ニカノールを新たに仲間に加えて、ノァンは鼻息も荒く大股で歩く。  内心は、不安でたまらなかった。  何故なら……一段と美しくなったワシリーサをエスコートする麗人、その正体がスーリャだからだ。宿からずっと、ノァンはシバと一緒にスーリャを追いかけてきたのだった。  こんな気持ちは初めてで、自分でも訳がわからない。  スーリャもワシリーサも大好きなのに、二人が一緒にいるのを見ると心が騒ぐ。 「あっ、ノァン。シバも……二人が、あの屋敷に入っていくよ」 「なんだべな、すっげえ大勢人がいるだ……なんか書いてあんな。……オーク、ション?」 「なるほど、大富豪や貴族たちが集まって、競売をするみたいだね」  観察眼を発揮しつつ、ニカノールがノァンのずりおちたカツラを直してくれた。  いつもニカノールは、優しい。  でも、もしニカノールがああしてスーリャと一緒だと……やっぱり、心の中にもやもやとしたものが広がる感じがした。 「よし! アタシたちも行ってみるです!」 「え、いや、だって……招待状とかないよ?」 「そうでした、えと、んと」  待ってましたとばかりに、エヘンとシバが胸を張る。  彼女はちらりと大豪邸を見て、その荘厳な門の前に立つ用心棒を数えた。立派な身なりで着飾っているが、礼服姿に剣や銃をぶら下げている。体格のいい男ばかりで、人数は四人ほどだ。  それを確認してから、シバが声を潜めた。 「オラが騒ぎを起こして、人目を引きつけるだ。その好きに、ほれ……そこの塀をよじのぼって、庭から入るだよ」 「凄いです! シバ、頭がいいのです!」 「えっと……まあ、うん。気にならないっていえば、嘘になるからね。じゃあ」  ウンウンと頷くと、シバは堂々と歩き出した。  こういう時に、無駄に度胸がいいのが彼女である。セリアンの気質がよく表に出ていて、ここぞという時は頼れる仲間なのだ。勿論、そうでない時もあるが、それは誰だって一緒である。  シバはさも当然のように、門を潜って屋敷に入ろうとした。  すかさず、黒服の男たちが呼び止める。 「失礼ですが、招待状は」 「あんれま! そったらものが必要なんだか? オラの顔ば見てけろ」 「いや、顔パスって……」 「知ってる人が必ずいるだよ。よーく見てくんろ」 「えっと、参ったな。おーい、ちょっとみんな、来てくれ」  実に白々しい演技だったが、なんだなんだと黒服たちが集まり出す。  次の瞬間には、ノァンはニカノールを抱き上げ、一足飛びに塀を飛び越えていた。常人の何倍も強い身体能力が、音もなく庭の木陰に二人を立たせる。  気配を殺して身を低くし、窓から見える中の様子を伺い歩けば……すぐに、オークションの会場になっている大きな部屋の前に出られた。 「見るです、ニカ……スゥとワーシャがいたです!」 「ほんとだ……って、え? ちょっと待って、あれ……スゥなの? スーリャなのかい!?」 「そです、スゥなのです。……アタシにナイショで、なにしてるか気になるです」 「なんだ、スゥか……いや待って。なんで、あの二人が一緒なの」  そう、そこなのだ。  決して不自然ではないし、二人の仲がいいのは誰もが知っている。箱入り娘のお嬢様と、裏社会の始末屋……本来、決して接点がない筈の二人が、不思議と仲睦まじい。  あづさから二人で、料理や縫い物を習っている。  ノァンやニカノールの服も、二人で洗濯してくれたりする。  そう、気付けば意外と二人は一緒のことが多かった。  今になってそれを思い出し、ますますノァンは悶々としてしまう。  そうこうしていると、オークションに動きがあった。  どうやら、最後の数点が出品されるようだった。 「はい、ではこちら……諸王の聖杯、その欠片です! 入札は10,000エンから。さあ!」  好事家たちにとっては、価値のあるものばかりなのだろう。品々が出される度に、会場からはどよめきがあがる。冒険者には一朝一夕では稼げないような金額が、まるで芸人への投げ銭みたいな感覚で連呼されていった。  だが、会場の隅で上品に座って、ワシリーサはただそれを眺めている。  その背を守るように立つスーリャもまた、決して動かない。 「ニカ……」 「うん。ノァン」 「オークションっていうの、楽しそうです。なのに、なんだか、アタシはおかしいのです。さっきから落ち着かないのです」 「いや、まあ……わかるよ。でもさ、あの二人に限って、って思わない?」  ニカノールが言う通りだ。  頭では理解できる。  しかし、心がざわつくのだ。  死体を継ぎ接ぎして生まれたノァンは、その魂も人格もまだまだ生まれたての子供のようなものだ。だから、感情を発露することも、言葉にして他者に伝えることもまだまだ未熟だった。  会場が一際大きくどよめいたのは、そんな時だった。 「最後の品……こちらが、あの不死身のコシチェイと呼ばれた眷属の長、その心臓です!」  ノァンは隣に「へっ?」という、間の抜けた声を聴いた。  見上げれば、ニカノールは目を点にして固まっていた。 「ニカ、あれ……ニカの心臓なのですか?」 「いや、ないない……ありえない。だって、まあ、僕の心臓は僕が死んだ時に――」  オークション会場には今、宝石のような輝きを放つ心臓が出品されている。精巧な硝子細工のようでもあり、生きた水晶の如く光を反射している。  ノァンにはよくわからないが、どうやらあれはニセモノらしい。  そう知って、ますます混乱していたその時だった。 「では、こちらの品は50,000エンからで――」 「そこまで、です。皆様、どうか動かないでくださいっ。わたしは、評議会より依頼を受けた冒険者です」  なんと、ワシリーサが毅然と立ち上がったのだ。  その場の紳士淑女が、一斉に振り向く。  誰の顔にも、虚を突かれた驚きと共に、やましい気持ちが露骨に滲んでいた。  ワシリーサは、凛として通りの良い声でゆっくり話す。 「こちらで出品されてたものは全て、盗品の疑いがかかってますの。どうかそのままで……もうすぐ、衛兵さんたちも来てくださいます。その際、わたしは証人として全てを証言しますっ」  なにやら、塀の外が騒がしくなってきた。  ガチャガチャと具足を鳴らして、大勢の衛兵たちが駆けてくる気配がある。  次の瞬間には、ニカノールが横から飛び出していた。  それは、会場の男が腰の剣を抜いたのと同時だった。 「ワーシャッ!」 「あ、ニカッ! ア、アタシ、ぼーっとしてたです。やっぱりアタシはおかしいのです!」  ニカノールを追い越し、全身を砲弾にして窓をブチ破る。室内に転がりこんだ、その時には……既に暴漢は、スーリャによって腕を捻り上げられていた。  程なくして、屋敷に衛兵たちが雪崩れ込んでくる。  呆気に取られたまま、ノァンは呆然と立ち尽くしていた。  緊張感を解いたワシリーサは今、ニカノールを見て驚いている。そして、ノァンもまた男を開放したスーリャを見て、同じ顔をしているのだった。