吼え荒ぶ威容は、水晶竜。  その名の通り、全身をクリスタルで覆った巨大なドラゴンだ。その眼前へと辿り着いた冒険者たちは、各々に武器を身構える。  五人のちっぽけな人間を睥睨して、水晶竜はゆっくりと一歩を踏み出した。  巨大な前腕部が大地を揺るがし、天井から竜水晶が粉雪のように舞い散る。 「ニカッ、アタシ行くです!」 「オッケー、ノァン! 背中は任せて!」  ニカノールはノァンの声に答えると同時に、死霊を呼び出す。以前にも増して、鋭敏な感覚で魔力を注いでゆく。長い冒険の日々が、ニカノールに眠っていた才能を開花させた。  コシチェイ家の男児として、生まれながらに魔力の素養はあったのだ。  ただ、それを完璧にコントロールできなかったのだ……だから、術の失敗で半端な不死者になったし、冒険を始めた当初は死霊の使役すらままならなかった。  だが、今は違う。  頼れる友が補ってくれるし、守りたい人が支えてくれる。 「よぉ、ニカよう。なんだか楽しそうじゃないの、ええ? いっぱしの冒険者って感じだねえ」  気付けば、隣でコッペペが笑っていた。  多分、自分も同じ顔をしている……すぐにニカノールはそう察した。  目の前の水晶竜が、死ぬほど恐ろしい。  今も震えは止まらず、歯がガタガタと鳴り出しそうだ。  それなのに、高ぶる血潮もまた同時に、身体を熱くしている。  今この瞬間、間違いなくニカノールは冒険者だった。 「コッペペもね」 「へへ、さてね……だが、安心しな。壁役はきっちりオイラがやるからよ」 「うん。僕が死霊を使って援護する。回復も任せて」 「あいよ! ……それと、ワーシャちゃんをしっかりな? んじゃま……おっぱじめようぜ!」  コッペペがすぐさま最前線に出て、守りを固める。続いて、地面に突き立てた盾の上で銃を固定した。ガンマウントで一歩も退かない構えだ。  彼は防御に重点をおいた技量や装備を盛っているため、グッと安心感が増す。  そして、一度だけニカノールは肩越しに背後を振り向いた。  周囲の水晶に稲光を乱反射させ、ワシリーサが手にした杖へと雷を集束させてゆく。ふわりと舞い上がる髪が、膨大な魔力の顕現を無言で語っていた。  見惚れる程に美しいが、うっとりしてもいられない。  気合いを入れ直すと、ニカノールは死霊たちをコッぺぺの更に先へと飛ばした。 「さあ、やっつけてしまおう! 水晶竜の先に、次の階層がある。さらにその先に、きっと世界樹の頂は待ってるんだ!」  激闘、開幕。  水晶竜は唸りを上げて、長い首を翻す。  真っ赤に開かれた顎門から、無慈悲なブレスが解き放たれた。先程まで、接近を困難にさせていた必殺の一撃だ。至近距離で浴びれば、吹き飛ばされる程度では済まされない。  あっという間に着弾地点を中心に、無数の水晶が乱立した。  屹立するは凍れる透明な刃……一気に地形すら変えてしまう、恐るべき攻撃だ。  だが、鉄壁の守りを固めたコッペペの背後で、ニカノールたちは輝ける嵐をやり過ごす。  ただ一人、ノァンだけを除いで。  突出していたノァンは、ブレスの直撃を浴びて立ち尽くしていた。 「ノァン!」 「ノァン様っ!」  気付けばニカノールは、ワシリーサと一緒に叫んでいた。  ノァンの戦いは、常にシンプルだ。  近付いて、殴る。追い詰めて、蹴り飛ばす。全身で当たって、持ち前のパワーを振り回すのだ。常人の七倍の身体能力を持つ彼女は、死肉を継ぎ接ぎした死人の傀儡……だが、操り人形たる自分の糸を、ノァンは自分で掴んで引っ張り出した。  そう、以前とは少し違う。  正確には、以前よりも飛び抜けて頭の悪い戦いを彼女は身につけていた。  周囲の爆風の土煙が晴れてゆく中、ノァンの背中が顕になった。 「アタシはっ、寝てる間に思ったです! なんだか、変なのです……なにかが抜けたような、消えたような、むずがゆいスカスカな気持ちがあるです!」  