衝撃の事実が、冒険者たちを襲った。  いまだ最初のフロアを彷徨う中で、時間だけが過ぎていった……そして、第五階層『円環ノ原生林』はまるで底なしの樹海のよう。  だが、そのカラクリは暴かれた。  となれば、自分の足で歩いて見聞きする確認作業を怠らないのが冒険者だった。  クドラクは今、メイドのミサキと共に迷宮に来ている。  今まさに、二人の少女が屈伸とストレッチを終えて身構えていた。 「よーしっ、マキちゃん! 猛ダッシュだよ!」 「おうっ! 途中で宙に浮いて進めば、ほぼ一本道だしな!」  ラチェルタとマキシアだ。  二人共、やる気満々である。  この第五階層は、東西が繋がっている……文字通り、円環をなしているのだ。それを今、改めて確かめようとしている。クドラクは、フリーデルの発想を評価したし、合理的で合点のゆく考察だったと振り返る。  だからこそ、実証が必要なのだ。  そうこうしていると、レヴィールに声に二人の少女が頷き合う。 「いい? 戦闘は避けること。二人でいかせるのは心配なんだけど」 「大丈夫だよ、レヴィ! マキちゃんと一緒だもの!」 「……だから心配なの。でも、チェルとマキの脚なら、普通に五人でウロウロするより速いんですもの」  クドラクも、二人の少女の素性をある程度聞いているので、納得だ。  この世の中には、アルカディア大陸に住む四種族とは別の人間たちがいる。人間ですらない者たちも多い。ラチェルタの父親がそうで、彼女はその血を色濃く引き継いでいた。また、マキシアもまた母譲りの身体能力を持ち、それは優良種として人の手で作られた生命の産物である。  だが、少なくとも世界樹の迷宮とアイオリスでは、誰もそんなことを気にしてはいない。  冒険者とは、素性も生い立ちも問わない、実力勝負の無頼の徒だからだ。 「じゃ、行ってくるねっ! マキちゃん、競争! よーいっ、ドーン!」 「あっ、待てチェル! 卑怯だぞ、待てって!」  あっという間に、二人の少女は迷宮の奥へと消えた。  十代の少女とは思えぬ脚力が駆け抜けて、周囲がようやく静かになる。  自然と、クドラクは背後を振り返った。  フリーデルの話が本当ならば、今しがた東の方へと走り去った少女たちは……西の向こうから現れる筈である。  そう、この階層は東西が繋がっているのだ。  そのことを考えていたら、ミサキが貞淑な声を装って微笑む。 「バカ様、もとい若様。いかがしましたか? あの二人なら、ほぼほぼ大丈夫かと」 「ん? ああ、ちょっとな。心配はしちゃいねえが、どういう仕組かと思ってな」 「太古の魔術か、失われし技術か……他の方々も皆、この森は奇妙だと」 「奇妙なんてもんじゃねえ、こいつは露骨におかしいぜ」  二人を見送ったレヴィールも、うんうんと頷いている。  アルカディア大陸では、外の国々と違って魔術の知識が今も生きている。ルナリアたちは自分たちの魔法都市シドニアで、絶えず魔法を研究しているのだ。  大規模な魔法ともなれば、街を吹き飛ばし、ドラゴンをも調伏するという。  迷宮の端と端をくっつけることなど、造作もないことだろう。  だが、クドラクとて魔力の素養を持つルナリアの一人……この静寂に満ちた森には、術式の類が全く感じられないのだ。 「あの、クドラクさん」 「ん? ああ、どうしたレヴィ」 「私、昔おばあちゃまから聞いたことがあるんです。信じられますか? 私たちの住んでる大地は、巨大な丸い天体の上なんだそうです。地面は、球体の一面に過ぎないって」 「あれか、学者先生が時々異端だなんだと問題にしてる、丸い世界の話か」  レヴィールの祖母は、さる高名な冒険者らしい。エトリアの聖騎士と言えば、外の世界では英雄とのことだが……残念ながら、クドラクには若作りの熟女にしか見えない。聞かされている実年齢すら、見た目の妙な若々しさを前にすれば疑わしかった。  