフィレールさんの鎧が! 眼帯が!」  混ぜるな危険、しかし動転したチコリはアレコレ薬草を取り出し慌てる。なんだかちょっと見ないような植物を出して、それで顔を覆って深呼吸し始めた。  スーハー、スーハー、なんだかまた落ち着けたようだが、僅かに身が震えている。  そして、チコリの混乱の正体が喋り出した。  そう、この場にいない筈の声……いてはならない男の言葉が響き渡る。 「チェルウウウウウッ! ああ、元気そうだねよかった、ずっと見守ってたけどハラハラしてもう本当に、ウン実は悪いなとは思ったんだけどアルマナも僕が一緒の方が安心すると思って!」  いっきにまくしたてながら、突然デフィールの鎧が弾け飛んだ。眼帯もだ。下着姿になってしまった主を離れ、黄金の鎧は空中で一人の男へと凝縮されてゆく。  錬金学の秘術が生んだ、完全無欠の生命体……その名はクラックス・ファルシネリ。そう、ファルシネリ……ラチェルタ・ファルシネリの父親である。  ガッシーン! とラチェルタは、懐かしいぬくもりに抱き締められた。 「パッ、パパ!? あれー、えっと」 「うんうん、ゴメンね。チェルのことは信じてたけど、その……ほんとゴメン。僕、まだまだ子離れできてないんだね。でも、本当に頑張ってる、成長したね」  優しくて強くて、でも変に弱気で面倒くさい父。ラチェルタの大好きな父のクラックスだ。いろいろ聞きたいことはあったが、ラチェルタは嬉しくて抱き返し、そのまま二人でぐるぐる回ってしまう。  だが、クラックスもまた、半裸で己を抱くデフィールと同じことを言い出す。 「そこの彼女が、チェル達の危機を教えてくれたんだ。間に合ってよかった……あれ? えっと……デフィール、あの娘は? さっきまで一緒にいたよね?」  デフィールとクラックス、二人はお互いに頷き合い、首を捻る。  二人を読んでくれた謎の少女がいたらしいが……その気配はどこにもない。水晶の迷宮はただ、まるで幻影を映したとでも言わんばかりに透き通って、冒険者達を煙に巻くのだった。