トライマーチ、それは挑戦者たちの行進曲。  時に冒険へと駆り立て、時には未知の危険へと誘う。好奇心と探究心がある限り、決して迷宮での探索をやめないのが冒険者というイキモノだ。  だから、デフィールは密かにこのギルド名が気に入っていた。  もっとも、命名したギルドマスターとの、ありえない程に情けない再会には驚いているが。再会自体に驚いたのであって、その男……コッペペという自称吟遊詩人の体たらくには、毎度のことなので慣れっこなのだった。 「しっかし、コッペペが記憶喪失ねえ……なんだか眉唾モノだわ」  世界樹の迷宮を歩きながら、デフィールはチラリと背後を盗み見る。  ここは第五階層『円環ノ原生林』……世界樹の頂は間近に迫り、周囲は既に星々の大海を広げている。既にもう、アイオリスの街も見下ろせないほど遠くに来ていた。  ここが冒険者の最前線、先に進むほどに危険は高まる。  それなのに、コッペペとそぞろに歩くクラックスには、全く緊張感がなかった。  デフィールの鎧に擬態しての生活から解放され、彼はいつものゆるい笑みを浮かべていた。 「コッペペ、僕のことも覚えてないってことは、兄さんたちのことも?」 「いやいや、待て待て、待てっての。まあ、そうだなあ……んー」 「あ、こっちの姿のほうが覚えてたりするかな」  防具らしい防具もつけていないクラックスが、その場でしゅるしゅると輪郭を組み直してゆく。彼は錬金術で生み出された、人間を超越した攻性生物なのだ。だが、彼が人間以上に人を想い、豊かな心を育んできたことをデフィールは知っている。  だが、何度見ても慣れない。  見る者を虜にする美丈夫が、あっという間に少女の姿へと変わるのだ。  クラックスにとっては、自身の姿を変えることなど朝飯前である。  その可憐な姿を見て、コッペペは目を丸くした。 「お、おお……おうおう! おおう!」 「あ、ちょっと、勝手に触っちゃダメだって」 「ふむ! この胸! この大きさと柔らかさ、張りと艶は!」 「だからー、もー!」  おいおい、勝手にじゃなきゃいいのか、と内心デフィールは苦虫を噛み潰した。  他の仲間の視線が、少し痛い。  今日一緒のカズハルとあさひが、とっても不思議そうに目を瞬かせてくるのだ。カズハルはともかく、あさひの曇りなき眼に見詰められると、辛い。  だが、やはりコッペペは本当に記憶喪失のようだ。  本来なら逆に、どれだけ美少女だろうとクラックスに手を出すことはしない。ふしだらでだらしなくても、意外と妻子持ちや家族持ちには明瞭な一線を引く男なのだ。 「ふーむ、思い出せねえなあ。ああでも、オイラ一つだけわかったことがある」 「あっ、なになに? もしかして、記憶のヒントになるんじゃ」 「うむ……よーく、わかった! クラックスちゃん、おぢさんと今夜どうだい? とっておきの調べを歌い、君という楽器を奏でさせてほしいのさ」 「あ、いえ、今回は……遠慮、しとき、マス」  流石のクラックスも面食らったようで、帰って恥ずかしげに俯いてしまった。  そんな彼を見下ろすコッペペの、鼻の下を伸ばした笑いが止まらない。  だが、ピクニックのような雰囲気もそこで終わりだった。  静かにデフィールは、背後の仲間たちを手で制する。  真っ先に声を緊張させたのは、カズハルだった。 「デフィールの姐さん、魔物ですか」 「ええ、しかも新種ね。……その、姐さんっての、少し恥ずかしいわ。よして頂戴」 「いやあ、格好いいかなって。ほら、エトリアの聖騎士の逸話は、俺たちトミン族の間ではそこそこ有名っすから」  ――トミン族。  長らく外界から隔絶され、エトリアの世界樹の地中深く、遺都シンジュクに暮らしてきた部族である。その数は意外に多く、かつて栄華を極めた大都市は半分ほど機能を残している。  トミン族は、失われし旧世紀の技術を使うことができる。  