第五階層『円環ノ原生林』の冒険が始まってからというもの、アイオリスの街はそこかしこでお祭り騒ぎのような熱狂だった。  誰もが、旅の終わりを感じ始めている。  謎と神秘に満ちた世界樹の迷宮は、頂へ至る道を示し始めたのだ。  だが、迷宮はより複雑に入り組んで、魔物と共に冒険者を苦しめる。  少し遅めのランチを食べながら、今日もニカノールは地図とにらめっこ。 「ニカ、もう食べないですか? ちゃんと食べないと駄目なのです。ごはんを食べないと、力が出ないのです!」 「んー、ああ……ノァン、よければあげるよ。ちょっと、なんか……昨日から地図が気になってて」 「駄目なのです! ワーシャも心配するです。お昼ご飯を食べるです!」  隣でノァンが、まだ手のつけられていないパンを手に取った。  それを突きつけられるままに、受け取り、ニカノールはかじりながらも地図から目を離さない。同じテーブルでは、コロスケが食事を終えて剣の手入れをしている。他には、ナフムとフリーデルの兄弟コンビも一緒だ。  先程まで、五人で迷宮を調査していたのである。  だが、まだ最初の階段さえ見つかってはいない。  地図は八割ほど埋まっているように見えて、不可解な広がり方をちらつかせていた。 「うーん、随分歩いたけど……このフロア、妙に広くないかな? いつもと違って、四隅の角に行き当たらないような気がして」 「ニカ、次はサラダも食べるです。お残しは駄目なのです!」 「あ、うん……なんだろう、違和感が」  ノァンがニカノールの皿にボウルから野菜を取り分けてくれた。ついでに、残ったサラダを全部自分の皿にドドドと盛り切る。  上の空で考え事のニカノールは、渡されるままにサラダを食べつつ思案に耽っていた。  背後で声がしたのは、そんな時だった。 「よぉ、ニカ! どした、難しい顔して……あとな、食うか考えるか、どっちかにしな」 「御機嫌よう、俺様の頼れる仲間たち! 美しい午後を過ごしているようで、なにより」  現れたのは、クドラクとナルシャーダだ。  午後の買い物を担当していた彼らは、消耗品各種の手配を市でお得てきたらしい。ウェイトレスにお茶を注文すると、近場のテーブルから椅子を借りて合流してきた。  改めてニカノールは、地図への奇妙な疑念を周囲に漏らす。 「ちょうどいいや、コロスケもいいかい? ナフムも、フレッドも」  皆に呼びかけ、全員で地図を囲む。  普段から地図を記している羊皮紙より、とても大きい。急遽、端に継ぎ足してあるのである。それでも、フロアの道はまだまだ広がっている。北と南とに進んだ道は、あらかた外壁にぶち当たっている。  だが、東西に伸びる道は奇妙なことに、まるで果てがないように思えるのだ。  地図を覗き込んで、クドラクはほうほうと頷いた。 「階段がまだ見つからない、ねえ……しっかしこりゃ、でかい地図になったもんだ」 「だよねえ。なんか僕、引っかかってるんだ。でも、それが上手く言葉にできない、説明できない」 「直感は大事だぜ? 例えば、だ」  クドラクはしげしげと地図を眺め、記された道のいくつかを指でなぞる。  コロスケやナフム、フリーデルも興味津々だ。  運ばれた茶を全員のカップに足しつつ、ナルシャーダも耳を傾けてくれている。  ノァンでさえ、残った皿の料理を片付けながら額を寄せてきた。  そして、ニカノールは改めて地図を見やる。  ふと、ぼんやりとした予感が僅かに輪郭を帯び始めた。 「クドラク、そこ……」 「ん? ああ、この通路か? 俺も気になってた……妙だろ、この地図。まあ、俺も書き込んだ手前、間違いがあるとは思えねえがな。仲間と作る地図を疑ってたら、なにも始まらねえ」 「だね。僕たちは分担して、その日その日の調査メンバーへと地図を託している。けど、うん。なにかわかったような気がしてね。ほら、例えばここ」  ニカノールが指し示す部分へ、仲間たちの視線が注がれる。 