ワシリーサとスーリャ、二人だけの秘密のクエストが無事に終了した。違法オークションは、主催者ごと検挙され、無数の盗品が押収されたのだった。  だが、ニカノールは少しばかり釈然としない。  ワシリーサが、自分に秘密を持っていたことに驚いた。  しかも、それが自分の不死に関係あることだったからだ。 「ニカ様、あの……ワーシャは、差し出がましいかとも思ったのです。でも」  帰り道、二人並んで夕暮れのアイオリスを歩く。  背後では、先程まで元気だったノァンの声が静かになっていた。肩越しに振り向けば、あうあうとあれこれ喋っていたノァンが、疲れて眠りこけている。その小さな身体を背負うスーリャも、心なしかいつもの無表情が柔らかく感じられた。  そして、事の発端からワシリーサは説明し始める。 「魔女の黄昏亭で、先程の依頼を見つけてしまって……盗品リストを読んで、驚きました。そして、他の冒険者さんに任せてはおけない仕事だと思ったのです」 「うん、その、えっと……ワーシャ、それはありがとうだけど、どうして?」 「ニカ様はコシチェイ家の嫡子、生まれながらに不死の宿命を背負う方」 「まあ、ちょっと手違いで、半端な上に前倒しで不死者になっちゃったけどね」  真っ赤な夕焼けを背に歩けば、二人の影が長く伸びて重なる。  ほぼ密着の距離で、隣を歩くワシリーサの声は落ち着いていた。 「盗品リストにあった、コシチェイ家の心臓……これがもし、万が一本物の、ニカ様の心臓だったらと思うと、じっとしてはいられませんでした」 「……確かに、まだ僕の心臓の話はしてなかったよね」 「嫁ぐと決まった日から、いつも寝物語にニカ様のお話を聞いて育ちました。わたしは……ニカ様の命を、守らなければと思って。同時に、そう……もう一つ――」  涼しい風に髪を押さえながら、隣でワシリーサが見上げてきた。  その瞳は潤んで揺れながら、残照の光を集めて輝いている。見詰めれば、吸い込まれそうなほどに深い、小さな宇宙を星ごと閉じ込めたような双眸だった。  そして、ワシリーサは言い澱むことなく、仰天の言葉を零す。 「もし、ニカ様の心臓が本物だったら……ワーシャは、例え評議会やギルドに逆らってでも、心臓を守らなければいけないと思ったのです」  ニカノールは、ワシリーサの覚悟と決意に驚いた。  花よ蝶よと育てられた箱入り娘は、冒険者として悪戦苦闘する毎日の中で、こんなにもはっきりと自分の意思を貫けるようになったのだ。  最近、あまりにも身近過ぎて、意識してしまう日々だった。  そのことを受け入れ始めていたから、ニカノールには新鮮な驚きが感じられた。 「まあでも、空振りでよかったよ。あれ、真っ赤な偽物だったものね」 「はい。……どうしましょう、ニカ様。今になってわたし、怖くなってきました」 「……それでいいんだと思うよ、ワーシャ。今日は大冒険だったね」  一瞬、躊躇ったが……ニカノールはワシリーサの手を握ってやった。  小さく白い手は、震えていた。  もし、出品されていた盗品が本物だった場合、彼女は全てを敵に回してでも、ニカノールの心臓を守る心積もりだったのだ。  その気持ちに応えるためにも、ニカノールは真実を打ち明けようと思った。 「聞いてくれるかい? ワーシャ。僕の心臓……コシチェイ家の不死の秘密を」 「は、はいっ」 「ワーシャが言う通り、他者に心臓を握られてしまうと、僕は死んだままで本当に死んでしまう。コシチェイ家の不死の秘密は、決して他人にゆだねてはならないものなんだ。  ニカノールは、順を追って説明した。  まず、本来ならば正当な儀式を経て、コシチェイ家の血族は不死の力を手に入れること。そして、ニカノールは予定された儀式を経ず、ある日突然不老不死の肉体になったこと。  自分でも驚いたし、記憶は曖昧で不鮮明だ。  ただ、なにかに呼ばれて応えたような、そんな感覚だけがある。  約定を交わしたというか、ぼんやりと取引のようなものに応じた気がしたのだ。 「僕たちコシチェイは、不死の眷属……皆、心臓を身体の外に持つ。『卵の中の針の先』という概念でもって、生命の摂理から自分だけを逸脱させることができるんだ」  屍術師の古き一族、不死身のコシチェイ……その秘術は門外不出だ。