世界樹の頂へと続く、最後の階層……『円環ノ原生林』の冒険は進んでいた。既に折り返しというところだろうが、数々の不可思議な構造が冒険者たちを悩ませる。  まるでメビウスの輪のように、東西で繋がったフロア。  触れる全てを弾き飛ばす、打擲の剛激手が鎮座する広間。  そして、徘徊する強力な魔物たち。  山野に溶け込み狩りを生業としてきたあづさでも、この迷宮に広がるただならぬ気配を読み取ることができる。 「こりゃ、あれだねえ。この森……誰かが、そう……人が造ったもののようだよ」  広がる原生林は、見たこともない植物や虫でいっぱいだ。地上で見たことがあるものも、発育がよく大きい個体ばかりである。  あづさには自然と、ここが誰かの生み出した人工の庭園だと感じられた。  問題は、それが誰かということだが。  さてと、地図を畳んでしまい、先を歩く少女たちを追う。  先程からずっとそうなのだが、同じ猟獣士のシバが上機嫌で話を広げ続けていた。 「そしたらな、オラが囮さなってニカたちば助けてやったんだあ。いんや、我ながら名演技ってやつだっぺー! したけど、冒険者ギルドでこっぴどく叱られただよ、わはは!」  シバの言葉に、さささめとその従者ハヤタロウが笑う。  先頭を歩くまきりも、うんうんと大きく頷いていた。  今日はたまたま、同郷のセリアンばかりでのパーティ編成になった。だが、勝手知ったる何とやら……武芸者と猟獣士だけでも、万事抜かりはない。  むしろ、同じ職業同士でも腕前や個性、鍛えた己の方向性が違う。  例えば、まきりの剣は豪快にして剛胆、破壊力に秀でた力の剣だ。  対して、ささめの剣は流麗にして自在、捷さを突き詰めた技の剣である。 「ふふふ、シバさまのおはなしは面白いですね。ねえ、ハヤタロウ」 「は、はあ……でも、昨日のあれは驚きました。ニカ殿が大事な話があるからと……神妙な面持ちでしたが、まさかそんな事情があるとは」 「ひとはみな、たたかうりゆうをもつものです」 「左様です……いやあ、ルナリアって凄いんですね。流石は魔力に秀でた知の種族」  あずさも、昨夜のニカノールの話には驚いている。彼が世界樹の迷宮を進む理由が、ついに明かされた。  世界樹の迷宮は今や、アルカディア大陸の全ての夢が集う場所。  ある者は一攫千金を求め、ある者は地位と名誉を望む。  その全てが待つ迷宮は、死と隣り合わせの危険な魔境でもある。 「しかし、ニカのボウヤがねえ……難儀なことだよ。ふふ、だが……ワーシャは意外に芯が強いじゃないか。あとから聞いて肝を冷やしたけどねえ」 「ん? どしただ、おばばさま」 「なに、こっちの話だよ。それより、シバや」 「おうっ! 今日はオラァ、おばばさまを楽させるだ。ドーンと大船に乗ったつもりでいてけろ」  今日のシバは、鷹も猟犬も連れてはいない。それはハヤタロウも同じで、まきりの前を歩いているのはあずさの猟犬、牙丸だ。そして、先程からまきりの頭の上で周囲を警戒しているのが、鷹の爪丸である。  二匹とも、親の代からのあづさの相棒だ。  長年の狩りで、相当の修羅場をくぐってきた経験がある。  訓練では絶対に得られない力を、獣のみに宿しているのだ。  その片割れ、爪丸が一声鳴くや飛び立った。  同時に、まきりが腰の太刀を抜く。 「むむっ、爪丸が……おばばさま!」 「なにかいるねえ、この先に。ハヤタロウ、ささめから目を離すんじゃないよ。これ、シバ……シバ? おやおや、気に逸っちゃいけないねえ」  すぐに弓に矢を番えて、シバが飛び出した。  フンスフンスと鼻息も荒く、彼女はまきりの隣に並んで身構える。  だが、基本的に猟獣士は後衛職だ。弓の射程を活かし、常に後から前衛を援護する戦い方が望ましい。勿論そうでない者もいるし、一騎当千の射手として戦う者もいる。  だが、今は個と個が並ぶ時ではない。  