再び、世界樹の迷宮を進む探索が再開された。  ネヴァモアとトライマーチ、二つのギルドに平和が戻ったのだ。それがコッペペには、なによりも嬉しい。  過去は忘れて記憶がない。  それでも、未来へ繋がる今が笑顔に満ちている。  だから、いい。  とてもいい。  目の前の光景に不思議な寂しさを感じても、笑っていられる気がした。 「やたっ! 大勝利なのです! ニカニカ、ニカッ! 今のアタシ、見てましたか?」 「うん、凄いね、っとっとっと。もう、体調万全の大復活だね、ノァン!」 「はいです! 今日からまた、みんなと一緒に世界樹を登るです!」  巨大な猛犬の魔物を倒して、ノァンは嬉しさのあまりニカノールに抱き着いていた。手強い敵だったが、どうやらノァンの体調も万全のようだ。むしろコッペペには、以前よりも無駄な力が抜けたように見える。  彼女に宿っていた、無念の魂は全て天へと還った。  ノァンは今、ただのノァン自身になったのだ。  そして、ノァンをぶら下げたままのニカノールも穏やかに笑みを零す。 「どうやら、今の魔物は僕達のあとをついてくるみたいだ。さっきの紫水晶は、特定のパターンで冒険者も魔物も別の場所に転送する仕組みだね」 「うっ、ニカが難しいこと言ったです。アタシは今、よくわからないということがわかったのです」 「大丈夫だよ、ノァン。とりあえず一匹仕留めてみてわかったけど、かなり手強い敵みたいだ。今後はなるべく、戦闘を避けよう」 「はいです!」  元気の塊みたいなノァンを、気付けば優しい視線が撫でていた。  スーリャとワシリーサだ。  この二人は、自分の恋人と恋人がじゃれあってても、不思議と気色ばむ様子がない。なにも思わない訳ではないだろうが、コッペペには二人の心に満ちる想いがよくわかる気がした。  ニカノールとノァン、二人は生きた人間ではない。  死して尚も死なない死に損ない、そして男女をツギハギした死体人形だ。  世界にふたりぼっちでもあるから、仲良くなるのも当然だ。そして、無意識のスキンシップは親密だが、それが男女の恋愛感情でないことをもう知っているのだ。  笑顔を咲かせるワシリーサに、自然とスーリャも僅かに無表情をほころばせる。 「はは、呑気なもんだ……おぢさんは、ちと寂しいけどよぉ」 「コッペペ様? 今、なにかおっしゃいましたか?」 「いやいや、いいんだよワーシャちゃん。仲良きことは美しきかな、ってな」  不思議そうにワシリーサは小首を傾げたが、コッペペは笑って先へと進み出す。  今日のこのパーティ、微妙に肩身が狭い。  冒険者の迷宮探索は、常に五人編成が最良とされてきた。これより多くなれば、評議会と冒険者ギルドの取り決めを破ることになる。少なければ、その分だけ冒険のリスクは飛躍的に高まるのだ。  だが、今日は五人というよりは……コッペペとカップルが二組というのが正しい。 「さて、進もうかね。ニカ、ちょいと地図を見せてくれ」 「あ、はい。このフロアもだいぶ進みましたけど、やはり転移装置が曲者ですよね」 「だな。……ほうほう、例の紫水晶に番号を振ってんのか。いいねえ、ニカ……おじさん、賢い子は好きだぜ? 賢くてかわいい女の子なら最高なんだが」 「はは、同感です」  笑ってニカノールは、ワシリーサを振り向いた。  二人の視線が一本の線に収斂され、行き交う温度が不思議とこそばゆい。  初々しい二人を見ると、当てられっぱなしだが悪い気はしないコッペペだった。  一方で、ノァンは遠慮なくスーリャにべったりだ。  闇の中で殺ししかしらなかった少女も今は、不器用な感情を少しずつ出せるようになっていた。 「ふむ、なるほど……紫水晶は、触る方角によって飛ぶ場所が決まるのかい」 「そういう法則性を感じました。あと、転移は必ず直線移動ですね」 「確かに。ってことは、試してない紫水晶は……ここと、ここだな」  第四階層『虹霓ノ晶洞』の探索も、既に後半戦に突入したと言っていいだろう。ただ、気になることが一つある。  そしてそれは、突然いつものようにコッペペ達を襲った。 「あっ、また……地震だ、みんな気をつけて!」  ニカノールの叫びと同時に、大地が鳴動する。  以前から続く小刻みな地震は、最近は頻度があがったような気がする。コッペペには、その回数もそうだが、強さが増したように感じられた。  まるでそう、震源へと近付いているかのような不気味さがある。  崩落が起こるほどの激震ではないが、不安は募るばかりだ。 「あれ、どしたですか? スゥ、ただの地震です! 心配ないです!」 「う、うん……でも……地面が、揺れるのは、駄目だ」  珍しくしおらしいことを言って、スーリャは地震に合わせるように震えていた。コッペペもこのアルカディア大陸に来てから、地震という自然現象を久々に味わった。この土地は恐らく、地盤が安定して地震の少ない地域なのだろう。  だから、スーリャが過敏に怖がるのも無理はない。  すぐにノァンが、彼女の右手を握った。  ワシリーサも、もう片方の手を握ってやる。 「大丈夫ですわ、スゥ様。ほら、揺れが小さくなっていきます」 「スゥ、震えてるです。大丈夫なのです、アタシがついてるのです!」  おーおー、ほほえましいねえ……などとコッペペは頬を崩した。  だが、すぐに表情が引き締まる。  彼が察した異変に、すぐに気付いたのはニカノールだった。 「あっ、あれ! あそこに人影が……たった一人で。えっ? 女の子!?」  そう、地震に気を取られていた僅かな隙の出来事だった。  突然、通路の向こうに小さな少女が現れた。ローブ姿でケープを被って、小さく歌を口ずさんでいる。その声色は、まるで楽器が歌うような響きだ。  間違いなく、年頃の少女の声だった。 「おやあ? さては例の噂の……っ!?」  瞬間、コッペペの脳裏を無数の記憶がフラッシュバックした。忘れた筈の過去が、なにかを訴えかけてくる。  なにが思い出せたのか、それすら忘れているような不思議な感覚。  ただ、これだけは漠然とだが感じた……これは全て、世界樹の記憶だ。 『我らはモリビト、茂る森の守り手だ』 『全能なるヌゥフへ挑む土の民よ……翼人の長クアナーンが試練、受けてみよ!』 『……これは、テントというものです。アタシは冒険者達をお手伝いしてるんです』 『おや、コッペペ……あの人を、ポラーレを見なかっただろうか。ウロビトとイクサビト、双方の代表者が先程――』  名も忘れた、顔のない者達が通り過ぎた。  そして、コッペペが我に返ると同時に、少女の歌が止まる。  フードの下から真っ直ぐこちらを見詰めて、彼女は静かに言の葉を紡いだ。 「汝ら、人の子よ……可能性の信徒よ。待っていた……ずっと、汝らを待っていた。この先に、真実を塞ぐ巨大な魔物が待ち受けている。汝らなら倒せるだろう……恐るべき水晶竜を」  それだけ言うと、まるで霞のように少女は消えてしまった。  振り返るニカノールの顔が、無言で驚きを伝えてくる。そういえば、冒険者の間で不思議な少女の噂があったのを、コッペペは今になって思い出した。  そして、同時に知ることになる……水晶の森の最奥に、恐るべき強敵が待ち受けているということを。