「この通路のこの形を見て。で、こっち……さらに東に、ここと、ここ」 「ん? これは……」 「むむ、これは面妖な……そこは確か、拙者も歩いたことがあり申す」  よくよく見れば、東西に伸びる横の導線は、不思議なことに似たような地形が散見される。一定の間隔で、同じパターンが繰り返されているように見えるのだ。  ニカノールの指摘で、他の面々も改めてあちこちを調べ出した。 「ここもそうだな、一見してわからねえが同じ構造が連続してる」 「ちょうど、紙を足して地図を大きく書き始めたタイミングでござるな」 「ふーむ、って、お、おい! フレッド!」  不意に、フリーデルが地図をテーブルから取り上げた。  それを難しい顔で睨むと、彼は突然……驚くべき行動に出たのだ。 「あっ、こら! なにすんだよ兄弟!」 「まあ見てて、ナフム。みんなも。……こういうことじゃないかな、もしかしたら」  フリーデルは、皆で継ぎ足し広げてきた地図を破った。拡張された分を全て、取っ払ってしまったのである。ここ一週間で皆が書いてきた、自らの脚で歩いてきた地図をだ。  そして、元の標準的な大きさになった地図を、彼は丸めた。  左右を合わせるようにして、円筒状にしてしまったのだ。 「やっぱり、か。こんな初歩的なことに気付かないなんてな」 「こいつぁ……」 「ニカやクドラクが言う通り、とても似た地形が一定間隔で繰り返されている。それは似た地形なんかじゃない、同じ場所だということさ」  フリーデルが左右の端をピタリと合わせた地図の上で、東と西の通路が完全に一致して繋がっていた。どういう原理かは知らないが、平面の密閉されたフロアだと思っていた空間は、際限なく西と東がくっついたループ構造だったのである。  進む先をどんどん書き足していたが、それは背後に遠ざかる場所そのものだ。  皆が目を丸くしていたし、ニカノールも驚いた。  そして、真っ先に声をあげたのはノァンだった。 「でもでも、おかしいです! 地面が丸かったら、アタシたちは転がってしまうのです」 「例えば、魔法かそれに類する力で、空間をくっつけてるとか」 「えと、ここの通路を進むと、逆側のここに出るです……だから、さらに進むと、えと、んと」  あわあわと指で地図をなぞり、ノァンは「あっ!」と声をあげた。 「ニカ、みんなも見るです! ここ、まだ地図を埋めてない空間があるです。ここには……逆側の、こっちから進めば、ぐるっと回ってたどりつけるです!」 「あ、ほんとだ……フレッドの言う理屈が正しければ、そうなるみたい」 「なんてこった、同じ場所をグルグル回ってたのか、今まで。固定のメンバーで繰り返せば、誰かが気づく。でも、持ち回りで交代しつつの探索だったからか」  早速ニカノールは、このことを仲間たちに知らせようと思った。  同時に、一応アルカディア評議会にも報告しておきたい。他のギルドが知るところになろうが、ネヴァモアとトライマーチには大した痛手ではない。むしろ、情報の共有化をこちらから提示することは、他のギルドからの情報も得やすくなる筈だ。  そういうことにまで気が回る程度に、最近のニカノールは冒険者家業に慣れ始めていた。 「もっと地図に、ささいなことでも書き込まないといけないね。さて……じゃあ、一度みんなで宿に戻ろう。夕食の時にでも、皆に僕から話しておくよ」 「大手柄だな、兄弟! そういや、明日は第五層の担当は」  ニカノールもすぐに思い出す。明日は、かしまし三人娘がささめたちと一緒に迷宮へ挑む筈だ。明日のメンバーとは、入念な打ち合わせが必要だろう。  一刻も早く、自分の目で確かめ、実際に自分で歩いて確認したい。  だが、そこを仲間に任せて、ニカノールはギルドマスターにしかできない仕事に専念する。取り急ぎ、フリーデルたちに手伝ってもらい、明日の評議会への報告書の作成から始めることにするのだった。