個々に混じり合い、全なる力を発揮するべきなのだ。  そうでなければ命が危うい、それくらいこの迷宮は危険なのだ。 「はっはっは、シバ! 威勢がいいな! だが、先駆けは武家の誉れ! 先頭はわたしに任せてもらおうか」 「オラだって、戦えるだ。今日は風丸も雷丸もいねから、オラが戦働きば見せるだ、よ? およよ、まきりさ! 降ろしてけろ!」  ヒョイとシバの首筋を掴んで、よいしょとマキリは後ろに下ろす。  恵まれた体躯を持つ長身のまきりに比べれば、シバは小さな子供でしかない。 「まあまあ、シバさま。ここはわれらにおまかせあれ。まきりさま、おともつかまつります」 「応っ! 我ら武芸者の剣、見せてくれよう!」  そして、地響きと共に巨大な魔物が現れた。  決して倒せぬ相手ではないが、激戦は必至……それは、F.O.E――フロア・オブ・エネミー――と呼ばれる恐るべきモンスターだ。迷宮の番人とも言える存在で、生半可な攻撃は通じない。  遭遇しても戦いを避ける、遭遇しないように気をつける。  それが冒険者にとっての大原則なのだった。 「さて、ここは通らなきゃ先には進めないねえ。なに、逃げる手もある、一当てしてみようじゃないか」  あづさも使い慣れた弓を構えて、矢筒へと手を回す。  ハヤタロウの悲鳴が響いたのは、そんな時だった。 「おばばさまっ! 後ろからも!」 「……こいつぁ、ちょいとまずいね」  その魔物の名は、災厄へ至る病。無数の獣が入り混じった、巨大な合成獣である。その名の通り、恐るべき病魔を振りまく厄介なモンスターである。手練の冒険者でも、戦えば常に勝つことは無理だろう。  瞬時にあづさは、決断した。 「まきりや、前のと後のと……どうやら前のやつの方が近いねえ」 「はい! おばばさま、こちらはわたしにお任せを!」 「頼もしいねえ、頼んだよ。ハヤタロウや、シバと一緒にささめを守るんだよ。お前たち三人は、隙を見て逃げることを考えるのさ」  あづさはあづさで、自分が少し迂闊だったことを悔やむ。  時折気になることがあって、そちらへ思考が引っ張られたのだ。結果として挟撃されてしまった、これは今更焦ってもしかたがない。  すぐにあずさは、指笛で爪丸へと命じる。  雄々しく羽撃くや、鷹は急降下攻撃のために天高く舞い上がった。  同時に、一人であずさは後方の魔物へと駆け寄る。 「さあ、ここは老いぼれが相手ぞ! ……本当に、老いぼれたもんだねえ」  自然と笑みが浮かんで、珍しく油断した自分が情けない。だが、シバの声を聴きながら少し、ニカノールのことを思い出していたのだ。  彼は、予定外の不死者になった原因の一つを……なにかに呼ばれた気がした、と語った。  それが何故か、あづさには気になっていたのだ。  だが、今は目の前の敵を倒すことが大事だ。まきりの腕なら心配はないし、もうすぐ爪丸の必殺のクチバシが舞い降りてくるだろう。その間だけでも、背後からのモンスターを足止めする必要があった。 「さぁて、性根を据えてかかろうじゃないか。……おや? おやおや、なんだい? どうしたんだい」  不意に、目の前に迫った災厄へ至る病が、止まった。そして知る……地図には、一定の範囲を周回するF.O.Eと記されているし、背後を衝かれることなどない筈である。  だが、すぐにあづさは察した。  この魔物は、なにかに追われて逃げてきたのだ。  そして、真実が豪快な笑い声を響かせた。 「ハッハッハ! ご無事ですかな、レディ……とんだ失敬を。私としたことが、御婦人を危険な目に合わせてしまうとは。――フンッ!」  それは、筋肉だった。  筋骨隆々たる巨漢の紳士が、一撃で災厄へ至る病を地に鎮める。  腕組み微笑むその姿に、あづさは言葉を失い……背後でまきりたちがもう一匹の驚異を片付けたことも、すっかり忘れてしまうのだった。