だが、今は自然と迷いなくワシリーサに打ち明けることができた。  彼女は何度も大きく頷き、しっかりとニカノールの手を握り返してくる。 「その、大まかなお話は聞いていました。だから、驚いてしまって……絶対に、ニカ様の命を守らなければと思って」 「ありがとう。でも、今回は空振りだったね。そう……僕の命は、それを封じた針を持つ卵は、決して人の世界には存在しないんだ。何故なら」  神妙な表情で、ワシリーサはゴクリと喉を鳴らした。  そう、これは幸いなことだが、ニカノールの不死の根源は、誰の手にも渡ることがない。同時に、自分で一度回収する必要があった。  そして、その生命の在処を初めて知った時、ニカノールは驚いた。  一族でも占いに長けた者は多く、それは一種の確定した未来だ。  あらゆる全ての占いが指し示した場所、それは―― 「僕が不死者となった時、僕自身の『卵の中の針の先』は……何故か、世界樹の中へと飛んだ。多分、今まで見つかってないから……世界樹の頂にあるのかもしれない」 「まあ! それは」 「君にだから、打ち明けるよ。それと、ギルドの仲間たちにもいつかは話さないとね」  そう、何故か突然の不死と同時に、ニカノールの本来の命は世界樹の中へと吸い込まれた。それが何故かを調べるのも、ニカノールの旅の理由だった。  納得したように、ワシリーサは胸に手を当て頷く。 「それはそうと……ワーシャ、できれば僕に相談してほしかったな」 「ご、ごめんなさい、それは」  その時、背後で静かな声が響いた。  ムニャムニャと寝入っているノァンを背負ったまま、スーリャが隣に並んでくる。 「私から説明しよう、ニカ。……事が事だけに、ワーシャは慎重に計画を立て、私だけに打ち明けてくれた」 「なんでまた、スゥにだけ」  だが、ニカノールを挟んで、スーリャはワシリーサと意味深な視線を交わす。そして、珍しく彼女はワシリーサと一緒に微笑んだ。  不器用な笑みだったが、あのスーリャが笑ったのだ。 「ワーシャがニカを守りたいように、私にも……今は、守りたいものができたんだ」 「えっ? それって……あ!」 「……ノァンは、ニカに懐いているからな。だから、ニカにもしものことがあれば、また限界を超えて動いてしまう。そう動けてしまう子、なんだと思う」  以前、一度だけニカノールは見た。  アンデッドキングを前に、ノァンは持てる力の限界を超越した。それは、全身に宿っていた七つの魂が解き放たれた瞬間だった。全身に浮き出た縫い目が、激しい出血と共に彼女の中身を吹き出した。  そして、人智を超えた戦いのあとで、ノァンは長い昏睡状態に陥ったのだ。  あの時のスーリャの動揺した姿を、ニカノールは今もよく覚えている。 「それと、ニカ」 「う、うん」 「私はワーシャとは、友達になった。今は沢山仲間もいて、こんなの初めてだが……その最初の一人に、ワーシャはなってくれた」  ふふふと笑うワシリーサが、スーリャの言葉尻を拾う。 「ニカ様はノァン様と凄く仲がよくて、まるで兄妹みたい。時々、ちょっぴり嫉妬します……でも、ワーシャは同じ気持ちの人を見付けて、仲良くなったんですよ?」 「そういうことだ。ワーシャは、私のよくわからない感情を、自分と同じものだと言ってくれた。だから……ワーシャが危険を承知でニカを守る、その気持ちに私は応えたかった」 「そう、少し、本の少し焼けますの。それくらい、ニカ様とノァン様は仲良しですわ」 「いわゆる男女の仲ではないのが、余計にもどかしいのだ。でも、よかった……こうして皆、無事だ。ニカの命も、ニカを想うノァンも」  以外なことで、驚いた。そういえば確かに、ノァンのことは全く意識したことがなかった。同じ不死者同士、生者の熱狂と興奮が支配するこの街で……おっかなびっくりでも、日の下を歩けるのはお互いがいたからこそかもしれない。  そう思ってると、スーリャの背中で「ムニャ……ニカ、右です……こっちなのです」と、ノァンの寝言が零れ落ちる。  自然と誰もが笑顔になったが……ことさらワシリーサの笑みが眩しくて、真っ赤な夕焼けの中で特別な輝きを放ってるように見えるのだった。