既にもう、彼女へ肉体を提供した七人の男女は消えた。  天へと還っていったのだ。  そして今、残された肉体はノァンだけのもの。  それを彼女は、どう使えば生かしきれるかを無意識に察していた。極めて頑丈で頑強、類まれなる膂力と胆力……さらに、全く使われる気配のない思考力と情報処理能力。  間違いなくノァンは、人外のバケモノ……ニカノールの友が造った最強のアンデッドだった。  そのノァンが、ドン! と大地を踏み締め腰を落とす。  同時に、気配もないのにニカノールのすぐ横で声がした。 「ニカ、準備してて……ワーシャと」 「スゥ? あ、えっと……とにかく、ノァンがなんかやる、やらかすんだね!」 「うん……私とノァンには、構わなくて大丈夫。ノァンごと、私がみんな、守る」  同時に、地を這う影のようにスーリャが飛び出す。両手に握って振りかぶられた巨大な大鎌が唸りをあげた。  そして、酷く華奢な細いシルエットが揺らめき出す。  肉眼で目視可能なほどに、濃密な魔素の奔流がスーリャを包んでいた。それは、闇狩人が行使する影の技……瘴気兵装。今、闇夜より尚も暗いオーラがスーリャを包む。  まるで、寄るそのものをドレスのように纏った剣舞のリズムだ。  あっという間にスーリャは、全身から迸る瘴気を練り上げ、そのまま水晶竜へとぶつける。僅かに巨体が怯んだ、その瞬間をノァンは見逃さなかった。 「これが、アタシの全力全開ですっ! ピンチになるほどすっごくなるです……一撃必殺っ! うわあああっ!」  地を蹴るノァンが、翔ぶ。  振りかぶった小さな拳を、全力で水晶竜へと振り下ろす。  極めてシンプルに、全身全霊の力を込めたパンチだった。  ただ、その威力たるや絶大……格闘士の奥義は、その肉体を鋼に変える。握った拳は放てば砲弾、触れる全てを砕き割る。  高レベルの格闘士は、自分の体力を犠牲に技を練り上げるという。  普段からノァンはヨスガに武術を習っていたが、こうまで極端な戦い方は彼女にしかできない筈だ。既に死んだ身故に、死ぬ直前まで己を追い込み、爆発的な力を引き出せるのだ。 「ニカッ、今です! ……ほえ? なっ、なんか、水晶竜が変です!」  咄嗟に飛び退いたノァンを、瘴気で包んでスーリャがフォローする。  離脱する二人へと、水晶竜は怒りの咆哮を浴びせていた。  そして、左右一対の巨大な翼が閉じてゆく。  部屋を覆わんばかりに広がっていた翼は、まるで花の蕾のように閉じてしまった。そして、コッペペが舌打ちと共に射撃をやめる。 「チィ! なるほどねえ……ニカ、出番みたいだぜ? ああなっちまうと、極端に防御力があがるらしい。銃弾が弾かれちまう」 「! そうか、なら……行こう、ワーシャ!」  背中で頷く気配があった。  同時に、ニカノールは乱舞する三匹の死霊を同時にコントロールする。  今なら、嘆きに泣き叫ぶ死霊の魂、その心がわかる。なにをどうすれば、こちらの意思が伝わるかがわかった。 「ニカ様っ、合わせます!」 「防御に身を固めた、つまり……お前は今っ、追い詰められているってことだっ!」  三匹の死霊が、水晶竜を囲んで暗いトライアングルを浮かび上がらせる。その中心へと向かって、苛烈な炎が巻き起こった。死霊を生贄にした、天をも焦がす地獄の焔だ。達人級にしかできない大技である。  苦し紛れに水晶竜が、眩く輝くプリズムを己の水晶に招く。  だが、ニカノールの許嫁はその瞬間を見逃さなかった。 「わたしは……ワーシャは、ニカ様と、皆様と先に進みます! ここは……押し通りますっ!」  爆光が轟き、蒼い稲妻が水晶竜を穿った。  死霊の捨て身の攻撃もあって、避けることもできず、身を固めた防御力も貫通され……断末魔を叫ぶや、水晶竜はついにその場へ崩れ落ちるのだった。