その広間は、静寂に包まれていた。  見渡す限りに広く、天井も高い。  ラチェルタは、先日ここで戦われた激戦を想像し、そっと目を閉じてみる。ところどころに散らばった水晶だけが、冒険者の戦いを記憶する証人だった。  耳を澄ませば、聴こえてくる……咆哮と絶叫、剣戟……爆ぜる炎と雷の轟き。  背後で呼ばれるまで、しばしラチェルタは仲間たちへと思いを馳せた。 「チェル? みんながあっちで呼んでるみたいだけど」 「あ、うんっ。ねえパパ、やっぱりニカたちは凄いね。ボクはまだまだだなあ」  父のクラックスを振り返り、ラチェルタはへらりと笑った。  この場所で、恐るべき水晶竜が打ち倒されたのが一昨日……まさしく死闘、紙一重の勝利だったという。持てる力を一気に叩きつける、電光石火の速攻を仕掛けたのだ。  水晶竜が守りに入らず、さらなる攻めに転じてきたのなら、結果は別だった筈だ。  改めてラチェルタは、自分たちの仲間を誇らしく思った。  奥で親友が叫んだのは、そんな時だった。 「うおーい! チェルー! おじさんもー! ちょっと来てくれーい」  マキシアがブンブンと手を振っている。  どうやら、上への階段が見つかったようだ。 「行こうっ、パパ! ニカたちには悪いけど、第五階層へと一番乗りだよっ!」 「そうだね! 僕も、年甲斐もなくワクワクしてきちゃったよ」  そう言って笑うクラックスは、若々しい青年の姿のままだ。彼は錬金術で造られた人工生命体で、兄のポラーレを雛形としたマスプロダクトモデルである。その身体能力は、常人を凌駕する運動神経と筋力を持ちながら、人間と同等の機能を持ち合わせていた。  だが、今はただの一介の冒険者だ。  こっそりラチェルタたちを見守っていたのも、バレたらバレたでおおっぴらにやるようになっていた。  二人は急いで、広間の奥へと進む。  すぐに見えてきたのは、奇妙な光の柱だった。 「……なにこれ。ねえ、マキちゃん! レヴィも」 「ばっかおめぇ、レヴィにわからねーことがオレにわかるかよ」 「樹海磁軸、とは違うみたいね」  とても温かな光が、緑色に立ち上っている。  その先を見上げても、暗がりの中へと消えているだけだ。  そして、それ以外になにもない。  勿論、階段の類も見当たらなかった。 「ありゃりゃ、こんだけ?」 「そうよ。多分、なにかの仕掛けだと思うんだけど……以前確か、おばあちゃまが似たようなものの話を――」 「って、おいチェル! お前、なにやっ――」  考えるより前に、手が出ていた。  ラチェルタは、無造作に光の中へと腕を突っ込む。  次の瞬間、レヴィールもマキシアも慌ててラチェルタを引っ張ろうとしたようだ。だが、彼女たちの手がラチェルタの身体をすり抜ける。  自分が透明になってゆく感覚の中、クラックスの声だけがいつまでも響いていた。 「あ、そっか。この光……触るとボクも光になっちゃうんだー」  呑気にそんなことを考えていると、眼の前が真っ白になってゆく。  光そのものになったかのような感覚は、どこまでもラチェルタを眩しく包んでいった。  そして、突然視界が開ける。  気付けば、緑の大地にラチェルタは立っていた。 「ありゃ? ここは……およよ?」  それは、とても不思議な空間だった。  ひんやりと空気は冷たいが、肌寒いほどじゃない。なにより、不思議とこの場所には匂いがなかった。二本の脚で立つ大地は、芝生で覆われている。木々も見えるし、鳥が飛んでいるのも確認できた。  だが、そこは無味無臭の世界だった。 「なんだろ……ここには、うーん。あ、そっか! 体温がない感じだ、これ!」  人の気配というより、生きとし生けるものの存在感が感じられなかった。まるで、絵画を見ているよう。そこには、視覚的に見える風景だけが広がっている。  だが、一歩を踏み出せば、確かに土の感触がブーツから伝わってくる。  周囲をキョロキョロしながら、ラチェルタは好奇心が抑えられなかった。  背後で声が聴こえたのは、そんな時だった。 「ついにここまで来たか、冒険者よ。汝の勇気に敬意を表する。本当に、よく来てくれた」  振り向くとそこには、奇妙な少女が立っていた。  全身をローブで覆い、フードを被っている。  翡翠のような双眸が、じっとラチェルタを見詰めていた。 「ここは、汝らが世界樹の迷宮と呼ぶ構造物の、最上層……第五階層『円環ノ原生林』」 「えんかんの……げんせーりん? えっと、キミは」  すぐに脳裏に、昨今目撃証言の多発する、謎の少女のことが思い出された。ここで出会うとはつまり、そういうことだろう。仲間も連れず、武器も持たない少女だ。年の頃はちょうど、ラチェルタたち三人娘と同じくらいである。 「ま、でも、そっか! 第五階層! で……最上層? なの?」 「そう、世界樹の頂は近い。仰ぎ見よ、天を」  すっ、と少女は細い手をあげ、指で空を差した。  そして、視線でそれを追ったラチェルタは仰天してしまう。 「あれっ? 真昼なのに、夜だ! えっと……空が二重になってるの? 外側の空が夜なのに、内側の空は……あっ、もしかしてここ、建物の中なの?」 「人類が建造した被造物の中ということで、間違っていない」 「外は、あれは……あの光は、星? 沢山の星が」 「あれは、宇宙。かつて汝らの父祖が漕ぎ出した、未知なるフロンティアへ続く海だ」  少女は、ラチェルタには理解不能な言葉をいくつも使った。  だが、それが逆にラチェルタの探究心を刺激してしまう。無知と理解不足は、時として人間を不安へと駆り立てる。だが、今のラチェルタには、その先を求めて望む気持ちが膨らんでいた。  思わずラチェルタは、少女に駆け寄ってしまう。  そして、白く冷たい手を取った。 「うちゅー! お星様の海! 凄いっ! ねえ、キミの名前は? ボク、ラチェルタ!」 「……アルコン、だ」 「アルコン、よろしくねっ。キミは一人で、なにを探してるの? たった一人で」 「探している? ……ああ、そうか。そう見えるのだな。なら、もう見つかったようだ」 「ホント!? みんなね、心配してたよ? 迷宮を小さな女の子が、一人で歩いてるんだもん」  僅かにアルコンは、表情を和らげた。  そして、ラチェルタの手に手を重ねてくる。 「ついに私は、見つけた。汝のような、心強き者……明日を、未来を目指す者」 「へ? 捜し物って……ボク?」 「そうだ。この先で……世界樹の頂で、待ってる。どうか、私に義務を果たさせてほしい。この星に根付いた七本の世界樹が、なにゆえ生まれたか。その神話を今こそ、人の手で歴史にする時がきたのだ」  それだけ言うと、アルコンは消えてしまった。  呆然とするラチェルタだが、周囲を見渡してもその姿は見えない。本当に、目の前から忽然とアルコンがいなくなってしまったのだった。  代わって、光の柱が幾重にも重なり、仲間の冒険者たちが現れる。  過保護な父に抱き寄せられながらも、ラチェルタは先程の言葉に胸が高鳴った。  こうして、ついに冒険者たちは最後の冒険の舞台……人類文明はなやかりしころの遺跡、かつて低軌道ステーションと呼ばれていた施設に辿り着いたのだった。