作ることも直すこともできないが、今あるものを使う術に長けた者たちだった。  自然とデフィールは、懐かしいエトリアでの冒険を思い出し、つい悪い癖が出た。 「ま、まあ、そうね! 私くらいの冒険者になれば、しかたのないことなのだわ。ええ、そうですとも……誰が呼んだかエトリアの聖騎士、最初に世界樹を征した英雄ですもの! 当然でしてよ!」 「や、そこまでは……言って、ないです」  もうすぐ還暦を迎えようとしているのに、ディールの楽天的に過ぎるポジティブさは変わっていなかった。そう、見た目ばかりは妙齢の美女だが、彼女のメンタリティは17歳のあの頃と対して変わっていないのだった。  そして、彼女は油断なく盾を構えて銃を抜く。  それは、銃剣の付いた銃にも見えるが、異様に刃が長く広い。  見るものが見れば、それは大陸奥地の帝国騎士が使う、砲剣と呼ばれる剣を銃器に改造した武器である。 「さて、と……カズハル、あさひ。後列でバックアップをお願いするわ」 「ウス!」 「えっ!? あ、あのっ、わたしも戦いたいです!」  手をあげピョンピョンと、その場であさひが飛び跳ねた。彼女はアルカディア大陸の外の人間ながら、セリアンの里で育った武芸者でもある。  生真面目そうなその眼差しは、真剣な光が瞳の中に揺れている。  デフィールのみならずとも、気負っているのが見て取れた。 「あら、あさひ。貴女は後衛、よくて?」 「でもっ、後ろからじゃ使える剣技が限られてしまいますっ!」 「他にできることを探しなさいな。でなきゃ、私もカズハルも、勿論みんなも危険ですもの。いい? 持っている道具や薬品、そして自分の技術と経験……全てをフルに使って、支援して頂戴」  ぷぅ、とあさひは頬を膨らませたが、元気よく「はいっ!」と返事した。納得はしていないようだが、切り替えが早い娘だとデフィールも感心する。  そうこうしていると、隣にクラックスとコッペペが並び出る。  自然と場の空気が、懐かしい匂いを思い出したように肌を泡立てる。 「あの猪のデカいの、危ないね。僕が引きつけるよ」 「んじゃまあ、オイラは回りの蟻を片付けますかねえ」  二人の声は既に、確定した未来をデフィールへと提示している。  パーティのリーダーとして、彼女は瞬時に戦いの全てを掌握した。クラックスは鋭い身のこなしが信条で、剣士より強く、闇狩人より速い。その技は一人で一軍に匹敵するとさえ、彼の兄は評した程だ。  記憶を失ったコッペペはどうかと思ったが、それも杞憂のようだ。元より彼に敵う銃の名手は、数えるほどしかいない。頭が忘れていても、その全てを身体は覚えているようだ。 「じゃ、片付けましてよ? このフロアに上がってきてから、少し魔物も増えてきた……ここで手間取っては大事に至る!」  最後に、一度だけ肩越しに背後を振り返る。  あさひは、包帯と薬品類を手に身構えている。ガチガチに固くなっているが、鼻息も荒くいつでも飛び出せる体勢だ。頼もしいことこの上ないが、世話にならぬよう気をつけなければいけない。  そして、後方を警戒しつつカズハルもしっかりと盾を構えて防御を固めていた。  二人共、あと十年もすればベテランのいい冒険者になるだろう。  孫娘は勿論、その友人たちも仲間に恵まれたこと、それはデフィールにとってなによりも得難い宝だ。隠れて様子を見に来てよかったと、今は心底思っている。 「でも、どうにもレヴィだけ、なーんか不機嫌なのよねぇ。……さて、行きますわよっ!」  こうしてデフィールは、頼れる仲間たちと飛び出した。  あの日、あの時、あの瞬間……まだまだ世間を知らない乙女だった頃のように。武器を手に、仲間の盾となるべく走り出す。  老いを忘れて久しい肉体は、更にその昔の若さと懐かしさを思い出す。  世界樹の迷宮はいつでも、英雄や勇者をただの少年少女にしてしまう場所なのだった。