だが、この世界が丸い大地の上に乗っかっているという話は、以前から存在する。  それはどこか、この第五階層の構造に似ていた。 「でも、レヴィール様。それでしたら、世界が丸いと……下側の人たちは落っこちてはしまいませんでしょうか。……こういう風に」 「おいバカメイド、やめい!」  レヴィールをからかうように、ミサキはすとんと自分の首を足元に落とした。彼女は、屍術士であるクドラクに付き従う、生きた死体である。ノァンと違って、より自然な太古からの秘術で生き長らえているのだ。  生首を拾い上げるミサキに絶句しつつも、レヴィールは声を引きつらせる。 「そ、それは……確かにそうなんですが。でも、どこまで進んでも球体の下側、上下が入れ替わる状態にはならないそうなんです。常に球体の全ての場所が、空が上で地面が下になるんです」 「まあ! ですってよ、若様。つまり、この迷宮も」 「ああ、物理的に本当に円環……東西が輪っかになってるのかもしれねえ」  それも全て、自分の目で見て確かめる。仲間と共に確認する。それが冒険者のならいだと、クドラクも最近気付かされた。仲間を信用するからこそ、自分で必ず事実を確かめる。常にそうして進まなければ、未知と神秘の迷宮は踏破できない。  そうこうしていると、遠くから声が聴こえてくる。  それは、ラチェルタとマキシアの声だ。 「おっ? 本当に西側から来やがったぜ。やっぱり繋がってやがる」 「それより若様、あれは……」 「うう、すっごくデジャヴ。なんか、悪い予感しかしないですね、これ」  レヴィールが嫌そうな顔で剣を抜いた。ミサキも、手にした大鎌をヒュン! と翻す。クドラクはクドラクで、周囲に死霊たちを呼び出した。  絶叫と共に、二人の少女が駆けてくる。  その背後に、奇妙な鳥の魔物が追いすがっていた。 「うおおおおおっ! チェル、走れっ! 全速力で走るんだよぉぉぉぉぉぉぉ!」 「まーたー、こーのー、パーターンーだー! ひえええええっ!」  眼の前を疾風となって、ラチェルタとマキシアが駆け抜けた。  間髪入れずに、飛び込んでくる魔物にクドラクは向き直る。  それは、身の丈はせいぜい子供くらいの鳥である。猛禽のような威圧感はなく、むしろ愛嬌を感じるくらいに太っていた。肥満体といってもいい。ほぼ球形の胴体を小さな翼で飛ばしてくる。  だが、その滑稽な姿は、文字通り鋭い棘を隠してきた。 「なっ……クドラクさん! ミサキさんも! 気をつけてください、威嚇してます」  レヴィールの言う通り、魔物は全身から鋭い針を無数に浮かび上がらせた。まるで、刃の塊だ。攻撃しようにも、手を出せば負傷は避けられないだろう。  この魔物……反骨の針雀は、自衛手段として何者も触れられない身体を持っているのだった。  だが、クドラクは自分から危険を犯して近付く必要はない。 「ミサキ、搦め手でやんぞ!」 「かしこま、ですわ。ふふ、では」  ゆらりと、ミサキの周囲に瘴気が満ちる。暗く濁った空気は、あっという間にマントのように彼女を包んだ。手練の闇狩人だけが使いこなす、瘴気兵装である。  ミサキは敵に触れることなく、瘴気の小さな渦を飛ばす。  あっという間に、針の塊と化した怪鳥の動きが鈍った。  そこへと、クドラクが容赦なく死霊を突っ込ませる。 「フン、肩慣らしにもなんねぇか。ま、いいさ。進もうぜ、お嬢ちゃんたち!」  死霊が絶叫を張り上げ、おぞましい嘆きと共に爆発する。その獄炎の中に魔物は飲み込まれていった。その時にはもう、棺を担いでクドラクは歩き始めている。  こうして冒険者たちは、ようやく新たなステージの理を一つだけ紐解いた。  クドラクたちは程なくして、無事に上層へと続く階段のようなもの……奇妙な緑の光が立ち上る、見たこともない装置を見つけ出すのだった。